第7話「とおりゃんせ」
「ふぁぁああああああ゛あ゛あ゛」
"ゲロゲロー"
べとり。
モーニングゲロが顔に落ちる。
「……オーサさん。ゲインツバードって、焼いたら旨いですか?」
寝ぼけた声でオーサが答える。
「マズイ。肉も少ない。絞めると、ゲロ出す」
……ロクな生物じゃないな。
『音楽を奏でる』という習性を加味しても、有り余るほどの害悪。
よくもまぁ、こんな生物と渡り歩いている。
前世なら、害鳥指定で駆除されているだろう。
そんな悪態を心の中で吐きながら、湖で顔を洗う。
そこでは既に、ケンタウロスの多くが湖で水浴びをしていた。
水草の影響だろうか、湖の底が見えるほど透き通っている。
それに、掬った水からは鼻腔を包むような柔らかな香りがする。
恐らくケンタウロス達が放つ柔らかな香りも、これらの影響なのだろう。
この湖は、ただの風呂場以上の役割を果たしているのだ。
僕はそのまま頭を洗い、火炎魔法〈ヴレイフ〉を揺らして髪を乾かす。
それが終わると、昨日の宴で出たゴミや洗い物を彼らと協力して片付ける。
そして──────終えてしまった。
「もう行っちゃうんだな……」
リュックを背負い湖に背を向ける僕へ、誰かがそう言った。
別に、長いあいだ一緒に居たわけではない。
別に、二度と会えなくなるわけでもない。
それでも、物悲しい。それほど濃密な時間だったんだと気付かされる。
「フィルム~! 待ってくれ~!」
湖の向こうから誰かの声が聞こえ、ようやく振り返る。
樽を蹴り転がしてやってきたのは、僕の甘噛みをいじった補助係さんだった。
「これ、お土産。カラバの樹液がた~っぷり入ったやつ!」
ごろんと二人がかりで樽を立てる。
なんか、めっちゃ重そうなんですけど。
かと言って、いらないとは言えないし……。
「あ、ありがとう」
前世で、丁重にお断りする術も学んでおけばよかった。
仕方なく樽に繋がれた麻縄を背負う。
そして、振り返らずにリングの森を南下した。
もちろん、ケンタウロス達を街へ連れていくことは出来ない。
文化の相互理解もないし、ピーカントの人達が簡単に受け入れてくれはしない。
それは、彼らもよく理解している。
オーサはあれから寝たままだったし、他の者も黙って僕の背中を見送ってくれた。
「♪行きはこわい~帰りはよいよい~」
あの童謡の替え歌を口ずさむと、例の鳥が音楽を奏でてくれる。
キャプツタとカラバの樹は、ギシギシと音を鳴らして踊っていた。
そう歌をループさせていたら、森の出口が見え始める。
さて。ここから先は、森の外だ。当たり前だけど。
うん。よし。そうだな。一歩、踏み出そうか。
右足が良いかな。左足が良いかな。
「おうい」
後ろから声が聞こえた。幻聴か。
いま僕は、どっちの足から踏み出そうか悩んでいて──
「待ってえ~」
……………………。
「フィルム~! 俺も連れてってよお~!」
あーあ。振り返らないって、決めていたのに。
「────バルクス!!」
だって、ごめん。正直、心細かった。
今から向かう故郷は、暖かいものではなくなっていた。
僕が見た世界を訴えかけなきゃいけない、暗くて怖い街になっていた。
だから、バルクスの声に安堵してしまう。
ちゃっかり弓矢は置いて来ているところも、彼らしいな。
「オーサにも、みんなにも、すっごい止められたんだけど……。全部、フィルムに任せちゃうのは違うよなあって。だから抜け出して来ちゃったよ。また怒られるかなあ」
そんな、怒られるもんか。
君の優しさに怒るやつがいるなら、代わりに魔法でおどかしてやる。
まぁ、大した魔法は使えないけど。
「ついて行っても、いいかなあ?」
そんなの、大歓迎だろ。
「もちろんだよ、バルクス!」
新しいパーティーメンバー。もとい、友人を連れて向かう街。
その足取りは軽くなっていた。右とか左とか、どうでもいい。
「あ、フィルム。俺の背中に乗るかあ?」
「あー。いいや、一緒にあるこ」
あ、でも。
「この樽。一緒に転がしてくれない」
◇ ◇ ◇
街へ向かう途中、いろんな話をした。
僕の故郷のこと、ケンタウロスの慣習、話題は尽きなかった。
そして気付けば────。
街の手前。その岩陰で、立ち往生していた。
「どうする? 俺、このまま入ったらまずいよなあ」
「う、う~ん……」
またやってしまった。
ノリと勢いだけでここまで来てしまった。
僕の中に潜む、炎上するタイプのテレビマンが出てきてしまっている。
バルクスをこのまま街に入れたら、それはもう大パニック。
だからと言って、このまま岩陰に残してもバレたら同じこと。
「どうする? 一旦、帰る?」
そう尋ねると、悲しい顔をした。
そうか、そうだよね。ここまで連れてきて、帰れなんてありえないよな。
だが、このまま足踏みしている訳にもいかない。昼時までに入りたい事情もある。
とりあえず上半身は人間だから大丈夫。この長い馬の部分をどうやって隠そう。
それに、この大きな樽だってどこに置いておけばいいんだ。
ん、いや──。
むしろ、これを利用するか。
バルクスを街中に溶け込ませつつ、大勢の人に映像を見せる方法。
当初の予定とは少し違う。けど、リングの森に行ったからこそ出来る方法。
「バルクス、相談があるんだけど……耳、貸して」
「え。う、うん」
バルクスは僕の背丈に合わせるように、背中を丸める。
それでもまだ足りなかったので、つま先を伸ばして囁いた。
「えっとね──ごにょごにょん」
「……え。俺はいいけど、上手くいくかなあ?」
とりあえず、やってみないと分からない。
僕はバルクスをそこに待たせ、自宅に向かって走った。
幸いにも、自宅は一丁目一番地。
街のメインゲートから二歩三歩と伸ばせば、すぐに着く。
「ただいま!」
「うおおっ。お、おかえりフィル──」
父さんとの感動の再開もそこそこに、僕は二階へ駆け上がる。
リュックを部屋のすみへ放り投げ、タンスをがばっと開けた。
使わなくなった靴二足。使わなくなった服とズボン。
それらを替えのベッドシーツに包んで、一階に降りる。
そしてリビングの長机に、それをどんと乗せた。
「母さん! 父さん! この長机、一緒に持ってくれない?」
僕の生き急ぐような振る舞いに戸惑いつつ、父さんは机の端を持つ。
「一体、帰って来るなりなんなんだ。サツエイとやらは成功したのか?」
「それは、すぐ分かるよ。それより、会わせたい人が居るんだ!」
「あらあら~。あなたの世界に、新しい風が吹き始めたのね」
母が布巾で手をぬぐいながら、僕をからかう。
「もぅ母さん……でも、きっと驚くと思うよ」
母を手招いて、机の片側を一緒に持つ。
そのまま慎重な足運びで玄関をするりと抜けた。
別に、両親をバルクスに会わせることへの不安が無いわけではない。
けれど、この旅を許してくれた二人なら許容してくれる気がした。
「あっちだよ!」
えいさほいさと、共に岩陰へと机を運んでゆく。
ふと、自分の手に重みが乗っていないことに気付く。
自分だけがズルをしているような気がした。
今まで散々、齧らせてもらったスネ。
僕が魔法学校で成績が悪くても、引きこもって研究していても、文句一つ言わずサポートしてくれた。
それもこれで最後にしよう──そう決意し、力を入れ直す。
そうして足並みを揃えていると、岩陰から馬耳が覗く。
未知との遭遇。うわ、心臓がバクバクしてきた。
「おまたせ、バルクス!」
「あ、フィルムおかえ──って、えぇ?!」
ぽかぽこ爪音を立て、後退る。
バルクスにとって、これが第一村人になるのだから無理もない。
両親も──特に、父に至っては壊れてしまった。
「コ、カ……コントラ、コンテ、ケントラウスコ……ン」
『ケンタウロス』と言いたいのだろうが、あごがカクカク動いてロクに発音が出来ていない。
「お父さん、『ケンタウロス』ですよ。どうもケンタウロスさん。うちの息子がお世話になっているようで」
「あぁ、いや……そのお。こちらこそ」
母も如才なく挨拶をしているように見える。
だが、体の前で何度も組み直すその指先が、その緊張をありありと表していた。
まぁ、ちょっとずつだ。
僕だって、一朝一夕で人とケンタウロスの軋轢が埋まるとは考えていない。
だけど両親にはちゃんと、経過報告として伝えておきたかった。
それよりも、変装の時間。僕は両手をパチリと叩き、両者の硬直を解く。
「バルクス。じゃあ、コレ乗せるね! 父さんも母さんも、お願い」
三者三様の戸惑いを見せながらも、僕の指示通りテキパキと変装の手伝いをしてくれた。
バルクスの背に長机を乗せ、ベッドシーツを上からかぶせて胴体を隠す。
服や靴はそのまま、ズボンはおしりの部分を〈ヴレイフ〉で焼き切って履かせた。
最後に樽に巻かれていた麻縄を解き、それをベルトのようにしてズボンを固定。
「よし、バルクス。机を持つように、後ろに手を回してみて」
「こ、こうかあ?」
遠巻きから確認。
うん。うん?
まぁ。見た目は、ギリギリ机を運んでいる人に見えなくも……ない。
ケンタウロスに馴染みのない住民ならギリ騙せる、はず。多分。
それよりも、馬の耳が丸見えだ。何してんだ、いちばん隠すべきだろ。
「あーごめん。帽子取って来る」
そう家へ向かおうとした時、父が僕の肩を引いた。
「い、いや。必要ない」
父はバンダナをするりと解く。父が愛用している、汗止め用のバンダナ。
そしてそれを畳み、震える両手で差し出した。
「バババ、バクルスさん。こ、これ、お、お使いく、ください」
「父さん……」
いや、汗染みが気になるだろ。とは思ったが、僕は黙って見届けた。
父さんなりの、心の開き方を。
「ありがとう、フィルムのお父さん。あと──」
苦笑いで、三つ編みの顎髭を撫でる。
「バクルスじゃあなくて、バルクス……」
「えっ?」
なんだよそれ。ベタすぎないか。
でも──
「ぷっ……」
「「「「ッハハハハハ」」」」
気付けば岩の影はすっと縮み、ぼくらに陽が差し込んでいた。
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