第27話「あの人は今」
初めての人工呼吸は、風魔法でした。
「ごぉほっおぇっ……いでぇ」
異世界とはいえ現実は厳しく、「人工呼吸で口づけ」なんて展開はない。
アイリンは僕の口元に手を当て、喉から肺にかけ風魔法〈ザーフ〉を巡らせていた。これが、この世界の人工呼吸である。
魔法学校でも習う方法であるが、どれだけ弱めても魔法である。口腔内の粘膜はしっかりと傷付き、激しい痛みを伴った。
僕が苦しみ喘いでいると、前足を折って座り、顔を覗かせていたバルクスが、眉を引きあげて喜ぶ。
「良かったあ、起きたあ」
彼はそう言うけれど、こんな乱暴な起こし方なら、起きない方がマシである。
とはいえ、助かったのも事実。僕はお礼を言うため、声帯を震わせる。
「ありっギョホッ、ぎぎ……」
喉をガラス片で裂いたような痛みが走った。魔法学校でやった実習の時より痛い。一体、どういう処置をしたらこうなるのだ。
僕がひたすら喉を鳴らしていると、アイリンがつっけんどんに言った。
「アタシの魔力は強すぎるもの、仕方ないわ。もっと喉を鍛えたら?」
どうやって喉を鍛えろと言うのか。彼女にセイレーンのことを黙っていたせいか、かなりご立腹な様子。
それに、息を吹き返したと分かればすぐさま立ち上がって、腕組みして睨み下ろした。
僕はしゃべることも出来ないので、「申し訳ありませんでした感」を顔で演出する。
眉をひそませ、口をすぼめ、右目を細め、あと他に何が出来るっけ──
「あんた、馬鹿にしてるの」
アイリンから野太い声が聞こえたので、やめておくことにした。せっかく命拾いしたのだ、死に急ぐことはない。
僕は身を起こして、辺りを見回した。
ゴミだらけの小汚いビーチ、その海には木造の桟橋がいくつか並び、それぞれに船が停泊している。遠くにはアスタロフ城の陰が見えたので、無事に航海を終えたと分かった。
桟橋の一つには、ボロボロになった船が停泊しており、船匠が船のメンテナンス作業をしていた。恐らく、クイッシュの船だろう。
クラーケンの被害は甚大。帆は破れ、帆柱や斜檣は切断され、船体は触手の形に削れていた。
海難事故の資料として、カメラに残さなければ。
僕は魔導カメラで撮ろうと、胸元に手を伸ばした。
しかし、胸元で手が素通りする。
何度も往復させたが、手には何も当たらない。当たってくれない。
嘘だろ────僕は胸元を見下ろした。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あっ」
ない、ない。ないない。
胸元はもちろん、シャツの中、ズボンやパンツの中、砂浜の中。そんな処あるはずもないが、ありとあらゆる場所を探した。
だが、魔導カメラはどこにも見当たらない。
「嘘た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!」
喉の痛みも忘れ、身を丸めて叫んだ。
もう一度作り直せば良いなんて、そんな話ではない。素材にもこだわったし、なにより世界初のカメラなのだ。そんじょそこらのガジェットと、同じにして欲しくない。
世界樹の電波権も取れず、カメラも海の藻屑。
こんなことあっていいのか、何が足りなかったというのだ。テレビへの想いが、足りなかったというのか?
僕が絶望に打ちひしがれていると、遠くから砂を踏む音が聞こえた。
見上げるが、涙で何も見えない。ただ、もふもふしていることだけが分かった。
「ぜんじょー、ぼういっがい船出じでえ゛え゛え゛」
(船長さん。もう一回、船を出していただけますか?)
「おめぇ……無茶言うなよ」
無茶なものか。この世界の海底、その何処かには必ずあるのだ。
さっさと船を出せと言わんばかりに、足下にすがる。非情にも船長は、そんな僕を蹴飛ばした。
「鬱陶しいなおめぇ。ほら、これだろ!」
船長が何かをぶらんと下げ、僕の頬に冷たい何かをぶつけた。それは奥の方でプシュっと音を鳴らし、ドンドンと鼓動を打っていた。
その感覚に覚えがある。
「ガベダアアアアア!!!」
(カメラ)
僕はそれを掴み取り、頬擦りした。肌が削れている気もするが、感動の再会なのだから細かい事は言わない。
どうやら治療をするのに邪魔だったので、僕から引き剥がしたらしい。
紛らわしいと文句を言おうとしたら、抱きしめる力が強すぎて大変だったと、逆に文句を言われてしまった。
その後もずりずりしていると、シェノンの一言で目が覚めた。
「きもっ」
……………………。
「ま、まぁボウズ。とりあえず喉を治すためにも、王都に戻ろう、な。」
僕は静かにうなずいて、カメラを首に掛けた。
◇ ◇ ◇
王都アスタロフは未だ、周年祝いの様相を呈していた。
豪華な飾りや、独裁めいた肖像画こそ無いが、街の空気はどこか浮足立ち、現実から少しだけ離れている。
「それじゃあ私は、クイッシュのおじさんに用があるので、一旦ここで」
そう言って、シェノンが路地裏へ駆けてゆく。お礼を言いに行くのか、菓子の入った包みを手にしていた。
「あの子……意外としっかり者よね」
感心したようにアイリンが言った。
確かに、エルフの女王にも一切物怖じせず、的確に言葉を選んで挨拶していた。礼儀とか礼節は苦手とする分野なので、僕的には非常に助かっている。
そうそう、アイリンが隣に居る理由だが、彼女は王立図書館に用があるらしく、僕が案内することになっていた。
どうやらピーカント関連の伝記は他にもあるらしく、全巻を読みたいとのこと。あのおっさんの何が良いんだか。
と──その前に診療所である。喉がこんな調子では案内も出来ない。
僕は、王都いちばんの名医が居る診療所へ向かった。
西の城壁を沿って辿ると、一軒家ほどの小さな診療所がある。平凡な外観でも実力は確かで、国王も御用達にしている。
僕が戸を叩くため手の甲を回すと、扉がすっと開いた。
そこから衛兵が飛び出し、肩がぶつかる。
「おい、気を付けろ……あれ?」
それと目が逢う。そして、それは僕に向かってこう言った。
「『嘘勉くん』じゃあーん!」
噓勉くん。
それは、僕の学生時代のあだ名であった。
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