第10話 誰が試す?
「……挿してみる?」
白石の問いに、誰もすぐには答えなかった。
葵の掌には、小さな黒い部品が載っていた。片側の金属端子は、端末の側面にある差し込み口とよく似ている。草むらの画面には、変わらず《アップグレードデータを検出できません》と表示されていた。
「やめた方がいい」
高橋が言った。
「何で?」
「誰の端末か分からない」
「だから、これで試せばいいんじゃない?」
「元の状態が分からなければ、何が変わったのかも確かめられないだろ」
白石は口を開きかけ、それから画面へ目を戻した。
「……ああ、そういうことか」
蓮も頷いた。
この端末が正常に動いているのかどうかさえ、分からない。黒い部品を挿して表示が変わったとしても、追加された機能なのか、元からあったものなのか、判断できるのは持ち主だけだった。
「だったら、誰かの端末で試す?」
佳子が言うと、白石は反射的に自分の端末を胸元へ引き寄せた。
「……俺たちの?」
「そうなるね」
「いや、それは怖いって」
「さっきは挿してみようって言ったじゃない」
「あれは俺のじゃないから……」
言いかけて、白石は口をつぐんだ。詩織が横から見ていた。
「最低」
「いや、でも、怖いのは普通だろ?」
白石は弁解したが、佳子は呆れたように息を吐いた。
蓮も、自分の端末を差し出す気にはなれなかった。新しい情報が得られるだけならいい。だが、そうだと分かる説明はどこにもなかった。
「今ある情報が消えるかもしれない」
高橋が言った。
「壊れることも、あるよね……」
詩織が手元へ目を落とした。
亀裂の入った画面を見て、誰もすぐには言葉を返せなかった。端末を失えばどうなるのか、彼女の姿を見て分かっていた。地図やルールはほかの者に見せてもらえても、自分のクリア条件までは確かめられない。
「俺はやらない」
白石が言った。
「まだ頼んでないけど」
「先に言っとく」
佳子とのやり取りを聞いていた高橋が、首を振った。
「故障だけが問題じゃない。誰か一人の端末で試せば、そいつだけが情報を得ることになる」
「見せてもらえばいいじゃん」
「見せる保証は?」
白石が黙った。
「クリア条件すら、共有してないんだぞ」
蓮は端末を持ち直した。
自分も条件を話していない。《H》という文字も伏せたままだった。誰かが新しい情報を手に入れたとして、それをすべて話しているのか、こちらには確かめようがない。
「みんなで見てる前でやれば?」
詩織が提案した。
「試すときだけ、全員で画面を見るの。そしたら、新しい情報が出ても分かるでしょ」
「本人しか見る必要のないものまで、出るかもしれない」
黒田が言った。
詩織は「あ……」と小さく声を漏らした。佳子も少し考え、腕を組んだ。
「それは困るね」
「俺も嫌だ」
白石が答えた。高橋も異論を挟まなかった。
「じゃあ、本人が確認してから、見せられるところだけ見せる?」
佳子が言うと、蓮は首を振った。
「それだと、隠したかどうか分からないって話に戻る」
「じゃあ、どうするのよ」
「だから考えてる」
「蓮って、時々面倒くさいね」
「お前に言われたくない」
二人が見合うと、詩織が小さく呟いた。
「……仲いいね」
「よくない」
声が重なり、白石が吹き出した。佳子は蓮から顔を背け、蓮も画面へ視線を戻した。
そのとき、それまで黙っていた葵が言った。
「私がやる」
全員が彼女を見た。
「これを拾ったのは私だから。私の端末で試す」
「待て」
高橋が止めた。
「拾ったことと、試すことは別だ」
「じゃあ、誰がやるの?」
「それを決めてる」
「誰もやらないんでしょ。だったら、私でいいじゃない」
葵は黒い部品をつまみ、自分の端末を持ち上げた。高橋の視線が、その手元へ向いた。
「お前には任せられない」
葵の動きが止まった。
「……何それ」
「最初は、その部品を隠してたんだろ」
「拾ったものを持ってただけ」
「聞かれても見せなかった」
「知らない人に、いきなり見せるわけないでしょ!」
葵の声が強くなった。
「自分たちだって、クリア条件は隠してるじゃない。何で私だけ責められなきゃいけないの?」
「そういう話じゃない」
「同じでしょ」
「二人とも、やめろ」
蓮が間に入った。葵は高橋から視線を外し、今度は蓮を見た。
「蓮はどう思うの。私がやるの、反対?」
すぐには答えられなかった。
佳子も黒田も、こちらを見ていた。蓮が決めれば全員が納得するとは思えなかったが、黙っていれば葵と高橋の言い合いが続くだけだった。
「一つ確認したい。お前の端末は、普通に動いてるんだな?」
「動いてる」
「クリア条件も確認できる?」
葵がわずかに眉を寄せたので、蓮は付け加えた。
「内容を聞いてるんじゃない。使える状態かどうかだ」
「……見られる。地図もルールも、普通に出る」
蓮は頷いた。
「部品がお前の端末のそばにあったなら、一緒に置かれていた可能性はあると思う」
「葵のために用意されたってこと?」
佳子が尋ねた。
「そうかもしれない。ただ、それだけじゃ分からない」
「端末のアルファベットは? 関係あるかもしれないよね」
詩織の問いに、蓮は黒い部品へ目を向けた。
「ああ。だから、まだ挿さないでくれ」
「私がやるって言ってるのに?」
「その前に確かめたい。差し込み口は、全員の端末にあるのか?」
蓮が自分の端末を横へ向けると、ほかの者も側面を調べ始めた。佳子がすぐに見つけ、続いて白石も指先で小さな口を示した。高橋と黒田、葵の端末にも、同じ位置にあった。
詩織も壊れた端末を持ち上げた。外側から見える範囲では、そこにも同じ形の差し込み口が残っていた。
「全部あるね」
佳子が言った。
「少なくとも、葵のものだけにあるわけじゃない」
蓮の言葉に、葵は手元を見下ろした。
共通の差し込み口があるからといって、どの端末でも使えるとは限らない。だが、葵のそばに落ちていたという理由だけで、彼女専用だと考えることもできなかった。
「結局、誰が試すんだ?」
白石が尋ねた。
また誰も答えなかった。端末を確かめる手が止まり、互いの顔へ視線が動いた。
「……私のが動けばよかったのに」
詩織が呟いた。
「もう壊れてるんだから、私ので試せたらよかったでしょ」
「電源が入らないと、変わったかどうかも分からないからね」
佳子が静かに返した。
「うん。分かってるけど……」
詩織はひび割れた画面を撫でた。
蓮は草むらの端末へ目を戻した。誰かが試さなければ分からないことはある。だが、分からないことを今すぐ確かめなければならないわけではなかった。
水も食料も確保していない。持ち主を探すために森へ入り、戻ってからも、この場で話し続けていた。
「今日は挿さないでおこう」
蓮が言うと、白石が顔を上げた。
「え、やめるの?」
「今は、ほかに先にやることがあるだろ」
蓮は地図を開いた。調べに行くつもりだった建物が、画面に表示された。
「水と食料だ。まず、それを探そう。使う端末も、試し方も、まだ決まってない。取り返しがつかなくなるかもしれないことを、ここで急いで決めたくない」
黒田が頷いた。
「それでいい」
高橋も反対しなかった。葵は不満そうに部品を見ていたが、やがて端末を下ろした。
「……分かった」
「なくさないでくれ。それと、勝手に挿さないでほしい」
葵が顔を上げた。
「信用してないの?」
「まだな」
蓮が答えると、葵の目が険しくなった。
「葵だけじゃない。ここにいる誰のことも、まだよく知らない」
佳子の口元から笑みが消え、白石も黙った。詩織は端末をバッグへしまいながら、蓮を見ていた。
「一緒に動きたくないって意味じゃない。でも、何をするかは先に話してくれ。俺もそうする」
葵はしばらく蓮を見つめ、それから黒い部品をしまった。
蓮はもう一度、地図を確かめた。
七人も集まれば、できることは増えるはずだった。だが、一つの部品をどう扱うか決めるだけでも、これほど時間がかかる。互いの事情を知らないまま協力する難しさを、ようやく実感し始めていた。
それでも、今は水と食料が必要だという点では一致している。蓮が画面を傾けると、佳子と黒田が覗き込み、少し遅れて白石も近づいてきた。
葵も、その場を離れようとはしなかった。




