第126話 疑心
古びた休憩所の中で、桐生大和は何度目か分からないほど端末の画面を見直していた。
表示されている文章は変わらない。
『2nd STAGE CLEAR CONDITION』
『2nd STAGE開始時点で首輪が解除されていないプレイヤーを全員殺害してください』
「……全員」
桐生大和が小さく呟く。
何度読み返しても、その二文字だけが異様に重かった。
一人ではない。
二人でもない。
対象となる人間を全員。
しかも、誰が2nd STAGE開始時点で首輪をつけていたのか、桐生大和には分からない。
自分以外の参加者がどこにいるのかも、誰が1st STAGEをクリアしていたのかも知らない。そもそも、この条件が表示された瞬間に首輪がついていた人間が何人いたのかさえ分からなかった。
「ふざけてるだろ……」
桐生大和は端末を閉じた。
少し前まで、ここには片桐蒼真がいた。
二人とも完全に信用し合っていたわけではない。それでも単独で行動するよりはましだと考え、必要以上に互いの事情へ踏み込まず行動していた。
だが、2nd STAGEが始まった。
片桐蒼真は条件を明かさなかった。
桐生大和も明かさなかった。
その時点で、それまで成り立っていた曖昧な協力関係は壊れていた。
「片桐蒼真も……対象なのか?」
答える人間はいない。
もし2nd STAGE開始時点で片桐蒼真の首に首輪があったのなら。
殺さなければならない。
そう考えた瞬間、桐生大和は自分自身に嫌気が差した。
「……何考えてんだ、俺」
まだ誰も殺していない。
殺すと決めたわけでもない。
それなのに、すでに人を見る基準が変わり始めている。
名前でもない。
性格でもない。
信用できるかどうかでもない。
――首輪がついていたか。
たったそれだけ。
桐生大和は首元へ手を当てた。
そこにはまだ首輪がある。
自分自身もまた、誰かの条件に含まれているかもしれない。
そんなことを考えていると。
遠くから、微かに銃声が聞こえた。
「……」
一発。
続いて、何発も。
森の向こうから断続的に響いてくる。
桐生大和は窓へ近づき、外を確認した。
「もう始まってんのかよ……」
誰が撃っているのか。
誰が撃たれているのか。
分からない。
ただ一つ分かるのは、2nd STAGEが始まってから、それほど時間は経っていないということだけだった。
桐生大和は端末を握りしめる。
このまま休憩所に隠れていても条件は達成できない。
だが外へ出れば、今度は自分が殺されるかもしれない。
「……クソ」
生きたい。
だから条件を達成しなければならない。
条件を達成するには、人を殺さなければならない。
その人間にも、生き残るための条件がある。
「こんなの……」
桐生大和は窓の外を睨んだ。
「結局、殺し合えってことじゃねえか」
答えるように、遠くからもう一度銃声が響いた。
◇
「……聞こえた?」
篠原琴音が顔を上げた。
小さな廃屋。
少し前まで食料と水を分け合っていた三人が、今は微妙な距離を空けて座っている。
雨宮紗良が窓へ視線を向けた。
「銃声だと思う」
「やっぱり……」
白川結衣が膝を抱えた。
「誰か……撃たれてるのかな」
誰も答えなかった。
以前なら。
少なくとも1st STAGEの間なら、誰かが危険な目に遭っているかもしれないと考えただろう。
助けに行くべきか。
様子だけでも見に行くべきか。
三人で相談したかもしれない。
だが今は違う。
三人とも、自分の端末に表示された新しい条件を知っている。
そして。
他の二人が何を命じられたのかは知らない。
篠原琴音が自分の端末へ視線を落とす。
『首輪が解除されているプレイヤーを一名殺害してください』
人を殺す。
それが篠原琴音の条件だった。
誰でもいいわけではない。
首輪が外れている人間を探し、その人間を殺さなければならない。
「……」
篠原琴音は無意識に雨宮紗良の首元を見る。
首輪がある。
続いて白川結衣。
首輪がある。
二人とも違う。
そのことに安堵した自分がいた。
同時に。
安堵した自分自身が気持ち悪かった。
「琴音?」
「え?」
白川結衣と目が合った。
「どうしたの?」
「……何でもない」
篠原琴音は視線を逸らした。
白川結衣は何も言わなかった。
しかし。
篠原琴音がどこを見ていたのか。
気づいていた。
首。
雨宮紗良の首。
そして自分の首。
白川結衣の表情から、少しずつ柔らかさが消えていく。
一方。
雨宮紗良もまた、二人とは違うことを考えていた。
『死亡したプレイヤーが所持していた端末を三台回収してください』
三台。
すでに一人は死んでいる。
2nd STAGEが始まったことが、その証拠だった。
そして今。
遠くで銃声が響いている。
もし。
あの銃声で誰かが死んだなら。
そこへ行けば。
端末が手に入るかもしれない。
「……」
雨宮紗良が立ち上がった。
篠原琴音がすぐに反応する。
「どこ行くの?」
「外」
「なんで?」
「……様子見るだけ」
「銃声の?」
「うん」
篠原琴音が眉を寄せた。
「危ないよ」
「分かってる」
「だったら行かない方がいいでしょ」
「でも、ずっとここにいるわけにもいかないじゃん」
雨宮紗良はそう言った。
間違ってはいない。
だが篠原琴音には、その言葉が別の意味を持っているように聞こえた。
「もしかして……」
「何?」
「銃声のところに行く必要がある条件なの?」
雨宮紗良の動きが止まった。
ほんの一瞬。
それだけだった。
だが、篠原琴音は見逃さなかった。
「……やっぱりそうなの?」
「言わない方がいいって話になったでしょ」
「そうだけど」
「じゃあ聞かないで」
少し強い言葉だった。
篠原琴音が黙る。
「……ごめん」
「私も……ごめん」
雨宮紗良が小さく答えた。
二人の間に沈黙が落ちる。
白川結衣は、そのやり取りを黙って見ていた。
自分の端末には。
『プレイヤーを一名指定してください』
『指定したプレイヤーのゲームクリアを阻止してください』
そう表示されている。
誰か一人。
選ばなければならない。
そして、その人間をクリアさせてはいけない。
殺せとは書かれていない。
だが。
ゲーム終了までクリアさせないためには、どうすればいい。
端末を奪う?
条件達成を邪魔する?
拘束する?
それとも。
――殺す?
死んだ人間はゲームをクリアできない。
その考えが頭に浮かんだ瞬間、白川結衣は自分で自分が怖くなった。
「……嫌だ」
二人が白川結衣を見る。
「どうしたの?」
「何でもない」
白川結衣は膝へ顔を伏せた。
まだ指定していない。
誰を選ぶか決めていない。
だからこそ。
今なら選べる。
篠原琴音。
雨宮紗良。
目の前に二人いる。
どちらかを指定してしまえば、探す必要すらない。
「……」
白川結衣は顔を上げた。
篠原琴音がいる。
雨宮紗良がいる。
昨日から一緒に行動してきた二人。
食料を分けた。
水も分けた。
怖いときは三人で話した。
この三人なら、もしかすると最後まで一緒にいられるのではないか。
ほんの少し前まで、そう思っていた。
なのに今。
自分は二人のうち、どちらを犠牲にすれば生き残れるのか考えかけている。
「結衣?」
篠原琴音が呼ぶ。
「……何?」
「さっきから変だよ」
「琴音もでしょ」
「え?」
思わず口から出た。
篠原琴音の表情が固まる。
「さっき、私たちの首見てた」
「……」
「何で?」
篠原琴音が答えない。
雨宮紗良も篠原琴音を見る。
「琴音」
「違う」
「何が?」
「別に……二人をどうこうしようとしてたわけじゃない」
雨宮紗良の目が細くなる。
「じゃあ何で首を見たの?」
「それは……」
言えない。
首輪が外れている人間を殺すことが自分の条件だから。
二人に首輪があることを確認して安心したから。
そんなことを言えるはずがない。
「……言えない」
篠原琴音が答えた。
空気が変わった。
雨宮紗良がゆっくりと立ち上がる。
篠原琴音も反射的に身構えた。
「何?」
「別に」
「じゃあ座ってよ」
「なんで?」
「……怖いから」
雨宮紗良が止まる。
「私だって怖いよ」
「だったら――」
「琴音が条件を言わないからでしょ」
「紗良だって言ってないじゃん!」
声が大きくなった。
三人とも、それに気づく。
沈黙。
「……やめよう」
白川結衣が言った。
二人を見る。
「こんなの……運営の思い通りだよ」
その言葉に、篠原琴音も雨宮紗良も何も返せなかった。
正しい。
分かっている。
それでも。
一度生まれた疑いは消えない。
「……とりあえず」
雨宮紗良がゆっくり座り直した。
「今は三人でいよう」
篠原琴音も頷く。
「うん」
「条件も聞かない」
「……うん」
「勝手にどこかへ行くのもなし」
「分かった」
白川結衣も頷いた。
「私も、それでいい」
三人の意見は一致した。
それなのに。
誰一人として、安心した顔をしていなかった。
しばらくして。
再び遠くから銃声が聞こえた。
雨宮紗良が反射的にそちらを見る。
死亡したプレイヤーの端末。
篠原琴音は雨宮紗良の視線を追う。
首輪が外れているプレイヤー。
白川結衣は二人を見ている。
指定する一人。
三人とも違うものを考えていた。
同じ場所にいるのに。
もう、見ているものは同じではなかった。
そして島の別の場所では、桐生大和が一人、首輪をつけた参加者を探すべきか迷い続けている。
藤崎奈緒は笑いながら次の参加者を探している。
久我拓真は他人の端末を壊さなければならない。
片桐蒼真は端末BかFの所有者を殺さなければならない。
端末B――篠原琴音。
端末F――榊原圭吾。
榊原圭吾は、もう死んでいる。
残された標的は一人。
篠原琴音。
本人はまだ、そのことを知らない。
協力。
信用。
友情。
そんなものを少しずつ削り取るように、条件は参加者同士を繋ぎ始めていた。
誰かが生き残ろうと動けば。
その行動が、別の誰かを追い詰める。
2nd STAGEは、まだ始まったばかりだった。




