第122話 二回目
湖畔の小屋を目指し、三人は森の中を進んでいた。
先頭を歩く神谷蓮は、2nd STAGEが始まってからほとんど口を開いていない。それまでより歩く速度を落とし、前方だけでなく左右の茂みや木々の隙間へ何度も視線を送り、ときには足を止めて地面の土や落ち葉まで確認している。
もともと慎重な男ではあったが、今は明らかに様子が違っていた。
「止まれ」
蓮が右手を上げたため、後ろを歩いていた千尋と澪もその場で足を止めた。
蓮は二人を振り返ることなくしゃがみ込み、落ち葉が不自然に積もった場所をじっと見つめる。少し先の剥き出しになった土まで確認してから立ち上がると、今まで進んでいた方向とは別の場所を指した。
「こっちはやめる。少し回って向こうから行くぞ」
「また? さっきから何をそんなに警戒してるの?」
千尋が眉を寄せると、蓮は少し迷ったあとで足元へ視線を落とした。
「前回、森の中に地雷が埋められてた。端末の地図にも表示されないし、見た目じゃほとんど分からない」
「……地雷?」
千尋の表情が止まり、後ろにいた澪も反射的に自分の足元を見た。
「ちょっと待って。それって、知らずに踏んだら……」
「死ぬ。実際に踏んで死んだ奴もいる」
あまりにも淡々と告げられ、澪は動けなくなった。ついさっきまで何気なく踏んでいた土や落ち葉が、一瞬で恐ろしいものへ変わって見える。
「今回も……あるの?」
澪がおそるおそる尋ねると、蓮は首を振った。
「分からない。前回のものが残ってる可能性もあれば、全部撤去されてる可能性もある。ゲームのたびに少しずつ変えてるみたいだから、別の場所に新しい罠があるかもしれない。だから、何もないと思って歩くな」
「そういうことは、もうちょっと早く教えてよ……」
青ざめた千尋に、蓮は面倒そうに息を吐いた。
「先に言ったら怖がって一歩も動けなくなるだろ」
「今聞いても十分怖いんだけど」
「だったら余計に慎重に歩け。俺が止まれって言ったら理由を聞く前に止まれ」
「……ほんと、言い方が横暴になったよね」
普段の千尋なら、そのままもう一言や二言は返していただろう。
だが、今はそれ以上続かなかった。
澪も黙っている。
2nd STAGEが始まってからの蓮は、少し怖かった。
監視カメラを睨みつけて運営へ言葉を叩きつけたときも、自分の端末を強引に奪って条件を確認したときもそうだった。今までの蓮なら、ぶっきらぼうではあっても話しかけること自体を躊躇するような相手ではなかったのに、今は下手なことを言えば鋭く睨まれそうで、澪は無意識に距離を取ってしまう。
千尋ですら、それまでのように何度も蓮をからかうことはなくなっていた。
三人は再び歩き始めたが、今度は千尋も澪も自然と足元を確認するようになっていた。
しばらく森を進んだところで、蓮は大きな木のそばに立ち止まり、周囲に人影がないことや地面に不自然な痕跡がないことを確かめてから、ようやく二人を振り返った。
「ここなら大丈夫そうだ。十分くらい休むぞ」
「やっと休める……って、十分だけ?」
「嫌なら休まなくていい」
「休みます」
千尋が即答して木の根元へ腰を下ろしたので、蓮は小さく息を吐いた。
そのやり取りを見て、澪もようやく少しだけ緊張を解き、千尋から少し離れた場所へ座る。蓮も最後にもう一度周囲を見回してから木へ背中を預けた。
ようやく、ほんの少しだけいつもの蓮に戻ったように見えた。
澪は何度か横目で蓮を見る。
ずっと聞きたかったことがある。
けれど、なかなか声をかけられない。
口を開きかけてはやめる澪に気づいた千尋が、代わりに声をかけた。
「澪ちゃん、さっきから蓮のこと見てるけど、何か聞きたいことあるんじゃない?」
「見てないし……別にないよ」
「ある顔してるよ」
「だから、してないって」
「聞こえてるぞ」
蓮が二人へ顔を向けたため、澪の身体が僅かに強張った。
「何かあるなら言え。黙って見られてる方が気になる」
先ほどよりは落ち着いた声だった。
澪は少し迷ってから意を決し、蓮の顔を見る。
「……蓮って、このゲーム……二回目なの?」
その質問に蓮はすぐ答えなかった。
しかし隣にいる千尋は驚いた様子を見せず、澪はその反応に気づいて彼女へ顔を向ける。
「……千尋、その顔……知ってたの?」
「二回目だってことだけはね」
「えっ? いつから?」
「結構前。でも私も詳しいことは知らないよ。前にも参加したことがあるって、それだけしか聞いてないから」
澪は驚いたまま、再び蓮を見る。
「……本当に二回目なの?」
「ああ。前にも一度、このゲームに参加してる」
「じゃあ、さっきから何でも知ってるみたいに動いてるのも……地雷のことも、2nd STAGEのことも?」
「一度経験してるから知ってるだけだ。全部知ってるわけじゃない」
澪はしばらく何も言えなかった。
千尋が少し迷ってから尋ねる。
「前回のこと……話してくれる?」
蓮は木に背を預けたまま考えていたが、やがて小さく首を振った。
「今、全部話してる時間はない。それに、知らなくていいことまで無理に知る必要もない」
「……そっか」
「ただし、生き残るために必要なことは教える」
蓮の声が変わり、千尋と澪も自然と彼を見る。
「まず、さっきも言ったようにクリア条件は絶対に他人へ教えるな。相手がどんな条件を持ってるか分からない以上、自分から弱点を教えるような真似はするな」
二人が頷いた。
「それから、武器を持ってないから安全だとか、首輪が外れてるから味方だとか、そんな判断もしない方がいい。逆に首輪が残ってる奴が全員敵ってわけでもない」
「……じゃあ、誰も信用するなってこと?」
澪が尋ねると、蓮は首を振った。
「そうじゃない。信用する相手を間違えるなってことだ」
その言葉に、澪はしばらく蓮を見つめた。
「それと、もう一つ覚えておけ。警戒するのは普通の参加者だけじゃない」
「どういう意味?」
千尋が聞き返す。
「前回、参加者の中に運営側の人間が混じってた。GAME MASTERっていう、ゲームを進行させるための役目を持った人間だ」
澪が目を見開いた。
「参加者のふりをしてるってこと?」
「首輪もつけてるし、クリア条件もある。見ただけで普通の参加者と区別するのは無理だと思っておいた方がいい」
「じゃあ、どうやって見分けるの?」
「見分けられないから警戒するんだ」
蓮はそこで二人を見た。
「今回もいるとは限らない。でも、いるかもしれないと思って動け。妙に争いを煽る奴や、普通なら知らないはずの情報を持ってる奴がいたら特にな」
千尋が少し考え、蓮を見た。
「普通なら知らないはずの情報をいっぱい持ってる人……」
「何だよ」
「蓮みたいな?」
「俺は違う」
「冗談だって」
「今するな」
千尋が僅かに笑う。
そのやり取りを見て、澪もようやく小さく笑うことができた。
少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ。
休憩を終えた三人は、再び湖畔を目指して歩き始めた。
森を進むにつれて木々の隙間から水面が見えるようになり、やがて澪が湖の近くに建つ小さな建物を見つける。
「蓮、あれじゃない?」
「ああ。たぶんな」
蓮はその場で足を止め、しばらく小屋を観察した。
「二人はここにいろ。俺が先に中を見る」
「一人で行くの?」
千尋の問いに、蓮は服の下へ手を入れて隠していた拳銃を確認する。
「三人まとめて近づくよりいい。俺が戻るまで動くな。何かあったら俺を待たずに逃げろ」
「またそれ?」
「まただ。今は言うこと聞け」
千尋は不満そうだったが、反論はしなかった。
蓮が一人で小屋へ近づいていく。
その背中を見つめながら、澪はようやく少しだけ理解していた。
二回目だから、蓮は知っている。
そして、一度この先にあるものを経験しているからこそ、2nd STAGEが始まった瞬間にあれほど変わったのだ。
蓮が小屋までの距離を半分ほど進んだ、そのときだった。
――パンッ!
乾いた音が森を貫いた瞬間、蓮は考えるより先に近くの木の陰へ飛び込んだ。
「伏せろ!」
鋭い声に反応し、千尋が澪の腕を掴んで地面へ引き寄せる。
「今の……何?」
「顔上げるな!」
蓮の声に、澪はすぐ頭を下げた。
数秒の静寂のあと、再び乾いた銃声が響く。
今度は千尋にも、それが何の音なのか分かった。
「……銃声?」
蓮は答えず、拳銃を抜いたまま音のした方向を探る。
小屋からではない。
もっと遠い。
湖の反対側――森の奥だ。
直後、さらに二発の銃声が立て続けに響き、湖畔にいた鳥たちが一斉に飛び立った。
澪は息を呑み、千尋の表情からも先ほどまでの僅かな笑みが消える。
蓮は木の陰から湖の向こうを睨み続けた。
「……始まったか」
静かだった湖を切り裂くように、もう一度銃声が響いた。




