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エクストラバレット  作者: ほむら
2章 RE:side

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第119話 地獄の幕開け

古びた建物の扉を開けると、森の向こうから吹いてきた風が、蓮の頬を撫でた。


 外には柔らかな日差しが降り注ぎ、木々の葉が穏やかに揺れている。少し前までボウガンを持った男に追い回されていたことが嘘のような、静かな昼下がりだった。


「さて、次は保管庫だね」


 千尋が背伸びをしながら言った。


「その前に少し休むか? 澪の腕もあるし」


「大丈夫だよ。そんなに痛くないから」


 澪は包帯の巻かれた左腕を軽く持ち上げてみせた。右手には先ほど入手した鍵が握られており、失くさないようにと、何度もその存在を確かめている。


「無理はするなよ」


「分かってるってば。蓮も千尋も心配しすぎ」


「怪我人に心配するなって方が無理でしょ」


 千尋が笑い、澪もつられて微笑んだ。


 蓮はそんな二人を横目に、建物の前に広がる森へ視線を向けた。


 指定された保管庫までは、まだ距離がある。途中であの男と再び遭遇する可能性も考えれば、できるだけ人目につかない経路を選びたかった。


「とりあえず、ここから――」


 言いかけた、その瞬間だった。


 ピィィィィィィィ――ッ!


 耳を突き刺すような電子音が、三人の端末から一斉に鳴り響いた。


「きゃっ!」


 澪が驚いて肩を震わせ、千尋も反射的に腰の端末へ手を伸ばした。


「な、何!? 今の!」


「……!」


 蓮はすぐに端末を取り出した。


 聞き覚えのある音だった。


 前回のゲームでも、これとよく似た警告音を聞いている。


 嫌な予感がした。


 いや、予感というより、すでに答えを知っているような感覚だった。


 画面が暗転し、中央に白い文字が浮かび上がる。


『SYSTEM MESSAGE』


 続いて、画面全体が赤く染まった。


『1st STAGE 終了』


『2nd STAGE 開始』


 蓮の表情が凍りついた。


「……嘘だろ」


 思わず声が漏れる。


「蓮?」


 千尋がこちらを見る。


「何これ……ステージが変わったってこと?」


 澪も自分の端末を見つめていた。


「さっきまでの条件は……?」


 二人の声が遠く聞こえる。


 蓮の頭には、前回のゲームの光景が蘇っていた。


 佐伯美咲。


 前回の参加者の一人であり、首輪を解除することに成功していた女性。


 彼女が死亡したことで、ゲームは第一段階から第二段階へ移行した。


 それまで協力すれば達成できた条件が、突然、他人を犠牲にすることを求める内容へ変わったのだ。


 あの瞬間から、島の空気は一変した。


 互いを助けようとしていた参加者たちは疑い合い、誰かの生存が別の誰かの障害となった。


 そして、その先に待っていたのは、数えきれないほどの後悔だった。


 ――今回も同じなのか?


 蓮は端末を握る手に力を込めた。


 前回は美咲が死んだことでステージが切り替わった。


 つまり今回も、誰かが死んだということなのか。


 だとすれば、誰が。


 いつ。


 どこで。


 そこまで考えたとき、蓮の脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。


 ボウガンを構え、憎悪に満ちた目でこちらを睨みつけていた男。


『殺してやる』


 あの声が耳の奥に蘇る。


 ――まさか。


 蓮は唇を噛んだ。


 ――あいつが、誰かを殺したのか?


 もちろん、確証はない。島には自分たち以外にも参加者がいるし、別の場所で事故や争いが起きた可能性だってある。


 それでも、あの男が矢を撃つことに一切の躊躇を見せなかったことを思い出すと、嫌な想像を振り払うことができなかった。


「……蓮」


 千尋の声で、蓮は我に返った。


「これ、どういうこと?」


 千尋は端末を握りしめていた。


 先ほどまでの明るい表情は消え、画面を見つめる目には戸惑いが浮かんでいる。


 澪も同じだった。


「私、まだ保管庫を開けてないのに……」


 澪の右手には、先ほど手に入れたばかりの鍵がある。


 蓮はその鍵を見た。


 つい数分前まで、三人はこれを手に入れたことを喜んでいた。


 これで澪も首輪を外せる。


 そう信じていた。


 だが、今はもう違う。


 ゲームの条件が変わった。


 その事実だけで、あの鍵が持っていた意味さえ揺らいでしまった。


「……二人とも」


 蓮は静かに口を開いた。


「まず、落ち着いて聞いてくれ」


「うん……」


「これからは、今まで以上に他の参加者を警戒した方がいい」


 千尋が眉を寄せた。


「どういうこと?」


「第一段階と同じように考えない方がいいってことだ」


「……」


「それと、自分の端末に表示された内容を、誰にでも話すな。俺たち三人以外には、絶対に」


 澪が不安そうに蓮を見た。


「蓮は……何か知ってるの?」


 蓮は一瞬、言葉に詰まった。


 澪には、まだ自分が二度目の参加者であることを話していない。


 千尋だけが、その事実を知っている。


「……前に少し聞いたことがある」


 蓮はそう答えた。


「ステージが変わると、状況も大きく変わるらしい」


 完全な嘘ではない。


 だが、本当のことでもなかった。


 千尋がこちらを見る。


 彼女は何か言いたそうだったが、澪の前で追及することはなかった。


「……分かった」


 澪が頷く。


「じゃあ、私たちはどうすればいい?」


「まずは安全な場所へ移動する。ここで立ち止まっているのは危険だ」


「保管庫は?」


「……後で考える」


 蓮は答えた。


 そして、もう一度端末へ視線を落とす。


 画面には、新たなステージの開始を告げる文字が表示されていた。


 始まった。


 セカンドステージ。


 人の尊厳を踏みにじり、誰かの命を奪うことさえゲームの条件にしてしまう、あの地獄が。


 前回のゲームで、自分は何人もの人間を失った。


 守れなかった命がある。


 救えなかった人間がいる。


 そして、今も忘れられない顔がある。


 蓮はゆっくりと顔を上げた。


 建物の屋根の端。


 そこに、小さな黒い装置が取り付けられていることに気づいた。


 監視カメラだった。


 以前から、この島の至るところに設置されていることは知っている。


 今もどこかで、運営の人間がこちらを見ているのだろう。


 そして、その向こうでは。


 大勢の観客が、参加者たちの苦しむ姿を楽しんでいる。


 蓮はカメラを真正面から見据えた。


「……見てろよ、運営」


 低く呟く。


 その声には、怒鳴り散らすような激しさはなかった。


 代わりに、冷たく押し殺した怒りが込められていた。


 蓮は右手を上げると、人差し指をまっすぐカメラへ向けた。


 レンズの向こうにいる者たちを、一人残らず睨みつけるように。


「今度こそ……お前らの思いどおりにはさせない」


 千尋と澪は、何も言わずにその姿を見つめていた。


 *


 運営本部の中央監視室では、神谷蓮の姿が大型モニターに映し出されていた。


 カメラへ向けられた指。


 そして、レンズを射抜くような鋭い視線。


 その映像を見ていた運営統括責任者は、深いため息をついた。


「……相変わらずだな、あの男は」


 隣にいた部下が苦笑する。


「こちらのカメラを見つけたようですね」


「見つけるだけならまだいい。問題は、あいつがこちらの存在をどこまで理解しているかだ」


「前回の生存者ですからね」


「ああ。それに、ゲームマスターへの勧誘まで受けている」


 統括責任者は画面の中の蓮を見つめた。


 あの男は、運営に対して強い敵意を抱いている。


 それは間違いない。


 にもかかわらず、今の運営にとって、神谷蓮ほど頼りになる参加者はいなかった。


 九条澪のそばにいる。


 危険な状況でも冷静に行動できる。


 前回のゲームを生き延びた経験がある。


 そして何より、目の前で誰かが危険に晒されれば、放っておけない性格をしている。


 その性格を利用していることに、多少の後ろめたさがないわけではなかった。


 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「……会長はまだか?」


 統括責任者が尋ねた。


「まもなく到着される予定です」


「そうか……」


 男は額を押さえた。


 最初の死亡者が発生し、ゲームは第二段階へ移行した。


 そして、会長の娘はまだ首輪を外していない。


 これ以上ないほど最悪のタイミングだった。


 そのとき、監視室の扉が開いた。


「会長がお見えになりました」


 室内の空気が一瞬で変わった。


 監視員たちが姿勢を正し、統括責任者も慌てて椅子から立ち上がる。


 扉の向こうから現れたのは、年配の男だった。


 落ち着いた色合いのスーツを身につけ、白髪の混じった髪を丁寧に整えている。表情にはほとんど感情が浮かんでおらず、ゆっくりと室内を見回す目には、長年組織の頂点に立ってきた者特有の威圧感があった。


 このゲームを運営する組織の会長。


 九条澪の父親である。


「……ご苦労」


 会長は短く言った。


「会長。本日はわざわざお越しいただき――」


「挨拶はいい」


 統括責任者の言葉を遮り、会長は中央の大型モニターへ視線を向けた。


「進行状況を見せてもらおう」


「は、はい」


 統括責任者が部下へ目配せする。


 画面には、島の各所を移動する参加者たちの姿が映し出された。


 会長はしばらく無言で眺めていたが、やがて一つの映像に目を留めた。


 神谷蓮。


 小宮千尋。


 そして。


 九条澪。


 会長の目が、わずかに細くなった。


「……」


 統括責任者は、その変化を見逃さなかった。


 背中に冷たい汗が流れる。


 まさか。


 気づいたのか。


 会長は画面を見つめたまま、静かに尋ねた。


「……あの少女は?」


 統括責任者の喉が鳴った。


「PLAYER15です」


「名前は?」


 逃げられない。


 男は一瞬だけ目を伏せた。


「……九条澪です」


 沈黙が落ちた。


 会長は何も言わなかった。


 ただ、画面の中の少女を見つめている。


 その視線が、彼女の左腕へ移った。


 包帯が巻かれている。


「……怪我をしているな」


「は、はい。先ほど他の参加者から攻撃を受けまして……」


「……何?」


 会長の声が低くなった。


「幸い、軽傷です。すでに応急処置も済んでおり、現在の生体情報にも異常はありません」


「誰がやった」


「PLAYER03です」


「……」


「すでにその参加者は別の場所へ移動しており、現在は接触しておりません」


 会長はしばらく画面を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと統括責任者へ顔を向ける。


「……説明してもらおうか」


 その一言だけで、男の顔色が変わった。


 *


「……つまり」


 会長は統括責任者の説明を聞き終えると、低い声で言った。


「選定部門が、私の娘を参加者として連れてきたということか」


「……はい」


「私にも、本人にも知らせずに」


「そのとおりです」


「……そうか」


 会長は椅子へ腰を下ろした。


 怒鳴ることも、机を叩くこともしない。


 だが、その静けさがかえって恐ろしかった。


「選定責任者は?」


「すでに処分を決定しております」


「どのような処分だ」


「次回のゲームへ、参加者として投入する予定です」


 会長はわずかに眉を動かした。


「……そうか」


 それ以上、責任者の話には触れなかった。


 今は処分よりも優先すべきことがある。


「澪をどうするつもりだ」


 統括責任者はすぐに答えた。


「必ず生還させます」


「方法を聞いている」


「……」


「まさか、ただ祈っているだけではあるまいな」


 統括責任者の額から汗が流れた。


「もちろんです。すでに手は打っております」


「ほう」


「現在、PLAYER15の近くには、前回のゲームを生き延びた参加者が同行しております」


「前回の生存者?」


「はい。神谷蓮という男です」


 会長の表情が変わった。


「……蓮?」


 その名前に、何か思い当たるものがあったらしい。


 会長はしばらく考え込んでから、統括責任者を見た。


「神谷蓮……あの男か」


「ご存じでしたか」


「報告書で名前を見た。前回のゲームを生き延び、ゲームマスターへの勧誘を拒否した男だろう」


「はい」


 会長の目が鋭くなる。


「……待て」


「はっ」


「なぜ、あの男が参加者として島にいる?」


 統括責任者は言葉を詰まらせた。


「それは……」


「ゲームマスターとして招いたのではなかったのか?」


「いえ、今回は一般参加者として……」


「何?」


 会長の声が一段低くなった。


「では、今回のゲームマスターは誰だ」


「……別の参加者です」


「なぜだ!」


 会長が初めて声を荒らげた。


 監視室の空気が凍りつく。


「前回の生存者をわざわざ連れ戻しておきながら、ゲームマスターにせず、ただの参加者として使っているのか!」


「も、申し訳ありません!」


「しかも、その男が澪のそばにいるだと? どういう判断だ!」


 統括責任者は必死に言葉を探した。


 ここで説明を誤れば、全てが終わる。


「……会長」


「何だ」


「今回のゲームマスターについてですが……」


 男は一度息を整えた。


「正直に申し上げます。あの者にお嬢様の安全を委ねるくらいなら、神谷蓮の方が遥かに安全だと判断しました」


 会長の眉が動く。


「……どういう意味だ」


「こちらをご覧ください」


 統括責任者は部下に指示し、内部資料を表示させた。


 モニターの一角に、今回のゲームマスターに関する情報が現れる。


 参加者番号。


 氏名。


 過去の経歴。


 そして、運営が把握している人物評価。


 会長はその資料へ目を向けた。


 最初は無表情だった。


 だが、読み進めるうちに、眉間へ深い皺が刻まれていく。


「……これは」


 会長が呟いた。


「この人物を、ゲームマスターに選んだのか?」


「……はい」


「誰の判断だ」


「進行管理部門です」


 会長は資料から目を離さなかった。


 そこに記載されている内容は、一般参加者の安全を考えるなら、決して安心できるものではなかった。


 少なくとも、娘の命を預けたいと思える人物ではない。


「……なるほど」


 会長はゆっくりと息を吐いた。


「確かに、これは任せられんな」


 統括責任者は、心の中で安堵した。


「神谷蓮は前回のゲームで、他の参加者を守ろうとする行動を繰り返しています。今回もPLAYER04とPLAYER15を連れて行動しており、先ほどの襲撃ではお嬢様を守りながら逃走しました」


「……」


「ゲームマスターへの指示が誤って神谷蓮へ送信されたという問題はございましたが、結果として、彼がお嬢様を発見し、現在も同行しております」


 会長は画面の中の蓮を見た。


 ちょうど彼は、千尋と澪を先に歩かせながら、周囲を警戒しているところだった。


「……あの男は、澪が私の娘だと知っているのか?」


「いいえ。その情報は一切伝えておりません」


「澪自身は?」


「何も知りません。通常の参加者と同じ認識です」


「……そうか」


 会長は静かに頷いた。


 しばらくしてから、統括責任者へ向き直る。


「神谷蓮には、引き続き澪のそばにいてもらえ」


「承知しました」


「ただし、本人に余計な情報を与えるな。私との関係も、澪が特別扱いされていることも、絶対に知られてはならん」


「はい」


「それから」


 会長の声がさらに低くなる。


「ゲームの進行に支障を出さず、澪を生還させる方法を考えろ」


 統括責任者が深く頭を下げる。


「必ず」


「……必ず、だ」


 会長はモニターへ視線を戻した。


 画面の中では、澪が千尋と何かを話して笑っていた。


 その笑顔は、普段の生活で見せるものと何も変わらない。


 だが、首には黒い首輪が巻かれている。


 いつ命を奪われてもおかしくない場所に、娘がいる。


 会長はしばらく無言でその姿を見つめたあと、静かに告げた。


「……必ず、生きて帰せ」


 統括責任者は、もう一度頭を下げた。


「はい」


 会長の目は、画面から離れなかった。


「何を犠牲にしてでも、だ」


 その言葉に、統括責任者の背筋が冷たくなる。


 会長はそれ以上何も言わなかった。


 ただ、モニターの中で歩き続ける娘の姿を、じっと見つめていた。


 そして、その少し前を歩く青年にも。


 神谷蓮。


 会長は、その名前を心の中でもう一度繰り返した。


 娘の命を預けることになった男。


 かつてゲームマスターへの勧誘を拒否した、前回の生存者。


 皮肉なことに、今の会長にとって、最も頼りになる存在は、運営に敵意を抱くその青年だった。

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