第114話 夜の語らい
千尋の首輪を荷物の中へしまい、三人は再び森の中を歩き始めた。
次に目指すのは、澪の端末に表示されている指定の鍵だ。
千尋の条件を終わらせたことで、今度は澪のゲームクリアを優先する。それが三人で話して決めた次の行動だった。
とはいえ、すでに日は完全に落ちている。
端末の地図があるとはいえ、昼間と同じ速度で進むわけにはいかなかった。
蓮が先頭。
その後ろを澪。
最後に千尋。
少し前までとは順番が変わっている。
理由は単純だった。
「……千尋」
「なに?」
「何でそんなに楽しそうなんだよ」
「分かる?」
「分かるわ」
後ろから聞こえてくる足取りが明らかに軽い。
「だってさ」
千尋が自分の首元を撫でた。
「ないんだよ?」
「何が」
「首輪」
「知ってる。俺が持ってるからな」
「違う違う。そういうことじゃなくて」
千尋はまた首元へ触れた。
何度目だろう。
首輪が外れてから、気づけば同じことを繰り返している。
「今までずっと、ここにあったじゃん」
首を指差す。
「最初は重いし、気持ち悪いし、怖いし。ちょっと触るだけでも嫌だったのに、それが急になくなったから」
「まだ慣れない?」
澪が聞いた。
「慣れない。でも、いい意味で」
「いいなぁ」
澪が自分の首輪を触る。
「私も早く外したい」
「じゃあ鍵取りに行かないとね」
「うん」
「そのあと保管庫」
「うん」
「そしたら澪も仲間」
「何の?」
「首輪なし組」
「今のところ千尋一人だけだろ」
蓮が言う。
「じゃあ会員第一号」
「勝手に会を作るな」
「蓮も入ればいいじゃん」
「遠慮する」
「何で?」
「まだクリアしてない」
「じゃあクリアしたら」
「……考えとく」
本当は考えるまでもない。
自分の条件を達成したとしても、すぐに首輪を外すつもりはなかった。
少なくとも今は。
前回の経験が、それを止めている。
最初の死者が出たあと、条件そのものが変わった。
今回も同じだという保証はない。
だが、違うという保証もない。
首輪がある人間。
首輪がない人間。
その違いが、次の段階で何を意味するのか。
分からない以上、蓮は自分から選択肢を減らすつもりはなかった。
もっとも。
そんなことを後ろの二人へ説明すれば、また質問攻めに遭う。
特に澪には、自分が二度目の参加者だとまだ話していない。
今は余計なことを言わない方がいい。
「蓮」
「ん?」
「止まって」
澪の声に、蓮はすぐ足を止めた。
「どうした?」
「音」
蓮も耳を澄ませる。
風。
木の葉。
虫。
それとは別に。
微かな音が聞こえる。
一定ではない。
もっと柔らかい。
「……水か?」
「たぶん」
澪が答える。
千尋も耳を澄ませた。
「あっち?」
進行方向から少しだけ外れている。
蓮は端末を取り出し、地図を見る。
川のようなものは表示されていない。
だが、この地図には細かな地形まですべて記載されているわけではない。
「ちょっとだけ見に行く?」
千尋が言った。
「目的地と逆じゃない?」
澪が地図を覗き込む。
「大きくは外れない」
蓮は答えた。
「それに、水場の位置は覚えておいて損はない」
「さすが先生」
「だから先生はやめろ」
三人は音のする方向へ進んだ。
数分もしないうちに、森の密度が変わり始める。
木々の間隔が広くなり。
足元の傾斜が緩やかになり。
やがて。
木々の向こうに、黒い空とは違う暗さが見えた。
「……あ」
澪が小さく声を漏らす。
森を抜ける。
そこには――湖があった。
「うわぁ……」
今度は千尋だった。
三人とも、しばらく動かなかった。
大きな湖だった。
対岸は見える。
だが、夜のせいもあって距離感が掴みにくい。
森に囲まれた湖面は静かで、風が吹くたびに細かな波紋だけが広がっている。
そして。
その水面には、無数の光が揺れていた。
「星……」
澪が呟いた。
空を見上げる。
蓮もつられて顔を上げた。
満天の星だった。
街灯も。
家の明かりも。
車も。
この島には、夜空を邪魔する光がほとんどない。
黒い空に、数え切れないほどの星が散らばっている。
それが湖にも映り込んでいた。
上にも星。
下にも星。
まるで二つの夜空に挟まれているようだった。
「……綺麗」
澪が言った。
その一言だけは、いつもの好奇心に満ちた声よりずっと静かだった。
「こんな場所あったんだ」
千尋も湖へ近づいていく。
「近づきすぎるなよ」
「分かってるって」
そう答えながらも、千尋は湖畔ぎりぎりまで進み、そこで立ち止まった。
風が吹く。
髪が揺れる。
千尋は目を閉じた。
そして。
「うーん!」
突然、両腕を大きく空へ伸ばした。
背筋を思い切り反らす。
「やっぱり首輪がないと爽快だねー!」
静かな湖畔に、千尋の声が響いた。
蓮は呆れて彼女を見る。
「……さっきまで認証するの怖がってた奴とは思えないな」
「外れたんだからいいの」
「切り替え早すぎだろ」
「ずっと怖がってても仕方ないでしょ」
千尋は首を左右へ動かした。
「ほら。軽い」
「そりゃ首輪一個分なくなったからな」
「蓮も早く外せば?」
「だから、まだクリアしてない」
「クリアしたらね」
「……まあな」
曖昧に返す。
すると。
「うーん!」
すぐ近くから同じ声がした。
「……」
蓮が振り向く。
澪だった。
千尋と同じように、両腕を高く上げている。
顔まで少し上へ向け、夜空へ向かって背伸びをしていた。
「……何してる」
「真似」
「お前、首輪ついてるだろ」
「気分だけ」
「意味ないだろ」
「あるよ」
「何が」
「爽快」
「首輪ついてるのに?」
「気持ちの問題」
「そうそう!」
千尋が嬉しそうに澪の隣へ並ぶ。
「澪、分かってるね」
「ね」
「何でそこで意気投合してるんだよ」
二人が笑う。
蓮は呆れながらも、その場を離れることはなかった。
「ねえ、少しだけここにいようよ」
千尋が言った。
「また休憩か?」
「違う」
「じゃあ何だ」
「星を見る時間」
「休憩だろ」
「違うよね?」
千尋が澪を見る。
「違う」
「何が違うんだ」
「気分」
「またそれかよ」
結局。
蓮も湖畔の草の上へ腰を下ろした。
千尋。
澪。
少し間を空けて蓮。
三人で湖を見る。
風が気持ちいい。
水面に映った星が、波に合わせてゆっくりと揺れている。
「すごいね」
澪が言った。
「写真撮りたい」
「スマホないもんね」
「うん」
「端末にカメラないの?」
千尋が自分の端末を触る。
「ないだろ」
蓮が言った。
「ケチ」
「運営に言え」
「蓮から言っといて」
「何で俺が」
「先生だから」
「だから違うって」
澪が笑った。
「蓮なら言えそう」
「何をだよ」
「カメラ付けろって」
「次のゲームから端末にカメラ付いたら嫌だろ」
「次のゲームなんかあってほしくないよ」
千尋が笑いながら言った。
蓮は、一瞬だけ黙った。
――ある。
そう思った。
このゲームが終わっても。
きっと次がある。
前回のあとにもゲームは続いていた。
中央広場に増えていた死体が、それを証明している。
けれど。
今、それを言う必要はない。
「……そうだな」
それだけ返した。
澪が湖面を見つめている。
「私、こんなところ来たことないかも」
「湖?」
「こんなに星が見える湖」
「私も」
千尋が答える。
「旅行とか行かないの?」
「行くけど、こういう場所はあんまり」
「友達多そうなのに」
「多いよ」
「やっぱり」
「でも普通に遊びに行くくらい。買い物とか、カラオケとか」
「高校生だねぇ」
「千尋だってそんなに変わらないでしょ」
「大学生は大人です」
「そうなの?」
「そうです」
「自分で言う奴は大人じゃないだろ」
蓮が言った。
「プー太郎に言われたくない」
「お前、それいつまで使う気だ」
「飽きるまで」
千尋が笑う。
澪も笑った。
その笑い声を聞きながら。
蓮はふと、二人から目を離した。
湖を見る。
星を見る。
その場だけを切り取れば。
誰がここを、デスゲームの舞台だと思うだろう。
湖畔。
星空。
楽しそうに話す二人。
少し離れて座る自分。
絶景スポットへ遊びに来たような。
友人同士で夜景を見に来たような。
あるいは。
誰かとデートにでも来たような。
そんな、どこにでもありそうな光景だった。
本来なら。
何も特別ではない。
綺麗な景色を見つければ足を止める。
くだらない話をして笑う。
友達と夜まで遊べば、こんな時間だってあるのだろう。
普段なら、ありふれている。
だからこそ。
ここでは、不自然だった。
蓮と澪の首には、今も黒い首輪がある。
千尋から外れた首輪は、蓮の荷物の中に入っている。
島のどこかには他のPLAYERがいる。
何を考えているのか。
どんな条件を与えられているのか。
分からない。
誰か一人が死ねば。
また。
全てが変わるかもしれない。
なのに。
「蓮、見て」
澪が夜空を指差した。
「何だ」
「あれ。すごく明るい」
「どれだよ」
「あれ」
「いっぱいあるだろ」
「私の指の先」
「指しか見えねえよ」
「蓮、星見るの下手だね」
「星を見るのに上手い下手なんかあるのか?」
千尋が吹き出した。
「蓮、ロマンないなぁ」
「何で星一個見つけられないだけでそこまで言われるんだよ」
「あれだって。あれ」
「だから分からん」
「ほら、澪。蓮には無理だよ」
「残念」
「何で俺が残念な奴みたいになってるんだ」
二人がまた笑った。
蓮は呆れながら、夜空を見上げる。
――前は、こんな感じじゃなかったな。
自然と。
前回の島が頭に浮かんだ。
詩織。
佳子。
そして。
莉奈。
もちろん。
笑わなかったわけではない。
くだらない会話だってした。
一緒に食事をした。
助けられた。
救われた。
失いたくないと思った。
大切な時間だった。
今でも、そう思う。
けれど。
前回はもっと、空気が張り詰めていた。
誰を信用していいか分からなかった。
自分の条件を話していいのかも分からない。
他人の条件が、いつ自分へ向くのかも分からない。
蓮自身、何も知らなかった。
余裕などなかった。
詩織も。
佳子も。
それぞれが恐怖を抱えていた。
莉奈は――。
今なら分かる。
笑っているときでさえ。
あいつは別のものを抱えていた。
GAME MASTERとしての役目。
蓮には話せないこと。
自分の条件。
そして、きっと。
それ以外にも。
だから。
同じ島なのに。
同じエクストラバレットなのに。
今は違って見える。
自分が二度目だから。
それだけではない。
きっと。
この二人だからだ。
小宮千尋。
明るく。
よく喋り。
怖いものは怖いと言うくせに、それだけに飲み込まれない。
首輪を外す直前まで怯えていたのに、外れた途端、湖に向かって両手を伸ばして笑っている。
九条澪。
穏やかで。
好奇心が強く。
気になったものには素直に目を向ける。
千尋が馬鹿なことを始めれば、面白そうだというだけで一緒になってやる。
たぶん。
片方だけでは、こうはならなかった。
二人の性格が重なったから。
こんな場所に。
こんな空気が生まれている。
「……変な感じだな」
無意識に言葉が漏れた。
「何が?」
千尋が振り向いた。
「いや」
「また何でもないって言うつもり?」
「……」
「ほら」
澪まで笑う。
「蓮、何でもないってよく言うよね」
「お前ら、妙なところで仲良くなるな」
「じゃあ何が変なの?」
千尋が聞く。
蓮は少し迷った。
前回のことを詳しく説明する気はない。
澪には、自分が二度目の参加者であることすら話していない。
「……星が綺麗だと思っただけだ」
一瞬。
二人が黙った。
「何だよ」
「蓮が?」
千尋が言った。
「悪いか」
「いや……意外」
「私も」
澪まで頷く。
「お前ら俺を何だと思ってるんだ」
二人が顔を見合わせた。
そして。
「プー太郎」
声が重なった。
「帰るぞ」
「あはは! ごめんって!」
「待って、蓮」
立ち上がろうとした蓮の服を、千尋が軽く引いた。
「冗談だって」
「澪まで言っただろ」
「だって本当だし」
「澪、お前まで……」
三人の笑い声が、静かな湖畔へ広がった。
あまりにも。
この島には似つかわしくない声だった。
*
湖畔を離れたのは、それから少ししてからだった。
もっと眺めていたそうな千尋と澪を急かし、蓮は再び先頭を歩く。
夜はさらに深くなっている。
さすがに、このまま澪の鍵まで向かうのは危険だった。
「今日はどこかで休むぞ」
蓮が言う。
「賛成」
千尋が即答した。
「私も」
澪も続く。
「できれば建物がいいな」
「ホテルとか?」
千尋が言う。
「あるわけないだろ」
「旅館」
「もっとない」
「コテージ」
「何でだんだん旅行になってるんだよ」
「湖見たから」
「単純だな」
そう言いながら進んでいたときだった。
「あれ」
澪が足を止める。
木々の間を指差した。
暗闇の中。
何かがある。
蓮はすぐに二人を止めた。
「ここにいろ」
一人で近づく。
輪郭が見えてくる。
建物だった。
木造。
それほど大きくはない。
森の中にぽつんと建つ、古い山小屋のような建物。
「本当にコテージあった」
後ろから千尋の声がした。
「来るなって言っただろ」
「まだ行ってないよ」
「声が近いんだよ」
蓮は周囲を確認する。
窓。
入口。
裏手。
誰かがいる気配はない。
扉には鍵もかかっていなかった。
慎重に開ける。
中は暗い。
端末の明かりで照らす。
簡素な室内だった。
古いテーブル。
椅子。
壁際には簡易ベッド。
奥にも小さな部屋がある。
埃はある。
だが、雨風を防ぐには十分だった。
蓮は中を一通り確認し、裏口や窓も調べる。
他のPLAYERが潜んでいる様子はない。
ようやく外へ戻った。
「今日はここだ」
「やった!」
千尋が両手を上げる。
「ホテルじゃなかったね」
澪が言う。
「私にはコテージに見える」
「どこがだよ」
「湖の近くだし」
「古い山小屋だろ」
「雰囲気の問題」
「お前、今日そればっかりだな」
三人は山小屋へ入った。
扉を閉める。
外の風の音が少し遠くなった。
蓮は荷物を下ろしながら、窓の位置を確認する。
出入口。
逃げ道。
外から見える範囲。
もし誰かが近づいてきた場合、どこから気づけるか。
「また始まった」
千尋が言った。
「何が」
「蓮の安全確認」
「必要だろ」
「先生だからね」
「違う」
「プー太郎なのにね」
「寝床なしにするぞ」
「ごめんなさい」
千尋は即座に謝った。
澪が笑う。
蓮は呆れながらも、窓の外へ視線を向けた。
今夜はここで休む。
ただし。
三人全員が同時に眠るつもりはない。
「俺が最初に見張る」
蓮が言った。
「交代は?」
千尋が聞く。
「あとで起こす」
「私もやる」
澪が言った。
「お前は寝ろ」
「何で?」
「高校生だから」
「千尋だって大学生じゃん」
「私は大人だから」
「数年しか違わないよ」
「大人です」
「自分で言う奴は――」
「大人じゃないって言うんでしょ、蓮」
「……先に言うな」
千尋が笑う。
澪も笑った。
山小屋の中に、また二人の声が響く。
蓮はその声を聞きながら、入口近くの壁へ背を預けた。
夜はまだ長い。
湖畔で見た星は。
小さな窓の向こうからも、変わらず輝いている。
そしてその夜。
三人の距離は――もう少しだけ、変わることになる。




