第118話 予期せぬ来訪
運営本部の中央監視室には、島の各所を映し出す無数のモニターが並んでいた。
森の中を移動する参加者、建物の陰で休息を取る参加者、指定された物資を探している参加者。それぞれの動向がリアルタイムで記録され、監視員たちは担当区域ごとに映像を確認している。
その一角で、一人の男が額に浮かんだ汗を拭っていた。
「……危なかった」
運営統括責任者の男は、椅子の背もたれへ深く身体を預けた。
目の前のモニターには、数十分前の映像が繰り返し再生されている。
森の中を逃げる三人。
その後方からボウガンを構える男。
放たれた矢が少女の左腕を掠め、服の袖を裂く瞬間。
何度見返しても、背筋が冷たくなる光景だった。
「……本当に、掠り傷だけなんだな?」
統括責任者が尋ねると、隣に立っていた監視員がすぐに答えた。
「はい。PLAYER15の生体情報に異常はありません。出血も軽微で、現在はPLAYER13、PLAYER04とともに移動を再開しています」
「感染の危険は?」
「現時点では確認されていません。PLAYER13が応急処置を行っています」
「……そうか」
男は再び息を吐いた。
九条澪。
PLAYER15。
その少女が何者なのかを知っている人間は、運営内部でもごく一部に限られている。
会長の娘。
それも、今回の参加者選定における重大な手違いによって、本人も父親も知らないままゲームへ送り込まれた少女だった。
万が一、彼女が死亡すればどうなるか。
考えたくもない。
そもそも、今回のゲームにおいて最も優先すべき対象は、ゲームマスターですらなかった。
九条澪を生きて帰すこと。
その一点において、運営上層部の意思は一致している。
ただし、露骨な特別扱いはできない。
会長の娘だけを島から救出すれば、他の参加者はもちろん、莫大な金を支払って観戦している顧客たちにも不審を抱かれる。
何より、会長自身が娘を運営組織から遠ざけ、普通の生活を送らせてきたのだ。
その娘がゲームに参加していると知られれば、誰がどのような責任を問われるか分かったものではない。
「……神谷蓮は?」
統括責任者が尋ねた。
「PLAYER13ですね。現在もPLAYER15と行動をともにしています」
「離れていないんだな?」
「はい。先ほどの襲撃でも、PLAYER15を庇いながら逃走していました」
男は小さく頷いた。
「……それならいい」
神谷蓮。
前回のゲームを生き延び、ゲームマスターへの勧誘を拒否した男。
本来なら、今回のゲームで特別な役割を与える予定はなかった。
ところが、担当者がゲームマスター宛ての指示を誤って彼へ送信したことで、思わぬ状況が生まれた。
蓮は九条澪を探し出し、現在も行動をともにしている。
誤送信という失態が、結果として最も都合のいい展開を生んでいた。
「……頼むぞ」
統括責任者は画面の中の蓮を見つめた。
「せめて、あの子だけは……」
そのときだった。
「統括!」
背後から、慌ただしい足音とともに部下が駆け込んできた。
「何だ。騒々しい」
「本部から緊急連絡です!」
「……何かあったのか?」
部下は一度息を整えた。
そして、信じられない報告を口にした。
「会長が、今回のゲームを視察されるそうです」
統括責任者の動きが止まった。
「…………何?」
「会長がこちらへお越しになると、先ほど連絡が入りました」
「……いつだ」
「本日中とのことです。正確な到着時刻は、追って通知されるそうです」
男は椅子から立ち上がった。
「馬鹿な……!」
その声に、周囲の監視員たちまで振り返った。
「会長が? ここへ?」
「はい」
「なぜだ!」
統括責任者は思わず机を叩いた。
「なぜ今回に限って来る!?」
会長は、普段からゲームの細かな進行に口を出す人物ではない。
運営状況の報告こそ受けているものの、現場の視察など滅多に行わなかった。
少なくとも、統括責任者が現在の役職に就いてから、会長がゲームの途中で突然訪問するなど一度もなかった。
「理由は聞いていないのか!」
「申し訳ありません。視察の目的については、何も……」
「何も、だと?」
男は額を押さえた。
最悪の想像が頭をよぎる。
まさか、娘が参加していることを知ったのか。
いや、それなら視察などという悠長な話にはならないはずだ。会長が事情を把握していれば、もっと直接的な命令が下されているだろう。
だが、だからといって安心できるわけではない。
「……参加者名簿は?」
「通常の管理資料に記録されています」
「会長に提出する資料から、余計な情報を――」
そこまで言って、男は口を閉じた。
会長を相手に、下手な隠蔽工作を行えばかえって疑われる。
しかも、娘の存在を隠そうとした事実が発覚すれば、それこそ取り返しがつかない。
「……いや、待て。勝手に資料を変更するな」
「は、はい」
「通常どおり準備しろ。ただし、PLAYER15に関する情報は、私の確認なしに口外するな」
「承知しました」
部下が頭を下げて立ち去る。
統括責任者は椅子へ座り直したが、落ち着くことなどできなかった。
会長が来る。
それも、娘がゲームへ参加しているこのタイミングで。
偶然なのか。
それとも。
「……まさかな」
男は小さく呟いた。
だが、その言葉に自分自身が納得できていなかった。
*
同じ頃。
ゲームを観戦している者たちの間では、別の話題が盛り上がっていた。
豪奢なラウンジに設置された巨大スクリーンには、久我拓真がボウガンを構える場面が映し出されている。
蓮の顔の横を矢が通り過ぎた瞬間、室内のあちこちから歓声が上がった。
「惜しい!」
「今のは当たったと思ったんだがな」
「PLAYER13、なかなかやるじゃないか」
グラスを片手にした男が笑う。
「前回の生存者だったか?」
「そうだ。あの男は二度目の参加らしい」
「なるほど。動きが違うわけだ」
隣に座っていた中年の男が、興味深そうに画面を眺めた。
「しかし、あのボウガンの男も面白い。最初の接触で負けたことを、まだ根に持っているとは」
「人間というのは、くだらないことで殺意を抱くものだよ」
「そこが面白いんじゃないか」
別の席から笑い声が上がった。
画面では、澪の腕を矢が掠める瞬間が再生されていた。
「おっと、PLAYER15に当たったぞ」
「掠っただけだな」
「残念。もう少し深ければ面白かったのに」
「いやいや、あの少女はまだ残しておきたい」
「どうしてだ?」
「三人組が崩れるところを見たいからさ」
男たちは笑い合った。
彼らにとって、島で起きている出来事は娯楽だった。
誰が逃げ、誰が傷つき、誰が死ぬのか。
その一つ一つが賭けの対象であり、酒の肴になる。
九条澪が何者なのかを知る者は、この場にはいなかった。
だからこそ、彼らは何のためらいもなく、少女の負傷を楽しんでいた。
「ところで、まだ死者は出ていないのか?」
一人が尋ねた。
「そうらしい」
「今回は随分と平和だな」
「第一段階だからな。条件を満たせば全員助かる仕組みなんだろう?」
「つまらん」
男はグラスを置いた。
「そろそろ誰か死んでくれないと、賭けが動かんじゃないか」
その言葉に、何人かが同意する。
彼らは知っていた。
最初の死者が出れば、ゲームの条件が変わることを。
そして、その先に待っているのが何なのかも。
「まあ、焦るな」
別の男が笑った。
「人間は放っておいても争うものだ。現に、あのボウガンの男を見ろ」
画面が切り替わる。
そこには、蓮たちを見失った久我拓真の姿が映っていた。
「……おや?」
男が身を乗り出す。
「どうやら、まだ終わっていないらしいぞ」
*
「……くそっ!」
久我拓真は、苛立ちに任せて近くの木を蹴りつけた。
蓮たちを見失ってから、しばらくが経っていた。
何度も周囲を探し回ったが、三人の姿はどこにもない。足跡を追おうにも、森の中は落ち葉や草が多く、途中で完全に分からなくなってしまった。
「あの野郎……!」
拓真は歯を食いしばった。
せっかく見つけたのだ。
以前、自分を地面へ押さえつけ、何でもないことのように立ち去った男。
あのときの屈辱は、今でも忘れていない。
思い出すたびに腹が立った。
だから、森の中でボウガンを手に入れたとき、真っ先に考えたのは復讐だった。
次に会ったら、絶対に殺してやる。
そう決めていた。
なのに。
「……また逃げやがって」
拓真は手元のボウガンを見下ろした。
矢は、残り一本。
最初に拾ったときには、もう少しあったはずだった。
だが、蓮たちを追いかけながら何本も撃ってしまい、気づけば最後の一本になっていた。
「……ちっ」
拓真は舌打ちした。
せめて一人くらい仕留めていれば、気も晴れたかもしれない。
しかし、三人とも逃げてしまった。
女の腕を掠めただけ。
それだけだった。
腹立たしい。
何もかもが腹立たしい。
そんなとき。
「……あ」
前方から、小さな声がした。
拓真が顔を上げる。
木々の向こうに、一人の男が立っていた。
痩せた身体。
頼りなさそうな肩。
少し長めの前髪が額にかかり、首には黒い首輪が巻かれている。
その顔を見た瞬間、拓真は思い出した。
「……お前」
以前、蓮と最初に遭遇した建物。
あの場所にいた、もう一人の男だった。
男の名前は、久我拓真も蓮も知らない。
だが、読者には分かる。
PLAYER07――榊原圭吾。
気弱そうな外見とは裏腹に、あのときは拓真を止めようとしていた男だった。
圭吾は拓真の手にあるボウガンを見て、顔を強張らせた。
「……あ、あの……」
「何だよ」
「その……また、会いましたね」
圭吾は無理に笑おうとした。
だが、拓真は笑わなかった。
「……そうだな」
低い声で答える。
圭吾は少しだけ後ずさった。
「ぼ、僕は別に……争うつもりは……」
「お前さ」
拓真が一歩近づく。
「この前、俺を止めたよな」
「え……?」
「あの建物で」
圭吾の顔から血の気が引いた。
「あ、あれは……その……」
「何だよ」
「……もう、やめた方がいいと思って……」
「やめた方がいい?」
拓真は笑った。
「俺が負けたからか?」
「ち、違います!」
「じゃあ何だよ!」
怒鳴られた圭吾が、びくりと肩を震わせる。
「僕は、ただ……誰も怪我しない方がいいと思って……」
「……は?」
拓真の表情が変わった。
「誰も怪我しない方がいい?」
「は、はい……」
「じゃあ、俺があいつに押さえつけられてたとき、お前は何してた?」
「……」
「見てただけだろ」
「ち、違……」
「俺があんな目に遭ってんのに、何もしなかったじゃねえか!」
圭吾は言葉を失った。
拓真は一歩、また一歩と近づく。
「お前も俺をバカにしてたんだろ」
「してません!」
「嘘つけ!」
「本当に……!」
圭吾は必死に首を振った。
だが、その態度が余計に拓真を苛立たせた。
弱々しい声。
怯えた表情。
何も言い返せない様子。
それら全てが、今の拓真には気に入らなかった。
「……そうかよ」
拓真はボウガンを持ち上げた。
圭吾の目が見開かれる。
「え……?」
「お前も同じだ」
「ま、待ってください……!」
圭吾は両手を上げた。
「僕、何もしてないです……!」
「だから何だよ」
「お願いです……! 撃たないで……!」
拓真は答えなかった。
ただ、ボウガンの先端を圭吾へ向けた。
圭吾は後ずさる。
その足が木の根に引っかかり、身体が大きくよろめいた。
「……っ!」
転びそうになりながらも、必死に体勢を立て直す。
だが、もう遅かった。
「……死ねよ」
拓真が引き金を引いた。
乾いた音が森に響いた。
放たれた矢は圭吾の胸へ突き刺さり、その衝撃で彼の身体が後ろへ倒れた。
「……あ……」
圭吾は何かを言おうとした。
だが、言葉にならない。
胸元から血が広がり、地面へ染み込んでいく。
拓真はその場に立ったまま、倒れた男を見下ろしていた。
「……」
圭吾の手が、わずかに動いた。
何かを掴もうとするように。
しかし、その指先は何も掴めないまま、やがて動かなくなった。
森に静寂が戻る。
拓真はしばらく動かなかった。
それから、手元のボウガンを見下ろした。
もう矢は残っていない。
最後の一本を使ってしまった。
「……ちっ」
舌打ちする。
「結局、あいつは殺せなかったか」
拓真は倒れた圭吾をもう一度見た。
先ほどまで自分に怯えていた男が、今はもう動かない。
それを見ても、期待していたほど気分は晴れなかった。
むしろ、蓮への苛立ちが残っていることが腹立たしかった。
「……次こそ」
拓真は呟いた。
「絶対に殺してやる」
そのとき。
ピッ。
腰に下げていた端末から、電子音が鳴った。
「……あ?」
拓真が端末を取り出す。
画面には、それまで表示されていなかった文字が浮かび上がっていた。
『SYSTEM MESSAGE』
拓真は眉をひそめた。
そして。
次の瞬間。
島にいる全ての参加者の端末が、一斉に鳴り始めた。
*
運営本部。
「……え?」
監視員の一人が声を漏らした。
画面の中では、PLAYER07の生体反応が消失していた。
その隣に、新たな表示が現れる。
『PLAYER07 死亡確認』
続いて。
『生存者数 14名』
監視員が息を呑む。
「統括……!」
呼びかけられた男は、会長の視察に備えた資料を確認している最中だった。
「何だ!」
「……最初の死亡者が出ました」
統括責任者の顔が強張る。
「誰だ」
「PLAYER07、榊原圭吾です。PLAYER03による攻撃で死亡しました」
「……そうか」
男はモニターへ視線を向けた。
画面には、森の中で倒れた圭吾の姿が映っている。
そのすぐ近くに、ボウガンを持った拓真が立っていた。
統括責任者は眉間を押さえた。
「……よりによって、このタイミングか」
会長が来る。
その連絡を受けた直後に、最初の死亡者が出た。
そして。
最初の死亡者が出たということは。
「……第二段階へ移行します」
監視員が報告した。
統括責任者は何も言わなかった。
モニターには、各参加者の端末へ新たな条件が送信されていく様子が表示されている。
第一段階とは違う。
今度は、誰かを殺すことや、他の参加者の生存を妨げることが条件になる。
協力すれば全員が助かる仕組みは、ここで終わった。
統括責任者は、九条澪の映るモニターへ目を向けた。
彼女はまだ、神谷蓮と小宮千尋の二人と行動をともにしている。
首には、黒い首輪。
そして。
これから送られる新たな条件。
男はその内容を知っていた。
「……まずい」
思わず声が漏れた。
会長の娘が、まだ首輪を外していない。
その状態で、第二段階が始まってしまった。
しかも会長は、まもなく視察に訪れる。
「……神谷蓮」
統括責任者は、画面の中の青年を見つめた。
「頼む……」
今度は、祈るような声だった。
「何とかしてくれ……」
その願いが届くはずもなく。
島の各所では、参加者たちが一斉に端末を取り出していた。
新たな条件を確認するために。
そして。
その中には、九条澪もいた。
彼女の端末にも、すでに第二段階の条件が表示されていた。
『2nd STAGE』
ゲームは、次の段階へ進んだ。




