第102話 散策
中央広場を離れてから十分ほど経っても、小宮千尋は蓮の後ろをついてきていた。
最初のうちは、どこかで別れるつもりなのだろうと思っていた。ところが蓮が森へ入っても、細い山道へ進んでも、背後から聞こえる足音はいっこうに離れない。
振り返れば、千尋は数メートル後ろを歩いている。
「……いつまでついてくるんだ?」
「いつまでって?」
「俺は自分のクリア条件をやりに行くんだぞ」
「うん」
「お前にも条件があるだろ」
「あるよ」
「だったらそっち行けよ」
「あとで行く」
あまりに当然のように返され、蓮は眉を寄せた。
「時間制限があるかもしれないだろ」
「私のは今すぐじゃなくても大丈夫そうだから。それより、一人で歩く方が怖い」
千尋はそう言いながら、自分の首輪へ触れた。
明るく振る舞ってはいるが、恐怖を感じていないわけではないらしい。
考えてみれば当然だった。
目を覚ませば知らない島にいて、首には爆発物が取り付けられている。端末に表示されたルールだけを頼りに、生き残る方法を探さなければならない。
半年前の自分も同じだった。
だからといって信用するつもりはなかったが、千尋が一人になることを嫌がる理由くらいは理解できる。
「邪魔はするなよ」
「それって、一緒に行っていいってこと?」
「勝手についてくるんだろ」
「じゃあ決まりね」
千尋は嬉しそうに歩調を速め、蓮の隣までやってきた。
「よろしく、蓮」
「神谷」
「まだ言ってる」
「お前が直せ」
千尋が笑う。
中央広場で死体の山を目にした直後とは思えない明るさだった。
蓮は横目で彼女を見る。
無理をしているのかもしれない。
あるいは、本当にこういう性格なのか。
まだ分からない。
「ねえ」
「今度は何だ」
「蓮って方向感覚いい?」
蓮の足が、ほんの僅かに鈍った。
「なんで?」
「さっきから全然地図見てないじゃん」
「……大体の方向は確認した」
「でも分かれ道でも迷わなかったよね」
思ったより見ている。
蓮は端末を取り出し、わざと地図を表示した。
「一本道みたいなもんだろ」
「そうかなあ」
「そうなんだよ」
「ふーん」
千尋は納得していない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
蓮は画面を見ながら歩き続ける。
実際には地図など必要なかった。
この先に小さな沢がある。
そこを越えると道が二つに分かれ、右へ行けば古い建物、左へ進めば山の奥へ続く。
半年前に歩いた。
それも一度ではない。
だが、それを千尋へ話すつもりはなかった。
前回、古瀬聡子を普通の参加者だと思って行動を共にした。その記憶がある以上、初対面の人間へ自分の情報を渡す気にはなれない。
もし千尋がゲームマスターなら。
もし運営側の人間なら。
自分が二度目だと知られた瞬間、相手の動き方が変わる可能性もある。
運営そのものは当然知っている。
だが、ゲームマスターまで参加者の情報をすべて共有されているわけではないことは、莉奈から聞いていた。
ならば黙っている価値はある。
「蓮」
「ん?」
「水の音しない?」
千尋に言われるより前から気づいていた。
少し先に沢がある。
「するな」
「行ってみようよ。水、持ってないでしょ?」
「飲めるとは限らないぞ」
「見るだけ見るだけ」
千尋が先に進もうとする。
「待て」
蓮は反射的に腕を掴んだ。
「え?」
「走るな」
「なんで?」
答えかけて、蓮は口を閉じた。
前回の記憶が頭をよぎったからだ。
物資。
武器。
罠。
禁止区域。
この島では、何かがありそうだからと無警戒に近づく行動が命取りになる。
「何があるか分からないだろ」
結局、それだけを言った。
「端末の地図を確認してから動け」
「ああ……そっか」
千尋は素直に端末を取り出した。
「禁止区域とかあるもんね」
「そういうこと」
二人で地図を確認し、問題がないことを確かめてから沢へ向かった。
木々の間を抜けると、小さな流れが見えてくる。
やはり。
前回と同じ場所だった。
蓮は表情に出さないよう注意しながら周囲を確認する。
大きな岩。
倒れた木。
沢の向こうへ続く斜面。
半年という時間が経っているため細かな部分は変わっているが、地形そのものは記憶と一致している。
「水だー」
千尋がしゃがみ込んだ。
「飲むなよ」
「まだ飲まないって」
「絶対飲みそうだっただろ」
「失礼だなあ」
そう言いながらも、千尋は手を引っ込めた。
「でも喉渇いた」
「物資を探せば水くらいある」
「どこに?」
「……知らない」
危うく答えそうになった。
千尋が蓮を見る。
「今、知ってそうな間だったけど」
「気のせいだ」
「蓮って嘘下手?」
「お前がしつこいんだよ」
「じゃあ何か隠してるんだ?」
笑いながら言われた言葉に、蓮は返事をしなかった。
千尋もそれ以上は聞かなかった。
その距離感だけは意外だった。
よく喋るし、遠慮もない。
けれど、本当に触れられたくない部分まで無理やり踏み込んでくるわけではないらしい。
二人は沢を離れ、再び森へ入った。
しばらく歩いたところで、蓮は足を止めた。
前方にある木の幹。
その根元付近の土が、不自然に崩れている。
「どうしたの?」
「静かに」
蓮が声を落とすと、千尋も口を閉じた。
しゃがみ込み、地面を見る。
靴跡がある。
一つではない。
少なくとも二人。
しかも、それほど古くない。
千尋も気づいたらしく、さっきまでの明るい表情を消した。
「……誰かいる?」
「いた、だな」
「二人?」
「たぶん」
蓮は周囲を見る。
枝が折れている。
草も踏まれている。
足跡は森の奥へ続いていた。
自分たち以外のPLAYERが、すでに合流している。
ゲーム開始からどれほど経ったのか正確には分からないが、参加者たちは確実に動き始めていた。
「追う?」
「追わない」
即答した。
「なんで?」
「相手が二人とは限らない。武器を持ってるかもしれない。わざわざ追いかける理由がない」
「でも話せば協力できるかも」
「できるかもしれないな」
「じゃあ――」
「逆もある」
蓮が千尋を見ると、彼女は黙った。
「俺たちは、あいつらの条件を知らない」
まだ1stステージ。
この段階なら殺害条件はない可能性が高い。
少なくとも自分の条件はそうだった。
だが、全員が同じとは限らない。
前回の経験を、そのまま今回へ当てはめるわけにはいかなかった。
「……蓮って、本当に慎重だね」
「死にたくないだけだ」
「私も死にたくない」
「だったら覚えとけ。知らない奴を見つけたからって、すぐ近づくな」
「はーい」
「軽いな」
「でも覚えたよ」
千尋は足跡を一度見てから、蓮の隣へ戻ってきた。
「じゃあ追わない。蓮についてく」
「結局それか」
「だって慎重な人についてった方が長生きできそうじゃん」
その言葉に、蓮は苦笑しかけた。
だが。
胸の奥に引っかかるものがあった。
前回。
自分のそばにいた人間の全員を守れたわけではない。
莉奈も。
守れなかった。
「……俺と一緒だから安全とは限らないぞ」
思わず口にした。
千尋が蓮を見る。
「知ってるよ」
意外にも、返ってきた声は静かだった。
「ここにいる時点で、安全な人なんていないでしょ」
「…………」
「だから一人よりマシってだけ」
そう言った直後には、いつもの笑顔へ戻っていた。
「それに蓮、なんか頼れそうだし」
「その評価は早すぎる」
「じゃあ保留にしとく」
「そうしてくれ」
二人は足跡とは別の方向へ進んだ。
やがて木々が少なくなり、古い建物の屋根が見え始める。
蓮は立ち止まった。
端末を取り出し、地図と現在地を照らし合わせる。
間違いない。
自分のクリア条件に指定されている回収地点だった。
「ここか……」
「蓮の目的地?」
千尋が覗き込もうとする。
蓮は端末を伏せた。
「見るな」
「ケチ」
「条件は教えないって言っただろ」
「はいはい」
建物は平屋で、窓の大半が板で塞がれていた。
入口の扉は閉じている。
前回にもこの建物はあった。
ただし。
中へ入った記憶はない。
蓮は周囲を確認した。
人の気配はない。
それでも油断せず、ゆっくり入口へ近づく。
千尋も今度は勝手に先へ出なかった。
「千尋」
「なに?」
「俺が中を見る。お前は入口から周り見てろ」
「え、一人で入るの?」
「二人とも中に入って、外から塞がれたらどうする」
「あー……なるほど」
「何か見えたら呼べ」
「了解」
蓮は扉へ手をかけた。
鍵はかかっていない。
ゆっくり押すと、軋んだ音とともに暗い室内が現れた。
蓮はすぐには入らず、入口から中を確認する。
棚。
机。
積まれた木箱。
そして。
部屋の奥。
一つだけ他とは違う箱が置かれていた。
端末を確認する。
地図上の指定地点と一致している。
「……あれか」
蓮は慎重に中へ入った。
一歩。
また一歩。
何も起こらない。
箱の前まで進み、蓋へ手をかける。
「蓮」
外から千尋の声がした。
蓮の手が止まった。
「どうした」
「……誰か来る」
声から、さっきまでの軽さが消えていた。
蓮はすぐに箱から手を離した。
服の下に隠した銃へ手を添えながら、入口へ戻る。
「何人だ」
「分かんない。でも足音する」
蓮も耳を澄ませた。
確かに聞こえる。
落ち葉を踏む音。
ゆっくり。
こちらへ近づいている。
一人ではない。
蓮は千尋を建物の壁際へ寄せ、自分も身を隠した。
「声を出すな」
小さく告げる。
千尋が頷いた。
蓮は銃を抜かなかった。
まだ。
相手が敵だとは決まっていない。
けれど、いつでも取り出せるようにしておく。
木々の向こうから。
人影が現れた。
一人。
その後ろに。
もう一人。
先ほど見つけた足跡の主なのかは分からない。
ただ。
二人とも。
首には同じ金属の輪があった。
今回のエクストラバレットに参加させられたPLAYERたちが、蓮と千尋のいる建物へ近づいてきていた。




