第3話「動くケンタウロス③」
刷り込み教育は恐ろしい。あの歌がずっと、頭の中で木霊している。
『人を食おうと狙っている』
「わ、わ、わ」
なにがメディアに携わっていた者の嗅覚だ。実際にケンタウロスが顕現したら、足がすくんで立つことすらままならない。
それどころか、湿った地面に尻を付けて叫んだ。
「うわぁあん! こ、来ないでぇっ!」
尻擦りしながら後退る。ズボンの繊維に土と湿気が入り込んで、いやに冷たい。
だが命の危機の前では、その不快感なんてのは喰い殺されるだけ。
ん? 喰い殺される?
くい、ころされる。
喰い殺される……。
「ころさないで──」
彼に届くはずないほど、小さく擦り切れた声。その懇願の先、解れるように誤解を知ることになる。
ケンタウロスが近づくにつれ、ほのかな香りが漂った。何かの花だろうか。甘さの中に奥ゆかしさのある香りがする。
三つ編みされた髭を撫で、こちらを覗く彼の顔。それは困惑や心配そのもので、こちらを獲って食おうなどというモノではない。
そして、ゆっくりと彼の口が開いた。
「大丈夫かあ? 矢、当たっちゃったよなあ」
早合点かもしれないが、東の森の歌はデタラメだと確信した。詩には表現しきれない五感がそう告げた。
落ち着きを取り戻した僕はすぐさま立ち上がり、尻に付いた草混じりの土を払う。
「あ、あ。すみませんっ。これぐらい、問題ありません!」
そして一礼。ちなみに、この世界で御辞儀の文化は無い。
まだ動揺を隠しきれない僕をよそに、彼は首をぐるりと回し大声で叫んだ。
「お~い、ニンゲン怪我させちゃったあ!」
ドドドドドドドッ──地響きのような蹄音が森に鳴り響く。木々の隙間から、巨大な影と砂埃が押し寄せる。
ケンタウロスの群れだ。僕は急いでリュックを地面へ降ろし、するりと口紐をほどいた。
雑物を掻き分けた先にある大きな水筒、この中には甘めの酒が入っている。もちろん自分用ではなく、贈答用に持ってきた。
取材の心得その1────『"取材させて頂く"という精神を忘れるな』。
どこかの本で見た「ケンタウロスは酒好き」という情報を基に、人気の酒を地元の市場で購入しておいた。
すこしばかり値は張ったが、取材協力費なので仕方ない。
「うぉおお。本当にニンゲンだ!」
彼らは到着するや否や、僕を物珍しそうに眺めて囲む。
「俺、絵でしか見た事ないよ」
「本当に二足歩行なんだ、歩き辛そ~」
「ちっさくて、かわいいなぁ」
「おいらにも見せてくれぇ」
そんな事を口々に言った。こちらがあちらを不思議がるように、あちらもこちらを不思議がっている。
なんだか見世物にされている気分ではあるが、あまり悪い気はしなかった。
それより第一印象は良好。そう踏んだ僕は、水筒を両手で差し出しながら挨拶した。
「は、はじめまして。僕、フィルムって言います。今日は皆さんにお願いがあって来ました。これ、お近づきのしるしに、お酒です!」
そう水筒を差し出しながら一礼する。何度も言うが、御辞儀の文化なんて無い。
水筒が受け取られるまで、そのまま地面を眺める。
が────長い。この体勢も意外とキツイのだが、長く続く沈黙。
なにかやらかしたか? ドイツで挙手してはいけないように、ケンタウロス文化では御辞儀が侮辱を意味するとか?
不安で手汗が一杯になり、水筒が滑り落ちそうになる寸前、一人のケンタウロスが言い出した。
「俺、酒は呑めねぇんだよな~」
一人がそう告げると、他の者たちも口々に断りを入れ始める。
「あー、もう禁酒しちゃってるんだよな~」
「吞めるけど、すぐ酔っちゃうんだよね」
出るわ出るわ下戸やら禁酒やら、ケンタウロスが酒飲みなんて誰が言った。これがステレオタイプというやつか。
未だ僕の心は偏見という皮が覆いかぶさっている。そう猛省していると、彼らのうち一人が言った。
「ここで一番の酒豪って言ったら、やっぱりオーサか」
「オーサ?」
その名に呼応するように、低い声が響く。
「私に、何か用か」
群れの後ろで、ひときわ大きな影がぐんと伸びる。その口ぶりから、彼がオーサであることが理解できた。
長く深い顎髭、傷だらけの身体。特に、左瞼に入った傷が歴戦を感じさせた。
「あ、オーサ……。そ、その、バルクスが見つけたニンゲンが──」
「ニンゲンだと?」
途端、オーサの豪弓が軋みを上げしなる。何が気に障ったのか、その矢よりも先に、射すくめるような視線が僕を貫いた。
「何しに来たア! ニンゲンッ」
その気迫に圧倒され、持っていた水筒を地面に落としてしまう。
「あわ、いやっ。こ、これで撮らせてほしくてっ!」
僕はカメラを首に掛けたまま、それをぐいと伸ばして差し出した。
「盗る? 貴様、盗人かッ!?」
違う違う、最悪の勘違い。
それもそのはず、この世界に「撮る」なんて文化も言葉もない。実際に僕が発したのは、前世の概念を無理やり異世界の言語に落とし込んだ異音でしかない。
「あ、そうじゃなくて。映すっていうか、こうやって――」
急いでカメラのつまみを、録画から写真に切り替える。論より証拠、僕はただ実践するつもりで録画魔法を唱えた。
フラッシュ機能もとい、光源魔法〈ラバイト〉を最大出力にしたまま──
「レコー!」
暗くなってゆくだけの森に、網膜を焼くような眩い閃光が炸裂する。
「ぐぉあああっ。ま、まぶしっ」
「うがぁあああああッ! め、目ェッ」
「わわっ。ご、ごめんなさいっ!」
慌てて出力調整用のつまみを絞る。だが、もう遅い。
「えぇい、みなのものッ! このニンゲンを捕らえよッ!」
オーサの号令が森を震わせ木霊する。その声がまだ消え切らぬうちに、僕は走り出していた。
「はぁっ……はぁっ……!」
木々の間を縫って駆ける。足元のツタは怒り狂ったように絡みつこうとしてくるが、スタジオで無秩序にのたくるケーブルほど邪魔ではなかった。
それよりケンタウロスだ。彼らは執拗に弓を射掛け、その掠める音で僕の鼓膜は何度も委縮する。
だから僕はあえて、木が生い茂る細道をくぐった。彼らの巨体では遠回りを余儀なくされ、木々が矢の弾道を遮ってくれる。
小回りが利く分、アドバンテージはこちらにあった。
それにしても、なんでいつも僕はこうなんだ。記憶を残して転生したことで起きる弊害か、前世からの欠点は治らないようだ。
まるでミスをしないという選択肢がないみたいに、いつも良い所で特大のミスをする。その尻拭いだけが上手くなってゆく。
しばらく走ると、幹の抉れた巨木が横切った。もうここしかないと踵を返し、その洞でしゃがみ込んだ。
土壌を踏み荒らす音、激しさを増すばかりだった音が、わずかに和らぐ。徐々にそれは近づき、目の前で止まった。
すぐ、そこに、脚が見える。せり上がる息を押し殺す。
「どこへ行った?」
「こっちに曲がったはずだが……」
「とりあえず、俺はあっちを見てみる」
心で早く行けと、たった二度叫んだだけ。それでも長く感じた。
離れた蹄はまだ鳴って、僕を探している。近いような遠いような、どれほどの距離かも分からない。
どうしよう、このままこっそり森から抜け出すべきか、それとも話し合うべきか。
いやいや……この結果を招いているのは、その楽観さが原因じゃないか。
心の中で足踏みを繰り返していると、また近くで彼らが寄り合う。
「どうする? 何処にも居ないぞ」
「まずいな、この森でウロチョロされたくはない」
もうウロチョロしないし、さっさと帰る。だから何処かに行ってくれ。ひたすらそう願っていると、一人のケンタウロスが静かに言った。
「おい、子供たちの安全だけでも確保するぞ」
────え?
「そうだな……ニンゲンに襲われる前に、非難させよう」
──そうか。
「ニンゲンも、このまま出てってくれたらいいんだが……」
…………なんだ、同じか。
人間も彼らも、襲うために戦うわけじゃない。ただ守るべきもののために、戦わざるを得ないのだ。
そう思ったら、こう怯えているのが馬鹿馬鹿しくなった。
そういえば何しに来たんだっけ、魔導カメラをすくって眺める。
こいつは相も変わらずコプコプと音を立てているだけだが、さっさと撮れよと怒っているような気がした。
そうだ、撮影しに来たんだ。撮ることでしか伝えられないことがあるって、信じているから。
洞の縁を掴み、ずりずりと這い出る。今度のラバイトは出力最小、録画モードに切り替える。
遠ざかっていく彼らに向けて、僕は叫び唱えた。
「レコー!」
僕は後ろを向きながら、カメラを構えて走りだす。
「あっちだ、あそこにいるぞ!」
「捕まえろ!」
もちろん後ろ走りは危ない、もうすぐにだって転げそう。けど僕は撮らなきゃいけない、伝えなきゃいけない。
ケンタウロスは獰猛で野蛮な種族じゃなく、僕らなんだと感じたんだから。
「なにしてんだあのニンゲン。後ろ向きで走ってるぞ!?」
「おい、またアレをこちらに向けている! 気を付けろ!」
僕はもつれる足で、その姿を捉え続ける。
一朝一夕で成し得ぬ弓の構え、仲間のために戦う勇猛な表情、意外と剃り込まれた腋すら逃さない。
作為的に作られた歌でも真偽不明の噂でもない、森の家族を守ろうとする誇り高き種族の姿がそこにある。
「おい、危ないぞッ!」
その声が聞こえた瞬間、僕のカカトに何かが引っかかった。木の根だろうか。
浮遊感が僕を襲い、ふわりと夜空を見上げる。
でも、なんだっていい。
僕は──僕の感じた世界を撮ったんだ。
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