第109話 都市伝説
「都市伝説があるんだって」
澪がそう言うと、千尋は抱えていた白い箱を少し持ち直しながら彼女を見た。
「都市伝説?」
「うん。最初は本当にそれだけだったの。友達が学校で急にそんな話を始めて」
「エクストラバレットの?」
「そのとき初めて名前を聞いた」
澪は歩きながら、少し懐かしそうに笑った。
「『エクストラバレットっていう、人生一発逆転ゲームがあるんだって』って」
蓮は黙って聞いていた。
「人生一発逆転……」
千尋が呟く。
「そう。参加してゲームをクリアできたら、ものすごい大金が手に入るんだって。それで友達が、すっごい楽しそうに話すの」
「信じてたの?」
「結構本気で」
澪が笑う。
「でも都市伝説だからさ。そこはほら……エレベーターで異世界に行くとか、ひとりかくれんぼとか、そういうのと同じ感じかなって思ったんだ」
「ああ……」
千尋も納得したらしい。
「そういう系ね」
「そうそう。私も最初は『また変なの見つけてきたなあ』くらいだったんだけど」
そこで澪は思い出したのか、堪えきれないように笑い始めた。
「その子がさ、本気にしてるくせに何にも知らないの」
「どういうこと?」
「『どこでやってるの?』って聞いたら、『知らない!』って」
「うん」
「『どうやったら参加できるの?』って聞いても、『それも分かんない!』」
「何も分かってないじゃん」
「でしょ?」
澪が楽しそうに笑う。
「なのに、『私たちで見つけたらすごくない!?』って言うんだよ?」
その友人の声を真似しているのか、普段より少し明るい口調になる。
「『ね! もし本当にあったらどうする!?』って。私が『どうするって言われても』って答えたら――」
澪はもう一度笑った。
「『大金入ったら、いっぱいお化粧買ったり、オシャレしたり、やりたいことたくさん! たまんないー!』って」
千尋が吹き出した。
「かわいい」
「でしょ? もう、おかしくておかしくて」
澪は本当に楽しそうだった。
「だから私も『じゃあ探してみる?』って」
「乗ったんだ」
「だって面白そうだったから」
「澪も大概じゃない?」
「そのときは本当に都市伝説だと思ってたんだって」
「それでも普通は探さないと思う」
「えー」
不満そうな澪の声に、千尋が笑う。
二人の会話を聞きながら、蓮は前を歩いていた。
澪がエクストラバレットを知った理由。
そこに大したものはなかった。
誰かから秘密の情報を与えられたわけでもない。
運営と接触したわけでもない。
学校で友達と話した。
ただ、それだけ。
少なくとも始まりは、本当にどこにでもある女子高校生の会話だったらしい。
「でもさ」
千尋が言った。
「その友達、今この状況見たら絶対そんなこと言わないよね」
「……うん」
澪の笑顔が、ほんの少しだけ曇った。
無意識に首輪へ触れる。
「私も」
短い言葉だった。
「本当にあるなんて思わなかった」
その声を最後に、三人の間から笑い声が消えた。
夜の森を歩く足音だけが残る。
しばらくして、蓮が前方へ目を向けたまま口を開いた。
「……で?」
「ん?」
「それだけじゃないんだろ」
「何が?」
「都市伝説を聞いた。それで終わってたなら、お前はさっき『調べるのが好き』なんて話をしない」
澪が目を丸くする。
「よく覚えてるね」
「話したの十分くらい前だぞ」
「蓮って人の話ちゃんと聞いてるんだ」
「お前、俺を何だと思ってる」
「プー太郎」
千尋が耐えきれずに笑った。
「お前らそれいつまで引っ張るんだよ」
「だって蓮が自分で言ったんじゃん」
「事実を言っただけだ」
「毎日寝て起きてゴロゴロして、たまに散歩だっけ?」
澪まで正確に覚えている。
「そうだよ」
「やっぱりプー太郎だ」
「だからそう言ってるだろ」
「なんでちょっと偉そうなの?」
千尋が若干引いたような顔をする。
「改めて聞くと、本当に何もしてないんだね……」
「生きてる」
「最低限すぎるでしょ」
澪がまた笑った。
その笑い声を聞きながら、蓮は少しだけ息を吐く。
「それで、九条」
「澪でいいよ」
「……澪」
「うん」
「結局、調べたんだろ?」
「調べたよ」
「友達と?」
「最初はね」
澪は少し嬉しそうに答えた。
「放課後に二人で検索したりして。『これじゃない?』とか『絶対嘘じゃん』とか言いながら」
「楽しそう」
「楽しかったよ」
「怖くなかった?」
「全然。だってそのときは、本当に都市伝説だと思ってたから」
澪は夜空を見上げた。
「むしろ、見つからない方が面白くなってきちゃって」
「どういうこと?」
「探しても探しても、ちゃんとした情報が出てこないの」
「普通、そこで諦めない?」
「私は逆だった」
澪が笑う。
「ないって言われると、あるかどうか確かめたくなるじゃん」
「ならないよ」
千尋が即答した。
「なるよ」
「ならないって」
「なるって」
「お前ら歩きながら喧嘩するな」
蓮が間へ入ると、澪が頬を膨らませた。
「だって千尋が」
「澪が変なんだよ」
「千尋だってこんなゲームで知らないプー太郎についてきてるじゃん」
「……それ言われると反論できない」
「俺を基準にするな」
そんな会話を続けながら、三人は千尋の納品地点を目指した。
九条澪を見つけた以上、これ以上千尋の条件を後回しにする必要はない。
むしろ、できるうちに終わらせるべきだった。
日が落ち、周囲は完全に暗くなりつつある。
千尋の条件達成地点までは、もうそれほど遠くない。
だが、白い箱を抱えて歩き続けていた千尋の足取りにも、少しずつ疲労が見え始めていた。
「千尋」
「ん?」
「一回休むぞ」
「もう近いんじゃないの?」
「近いからだ。無理して最後に転ぶ方が馬鹿らしい」
「私、そんなに疲れて見える?」
「見える」
「……じゃあ休む」
「素直だな」
「疲れてるから」
近くにあった建物を見つけ、蓮が先に中を確認する。
荒れてはいる。
だが、人はいない。
争った形跡もない。
「入っていい」
三人が中へ入ると、千尋は真っ先に古い机の上へ医療物資を置いた。
「重かったぁ……」
「だから貸せって言っただろ」
「これは私の条件だから自分で運ぶの」
「休憩中は置くんだな」
「休憩だからね」
「よく分からんこだわりだな」
澪も荷物を下ろし、壁際へ腰を下ろす。
千尋はその近くに座った。
蓮は入口や窓を一通り確認してから、二人と少し離れた場所へ腰を下ろす。
「それで?」
千尋が水を飲みながら澪を見る。
「エクストラバレット探し、どうなったの?」
「ん?」
「さっきの続き」
「ああ」
澪は膝を抱えた。
「最初は友達と遊び半分で調べてたんだけど、そのうち友達の方が飽きちゃった」
「言い出した本人なのに?」
「そうなの!」
澪がまた笑い出す。
「『全然見つかんないからつまんない!』って」
「自由だね、その子」
「ほんとにね。でも、その頃には私の方が気になっちゃってたんだ」
「だから一人でも続けた?」
「うん」
澪は悪びれる様子もなく頷いた。
「ネットで探して、昔の書き込み見たり。それでもよく分からないから、図書館にも行った」
「そこまでやったの?」
「だって――」
澪は当然のように答えた。
「本当にないのか、確かめたくなったから」
千尋が少し呆れた顔をする。
「好奇心って怖いね……」
「そんなに?」
「そんなに」
澪は納得していないようだった。
蓮は二人の会話を聞きながら、黙って澪を見ていた。
始まりは、本当にくだらないものだった。
友達との放課後の雑談。
人生一発逆転ゲーム。
見つけたら大金持ち。
化粧品を買いたい。
オシャレをしたい。
ただそれだけ。
女子高校生二人が笑いながら話した、ありふれた都市伝説。
なのに。
その片方は今、本当にエクストラバレットの中にいる。
首には爆発物を巻かれ、命を懸けた条件を与えられて。
澪は自分の首輪へ触れた。
「……友達に言ったら、信じるかな」
誰もすぐには答えなかった。
やがて千尋が、少しだけ笑う。
「帰って話せばいいじゃん」
「……うん」
「『本当にあったよ』って」
「絶対びっくりする」
「それで、大金入ったらお化粧いっぱい買うんでしょ?」
「それは友達の夢だよ」
「澪は?」
「私?」
「賞金もらったら何する?」
「うーん……」
澪は本気で考え始めた。
その横顔を見ながら、蓮は何も言わなかった。
帰ってからの話をする。
それでいい。
少なくとも今は。
ここから生きて帰ることを、三人とも当然の前提にしていればいい。
千尋の納品地点は、もうすぐそこにある。
まずは一つ。
目の前にある首輪を外す。
蓮は壁に背を預けながら、静かに目を閉じた。
短い休憩が終われば、再び歩き出す。
そしてその先で、千尋の条件を終わらせる。
今夜はまだ、始まったばかりだった。




