第100話 2回目の始まり
冷たい土の感触で、蓮は目を覚ました。
瞼を開くと、最初に見えたのは幾重にも重なった木々の枝だった。その隙間から白み始めた空が覗き、湿った土と草の匂いが鼻をつく。頬を撫でていく風は冷たく、遠くでは鳥の鳴き声が聞こえていた。
何が起きたのか分からず混乱したのは、ほんの一瞬だった。
蓮の右手が反射的に首元へ伸びる。
指先に触れた硬い金属の感触で、すべてを理解した。
「……来たか」
身体を起こしながら周囲を見回す。深い山林の中に人影はなく、すぐそばには黒いタブレット型の端末が置かれていた。
間違いない。
二回目のエクストラバレットが始まったのだ。
いつ連れてこられたのかは分からない。最後の記憶を辿ってみても、自分がどこで意識を失ったのかさえ曖昧だった。
服装は最後に着ていたものと変わっていない。財布やスマートフォンなどはなく、身体に残されているのは服と靴、そして首輪だけだった。
半年前とは違い、目を覚ました場所がどこなのか分からないことに恐怖は感じても、何をされているのか分からないという混乱はなかった。
運営は約束を守った。
ゲームマスターになることを拒絶した神谷蓮を、再びPLAYERとしてゲームへ放り込んだ。
蓮は立ち上がると、首輪を指でなぞった。
これが爆発することも。
条件を満たさずに端末を読み込ませれば死ぬことも。
禁止区域へ入れば殺されることも。
すべて知っている。
そして、それ以上に腹立たしいことも知っていた。
今、この瞬間。
自分は見られている。
どこにカメラがあるのかは分からない。そもそもカメラだけで監視しているのかどうかさえ知らないが、運営が参加者の行動を把握していることは前回のゲームで嫌というほど思い知らされた。
その映像の向こうには、今回も観客がいるのだろう。
酒でも飲みながら誰が死ぬのかを予想し、参加者へ金を賭け、人間の命が削られていく様子を娯楽として眺めている。
そう考えるだけで怒りが込み上げた。
「……また見世物にする気かよ」
蓮は木々の間へ視線を向けたが、当然ながら返事はない。
怒鳴ったところで運営が出てくるわけでもなく、観客に拳が届くわけでもない。それどころか、自分が怒り狂う姿さえ向こうにとっては見世物になるのかもしれない。
そう思った途端、蓮は大きく息を吐いた。
怒るのは後でいい。
まず、生きる。
そして帰る。
前回と同じ失敗を繰り返さないためには、感情より先に情報を集めなければならない。
蓮は足元の端末を拾い上げた。
画面に触れると短い起動音が鳴り、見覚えのある項目が並んだ。
『名前』
『クリア条件』
『端末アルファベット』
『地図』
前回と同じだ。
だが、今回はその下に見覚えのない項目が追加されていた。
『メールボックス 未読1件』
「……メールボックス?」
前回の端末にはなかった機能だった。
参加者同士で連絡を取るためのものなのか、それとも運営から一方的に情報を送るためのものなのか。現時点では判断できない。
蓮が画面へ触れると、受信しているメッセージは一件だけだった。
送信者は運営。
嫌な予感を覚えながら開く。
『ご活躍、期待しております。』
その文章を読んだ瞬間、蓮の表情が歪んだ。
「……ふざけやがって」
裏カジノでのやり取りを考えれば、自分に対する当てつけなのは明らかだった。
ゲームマスターとして運営側に来ることを拒否した人間をPLAYERとして島へ送り込み、その直後に「ご活躍、期待しております」とメッセージを送る。
端末を握る手に力が入ったものの、蓮はすぐに指を緩めた。
壊すわけにはいかない。
この端末一台が、自分の生死を左右する。
それを蓮は誰より理解していた。
「……好きに見てろ」
怒りを押し殺し、メールボックスを閉じる。
まず確認したのは自分の名前だった。
『神谷 蓮』
続いて端末アルファベットを確認する。前回の自分にはHが割り当てられていたが、今回の識別文字はEだった。
蓮は表示された一文字に莉奈を連想させたが、すぐに『クリア条件』を開いた。
画面が切り替わる。
『1st STAGE クリア条件』
その下に表示された文章を、蓮は一文字ずつ慎重に読み進めた。
『指定された回収地点へ移動し、指定物資を回収してください』
『回収した指定物資を納品地点まで運搬してください』
『指定物資の納品完了後、クリア条件達成となります』
「……納品か」
誰かを殺せとも。
端末を奪えとも書かれていない。
指定された場所へ行き、物資を回収して、それを別の地点まで運ぶ。
内容だけを見れば単純だった。
少なくとも前回の2ndステージで提示された条件の数々に比べれば、遥かに穏当な条件に見える。
だが、蓮は安心しなかった。
一度目なら。
おそらく条件を読んだ直後から指定地点を目指しただろう。
できるだけ早く条件を達成し、首輪を外すことだけを考えたはずだ。
今は違う。
「……外すかどうかは別だな」
条件を達成することと、首輪を外すことは同じではない。
前回は最初のステージで首輪を外せた参加者が存在した。そしてゲームが次の段階へ移れば、条件そのものが大きく変わった。
何より佳子の2ndステージ条件は、1stステージ開始時点ですでに首輪を外していた参加者を指定地点まで生存したまま同行させるというものだった。
つまり、首輪がないことそのものが他人の条件へ組み込まれる可能性がある。
早く外せば安全。
そんな単純なゲームではないことを、蓮は知っている。
今回も同じ仕組みだとは限らない。
むしろ運営は、自分が二回目の参加者であることを分かった上でここへ送り込んでいる。
ならば、前回の経験だけを信じ切る方が危険だった。
蓮はクリア条件をもう一度読み直した。
物資を回収する。
指定地点まで運ぶ。
納品する。
そこまでは進めてもいい。
だが、条件を達成したからといって、すぐに首輪へ端末を読み込ませる必要はない。
「2ndステージを見るまでは……残す」
自分の首輪へ触れる。
外せる状態になっても、あえて外さない。
普通なら狂った判断に見えるだろう。
爆発物を首につけたまま、自分から危険を抱え続けるのだから。
それでも蓮にとっては、前回の経験から導き出した選択だった。
運営が何を仕掛けてくるか確認するまで、手札を一枚残しておく。
もちろん禁止区域や時間制限など、首輪を残すこと自体の危険もある。
状況次第では判断を変えなければならない。
最初から一つの考えに固執するつもりはなかった。
蓮はクリア条件を頭へ入れると、次に『地図』を開いた。
島の全体図が画面いっぱいに表示される。
そこで、指が止まった。
「……ん?」
最初に感じたのは、奇妙な既視感だった。
島の外周を眺める。
海岸線がある。
山がある。
中央付近には開けた場所があり、そこから複数の道が伸びている。
エリアを識別するための番号は記憶しているものと違っていた。
そのため最初は、よく似た別の島なのだと思った。
ところが地図を拡大し、山道の形を追っていくうちに、蓮の表情から疑いが消えていった。
似ているのではない。
知っている。
この道を歩いたことがある。
この斜面を下ったことがある。
ここから先に何があるのかさえ、地図を見る前から思い出せる。
蓮は別の場所を拡大した。
記憶の中に残っている地形と照らし合わせる。
山の位置。
森の広がり。
海岸線。
道の曲がり方。
施設の位置。
番号だけが変えられているものの、その配置は記憶と一致していた。
蓮は画面を見つめたまま、しばらく声を出せなかった。
「……同じ島じゃねえか」
半年前。
十五人が放り込まれ、十人が死んだ孤島。
自分と詩織、佳子、葵、黒田だけが生きて帰った場所。
莉奈が死んだ場所。
そこへ。
自分は戻ってきた。
地図から顔を上げて周囲を見回すと、ただの山林にしか見えなかった景色が、急速に過去の記憶と重なり始めた。
斜面の角度も、木々の向こうから聞こえてくる水音も覚えている。
蓮は現在地を確認し、それを以前の地図の記憶へ当てはめた。
すると、さらに気味の悪い事実に気づいた。
「ここまで同じかよ……」
前回。
最初に目を覚ました山中。
その位置とほとんど変わらない。
エリア番号だけを変更し、まるで半年前のゲームを最初からやり直させるかのように、運営は神谷蓮を同じ場所へ寝かせていた。
偶然とは思えなかった。
自分がこの島を知っていることを、運営が知らないはずがない。前回の生還者をわざわざ同じ孤島へ戻した以上、それすら何らかの意図を持った演出なのだろう。
腹立たしさと同時に、胸の奥へ重い感覚が広がった。
この島には、忘れられない場所がいくつもある。
誰かが死んだ場所。
血を流した場所。
逃げた道。
そして、莉奈を腕の中で看取った場所。
もう二度と来ることはないと思っていた。
できることなら来たくなかった。
それでも。
運営は自分をここへ戻した。
蓮は端末を持ったまま、ゆっくり立ち上がった。
前回と同じ島であることは、精神的には最悪だった。
だが、PLAYERとして考えるなら悪いことばかりではない。
水を確保できそうな場所も、建物の位置も、身を隠しやすい場所も知っている。地図だけを渡された初参加者より、自分には圧倒的に多くの情報がある。
問題は。
運営も、それを分かっているということだった。
自分が島を知っている。
ゲームの基本的な仕組みも知っている。
観客の存在も、ゲームマスターが参加者へ紛れ込む可能性も知っている。
そんな人間を同じ島へ戻した以上、運営が前回とまったく同じゲームを用意しているとは考えにくい。
「経験者だから有利……なんて思わせてくれるわけないよな」
蓮は苦笑した。
むしろ逆だ。
自分が経験者だからこそ、運営は何かを用意している。
裏カジノでゲームマスターへの誘いを断ったことも含め、今回は最初から神谷蓮というPLAYERを意識してゲームを作っている可能性さえある。
だからこそ。
焦らない。
条件を達成できても、すぐには首輪を外さない。
まず参加者を確認する。
今回のゲームが前回と何が同じで、何が変わっているのかを見極める。
その上で生き残る道を探す。
蓮は地図を閉じる前に、1stステージで指定された物資の回収地点を確認した。
現在地から歩けない距離ではない。
そして奇妙なことに、そこへ向かうための道にも覚えがあった。
端末を抱え、山道へ足を踏み出す。
前回は何も分からないまま歩いた道だった。
今回は違う。
自分がどこにいるのかも。
何が待っている可能性があるのかも知っている。
それでも恐怖がなくなったわけではなかった。
むしろ知っているからこそ、この島がどれほど簡単に人間を殺す場所へ変わるのか理解している。
蓮は歩きながら、一度だけ首元の金属へ触れた。
「二回目か……」
黒田も。
葵も。
前回はこの感覚を抱えながら、何も知らない自分たちと一緒に行動していたのだろう。
そして今回は。
自分がその立場になった。
木々の隙間から差し込む朝日を受けながら、蓮は足を止めずに進んでいく。
どこかで運営が見ている。
その向こうでは、観客たちが二度目の参加となる神谷蓮を眺め、好き勝手な予想をしているのだろう。
だったら。
見ていればいい。
自分は、連中の望む通りには動かない。
蓮は端末に表示された回収地点へ向かいながら、半年前の記憶を一つずつ呼び起こしていった。
同じ島。
同じ首輪。
同じゲームの名前。
けれど、ここから始まるのは、あの時の繰り返しではない。
神谷蓮にとって二度目となるエクストラバレットは、すでに最初の一歩から、前回とは違う戦いになっていた。




