第14話「異世界の船旅②」
海の底を歩くような、ぼんやりとした意識。腕や脚で藻掻こうとしても、水圧に押し込まれたかのように動かない。その海面から、嘲笑に満ちた声が響く。
ハハハハハハハ。
笑うな。一体、僕らが何をしたって言うんだ。
許せない……許せない。こんな目に合わせた彼らを──
「ゆるさにゃあああい!」
「プッ、ハハハハハ! にゃあいだってぇ」
あぁ、また僕を笑いやがって。この声はシェノンだな、この裏切り者。いま僕の〈ブレイフ〉……〈ラバイト〉……あークソ、勉強不足すぎる。反撃の手段が無さすぎる。
ならば──
「いぐにっしょん・ぶれーぶ!」
「なにそれえ、変な魔法唱えてる」
うるさい、これはオリジナルの最強呪文だぞ、喰らえ!
ぶらん──全力で振りかぶったつもりだった腕。
しかし、力が入らない。肘から上が垂れてしまって、使い物にならない。何か薬でも盛られたのだろうか、指先までの意識が通っていない。
「おーい。海水でいいから、ぶっかけてやれ!」
「うーい」
舐められたものだ、〝海水でいいから〟だと?
そんなものが僕に効くわけ──
「ぶぼぼっぼぼぼ」
効いた。
目を開けるとシェノンが見下ろして笑っている、桶を持った船長も笑っている。その顔は嘲笑というより、まるで赤子でも見るような慈愛に満ちた笑顔。
なんだこいつら……裏切り者のクセに仲間面して、今すぐそのうすら寒い仮面を剥がしてやる。
まだ力の入らない全身を震わせながら、喉をかくんと鳴らした。
「お前ら、よくも裏切りやがって!」
そう叫ぶ僕をよそに、船長は馴れ馴れしく語りかけてきた。
「違う違う。これは海に初めて出た新人への歓迎、恒例行事さ」
「はあ?」
何を言ってるんだこいつ。
そう思ったが、少し冷静になって考える。
外は明るくなっているが、いつの間に朝になったのだろう。そもそも船は真っ二つになったはずだが、僕は船の上で仰向けになっている。というより、僕の身体から巨大なクラーケンが産まれているのも、普通におかしい。
「じゃあ……なんだったんだアレ」
その言葉にみな、腹を抱えて笑った。
笑わせるのは好きだけど、笑われるのは嫌いだ。そう睨んでいたら、船長が引き笑しながら言った。
「あーボウズ、セイレーンのこと何も知らないのかぁ?」
「セイレーン?」
そりゃあ出会ったのは初めて、せいぜい魔物図鑑で見たことあるぐらい。
海に棲む精霊で、脚には魚のような尾びれが付いており、それは二足歩行用にも変容可能。それと、男女ともに見目麗しく声も美麗。
そして、その歌声には強力な〝呪い〟が付いており──
あ。
「まさか、アレが呪い?」
その言葉にまた笑い声。分かった、分かったからもう。
「いやぁボウズ、すまなかったな」
そう船長が差し出した手をとって、シェノンも軽く睨んだ。彼女はこれを知っていた、だから一緒になって笑っていたのだ。
「黙ってたんだな~」
「い、いやだってぇ……」
怒っているようなポーズは取ったが、僕だってそうしたと思う。その方が面白いし、それがエンターテインメントだ。むしろ、エンタメが生きている事が嬉しかった。
密かに喜びを噛みしめていると、船長がさらっと言う。
「それにしても驚いた。まさかユニコーンじゃなくて、ケンタウロスだったとは」
え。
「え」
え。
船を見渡してバルクスを探す。船尾、船首、デッキ、その柱の陰。大きく裂けた変装用の布を持ち、ばつが悪そうに頭を掻くバルクスの姿。
マジ、か──
「い、いやその……ユニコーンと人間のハーフでっ」
咄嗟に下手な言い訳をしてしまう。なんだそれ聞いたことねぇ、そもそもどうやって交……いや、なんでもない。
とにかく、そんな言い訳が通用するわけが無かった。
というより、そんな言い訳をする必要が無かった。
「いやいや、事情は聞いたさ。それにオレたちだって、境遇は似ているからなぁ」
船長が目を細め、水平線を見つめながら言った。
確かに、彼らもバルクスも同じ亜人である。彼らも市民権を得るのに、相当な苦労があっただろう。その背景を考えれば、ケンタウロスを邪険にするはずがない。最初から気にしすぎだった。
だとしたら、バルクスには悪いことをした。せま苦しい布の中に閉じ込め、異文化交流の機会を奪うところであった。歓迎の恒例行事とやらに感謝しなければと、海を眺めながら反省した。
それにしても、撮影日和の良いロケーションだ。外をぐるりと見遣れば海が煌めいて、魚たちはシェノンが撒き散らすエサをバクバク食べている。
僕は気付くと、〈レコー〉を唱えていた。
朝の陽ざしは、夜には見えなかったものを映し出していた。
船長は海の男らしく茶褐色の体毛であったし、旗の模様はドクロではなく白い獣人の顔だった。それに、貿易拠点とは違って、船は清潔に保たれている。
その一つ一つを丁寧に、様々な角度から撮影する。あとから映像素材として使えるかもしれないし、とにかく撮りたかった。羊皮紙の数に余裕が出て来たから、調子に乗っているのもある。
そうやって撮影していると、またあの号令がかかった。
「東へ、イゾム・ザーフ!」
さすがにもう覚えた、イゾム・ザーフは方向転換。僕は舷牆に掴まりその場で踏ん張った。
船がぐるりと向きを変えると、左舷の海に巨大な渦が見えた。なるほど、これを避けるための号令だったのか。
一応それも撮影していると、いつの間にか隣り合わせていた船長が言った。
「世界樹が作り出した渦だな。ここら辺から魔元素がイタズラしてきやがる」
つまり、世界樹はもう近いというわけか。僕はその大渦を撮影しながら、どちらに世界樹があるか、船長に問いかける。
すると、船長は大きなため息をつき、憮然とした口調で言った。
「ボウズの目は節穴か、あれだよ」
そう船首へ指差す。それは東の方角、先に見える大地。
「あれが──世界樹……」
その地に釣り合わないほど、巨大な電波塔。それは綿雲や畝雲を貫き、陽に向かって背を伸ばしていた。
当たり前の話だが、図鑑に描かれた絵と実物とでは何もかもが違う。世界樹が放つ空気感や、ぶつかった雲が形を変えるさま。それらを、たった一枚の絵で表現できるはずがない。このカメラでさえ、表現できるか分からない。
しかし、この映像はいつか必ず使うはず。使わなくても、映像として残すべきだ。
その想いに駆られ、船首へ走り出した。
「おい、あぶねぇぞボウス!」
その制止をかいくぐり、その先の突き出た棒、斜檣を平均台のようにして歩き出す。そのまま舳先に辿り着き、世界樹の全体を捉えた。
取り囲む森の木々が対比となって、その大きさを引き立たせる。海に反射した陰が船まで伸びるので、まるで世界樹の上を航海しているようだった。
だが……まだ、物足りない。
ファインダーからの景色が、肉眼を超えてくれない。それどころか、船尾から見た景色にすら遠く及ばない。
「まったく、変な奴だな」
「落ちても知らねーぞ!」
そう後ろ指をさされながら考える、どうすれば超えられるだろう。船の上から見た景色を、超えられる気がしない。それほど世界樹は偉大なのだろうか。
それとも、撮影場所の問題か。船首周りに良いポイントは無いだろうか。縄梯子は張り巡らされているが、あまり良さそうな場所はない。見下ろせば中甲板の小窓があるものの、そこから撮っても船体が邪魔になる。
だが、ふと視界に入る。
僕が立っている斜檣の真下、裸の男を象った船首像。それは右手を振り上げ、左手に持った槍を突き出している。
あの槍、乗れそうじゃないか?
あそこに乗って撮影できれば、より下から撮影できる。そうやってアオリ撮影が出来たなら、世界樹の迫力を存分に出せる。
が────そもそも乗って良いものなのか? 良くないよなぁ、船首像って言えば船の象徴。あの上に乗ったり何かするなんてのは、この船や船員への侮辱だろう。
だけど、アオリたい。下から見上げるような構図、そうすれば絶対に世界樹の迫力を演出できる。だからって、乗り上げたら絶対に怒られるし──
あ、そうか。乗れないならせめて、海面になるべく近づけられたら良い。
気付いた僕は、斜檣を股で挟むよう座り込む。
それは、ある覚悟が含まれていた。
もし……このまま斜檣を軸に回ったら、僕は逆さで宙ぶらりになるだろう。
そして、宙ぶらりんになれたなら、思う存分にアオレるのではないだろうか。
落ちたら死ぬかもしれない、けど。
〝面白ければいいや〟
「レコー」
ぐるんと異世界が回転し、海と空が入れ替わる。そのまま上下逆にカメラを構え、ファインダーを覗いた。
鏡影世界樹は覚めない夢のよう。画面の下端へみどりが流れては、それが延々と続く。それは世界樹の雄大さを、色鮮やかに伝えていた。波立つ飛沫は潮風を伝え、ぐんと進む映像は旅の途方を伝えている。
足首をクロスさせ、落ちてしまわないよう踏ん張っていると、デッキから声が挙がった。
「あれ、フィルムさんは?」
「さっきまで、あの棒の先に居たと思うけど……まさか!」
悪いが、そのまさかである。バルクスの蹄音が船の裏まで響いた。
「フィルム! 何してんの!?」
僕は苦笑いするしかなかった。またやってしまっている、しかも今度は確信犯。逆さのバルクスは頬を痙攣させ、ほとほと呆れた様子だった。
ところで──
「ごめん、戻れなくなっちゃった……」
数分後。
さながらマグロのように、逆さまの僕が水揚げされた。
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