第13話「異世界の船旅①」
黒褐色の板。その木目を指で辿ると、穴ぼこに掛かる。またその穴ぼこに沿って辿れば、一文字目が分かる。そうして幾度も繰り返せば、その文字列がやっと分かる。人差し指を離すと指紋に黒味が出ていた。
「ちょっと、汚すぎないかな看板。なにも読めないけど」
いや、今の言い方は優しすぎた。
看板以外にも建物全体が煤け、言ってしまえば放火後である。さっきのドラゴンにでも遣られたのか、そんな嫌味も浮かぶほど。
「何度なぞっても同じです。ここが親戚の貿易拠点『QUISH』です!」
そうクイッシュだ、合っている。看板を何度もなぞった人差し指。それが覚えてしまっている。
このただでさえ薄暗い路地裏、そしてこの管理不行き届き。
あらぬ疑いが僕の頭を支配してゆく。
「大丈夫なんだよね。その、海賊とかじゃないよね」
「ちょ、失礼な! そんなこと言うなら紹介しませんよ」
「だって…………ごめん」
確かに、選り好みしている場合ではない。
貿易拠点が港ではなく路地裏にあって、こんな夜中に出航する船団。それらに目を瞑って頼み込むしかないのが、こちらの立場だ。
「でもさ──」
「あぁ、もう。さっさと入りますよ!」
シェノンが問答無用で門戸を叩くので、とっさにバルクスの背後に隠れた。だって、どんな恐ろしい人間が出てくるか分からない。間違いなく小麦色の肌だろうし、確実にタトゥーは入っているだろう。気分はもう、ピンポンダッシュだった。
コッコッコッ、と足音が鳴る。それが止まると、ドアノブがぐうっと回る。そのままキィっと開いたドア、その隙間から漏れ出る光に照らされたのは──
骨格が浮き出た、白肌の腕。
あれ?
「ん~なんだぁ~?」
ぬっと出てきたのは、三脚のように細い男。タトゥーは入っておらず、入っているのはシワぐらいなもの。なんか、思ってたんと違う。
「おじさん、お久しぶりです。シェノンです」
「んぁぁ、お前かぁ。んだよこんな時間に」
「実はですね──」
シェノンが事情を説明し始める。話し方といい距離感といい、それほど親しい間柄でもなさそうだが、大丈夫かな。
それにしても……なんだかガッカリだ。海賊──海の男だと言うから、もっと筋骨隆々の入れ墨褐色男だと思っていた。
しかし、出てきたのは色白出っ歯のヒョロガリ男。瞼もたるんで眠たそう。服のセンスは血筋なのか、薄灰色のサングラスと黄ばんだノースリーブ。そこから見える腋毛は、不快感を演出。
なんだか、怖がっていたのもあるけれど、期待していた部分もあった。
だから肩透かしを喰らったようで──
「おい! そこのお前」
「ひっ、はい!」
男がサングラスのつるを持ち上げ、肉眼でこちらを覗かせる。
なんだろ、なんか怒ってるように見えるけど、なんもしてないぞ。
「お前ぇ──」
男は飛び出た前歯を、ずるりと舐めた。
「俺のこと、馬鹿にしてるだろ」
え────どうしよう。バレた。なんて勘の良いやつ。
嘘でも「馬鹿になんてしていない」と否定すべきだろうか?
でも、彼の目は確信めいたように、こちらを透かしている。
く、これは、下手な嘘はつかない方がいい気がする。これは疑いではない、ただの答え合わせなのだ。採点するのは向こうで、既にその点数は決まっている。
もはやこれまでと、観念せざるを得なかった。少なくとも、そう感じさせるだけの静かな気迫を感じた。
「す、すみません。もっと筋肉質な男性をイメージしていたので……意外で」
嘘だろこいつ、言いやがったよ──という空気を感じる。
シェノンがまた冷めた目をしているし、バルクスも尻尾の動きを止めた。
でもだって、怖いんだもん。ずっと見透かされているような気がするより、もう曝け出した方が気が楽だ。それで殴られたりしても、それでよい。あんな華奢な腕なら、どうせ痛くないだろうし。
それでも、交渉決裂は避けられない──それは覚悟していた。
「フッ」
男が笑った、さすがに呆れたのだろう。乾いた前歯を舌で舐め、サングラスのつるを下げる。
それが、決裂の合図だと理解できた。
人を見た目で判断して、人を傷付ける。
僕はなんて醜くて、愚かで、無知なんだろう。
「今夜にはもう、船が出る。さっさとそのバカを連れて行けェ」
そうだ、僕はバカ。こんなバカはさっさと船に──え?
「え? おじさん、いまなんて」
「あ、んだよシェノン。連れてけって言ってんの」
「い、いやだって、あんなこと言われたら普通……」
男はその言葉を聞き、大口を開けて何度も手を叩いて笑った。唾を飛ばし笑うその様は、アルパカみたいでカワイ──くはない。
「俺よ、正直が好きなんだ。世の中、嘘つきばかりだからな。だろ、シェノン?」
「え、あ。まぁ……」
「それに、俺は知ってるぜェ」
彼はゆっくりとサングラスを外し、腰を曲げてシェノンへ顔を近づけた。そのまま彼女を睨みつけると、妙にうわずった声で言った。
「お前も俺をバカにしてるんだろう?」
いつの間にか、彼の前歯は口の中へ仕舞われていた。
◇ ◇ ◇
暗闇の中で進む船は、マグロ漁船のロケを思い出す。その時と違うのは、ぎしぎしと音を立てる木製の船と、頂上に見える黒い旗。ドクロが描かれているように見えるけど、暗いから勘違いしたのだと思う事にした。
その上で船員たちは、風魔法〈ザーフ〉を唱えて帆を扇ぐ。だから、合図の基本はすべて「ザーフ」。船尾には舵もなく、代わりに船長が立って指示を出している。
ちなみに僕はその後ろに座り込み、船長の尻尾に合わせ揺れていた。
「うーん、飽きが来ないなぁ」
船長は狼系の獣人。僕はどちらかと言えば猫派だけど、結局どっちも好き。虫とかでもない限り、動物全般が好き。前世でも猫を飼いたかったが、家に帰れないことが多い職業なので断念した。
今なら何か飼えるかなぁ。
パップロップとか魔法動物も居るし……あのゲロ鳥はいらないけど。
「東へ、イゾム・ザーフ!」
突如、ひときわ大きな号令がかかる。
なんだっけ、えーっと、イゾムってのは確か────
「うぉおおおっ」
船が大きく傾き、木目に沿ってずりずりと尻を擦る。どこかに掴まろうと木板の間に指を伸ばすが、そこに詰まっているゴミがそれを防いだ。
そのまま船を囲う柵、舷牆までぐぐぐぐぐっ
「あいでぁっ」
左脇腹と肩甲骨が激突、その衝撃でようやっと思い出す。
増幅魔法〈イゾム〉
魔法詠唱の前に付けるだけで、対象の魔法を増幅させることが出来る。
これは修飾魔法と呼ばれるもので、対義には減衰魔法〈オゾム〉もある。
こんな基礎的な魔法も忘れていたなんて、僕はなんてバカなんだ。
「大丈夫ですかー! フィルムさーん!」
デッキからシェノンがそう呼びかけるので、手を振って応えた。
バルクスはまだユニコーンのフリをしているが、こちらを心配しているのは分かる。小さく手を振って、それにも応えた。
それにしても、バルクスには窮屈な思いをさせて申し訳ないな。人間とケンタウロスの関係性はよく知っているが、他種族がどうなのかは分かっていない。だから、獣人族の船員達には彼の正体を明かせずにいた。
ケンタウロスたちが自由になれる日は来るのだろうか。
そう感傷に浸っていると、突如として船が慌ただしくなる。
「お前ら、火を灯せ!」
「「イエッサー! 〈ブレイフ〉」」
そして船長の号令。それに合わせ、船員たちがこぞって蠟燭に火を付ける。まるで灯篭流しのような暖かい光が、辺りの海をふわりと包んだ。
「ボウズ、アレを見てみろ」
船長は僕にそう言うと、左舷を指した。なんだろうと立ち上がり、痛む左脇腹を抑えながら首を巡らせる。
だが、何も見えない。ぼやっと海上が橙に染まり、少しばかり魚が見えるぐらいで、『アレ』が何かすら分からない始末。
そのアレは消えてしまったのか。そう思っていると、船の灯りがばっと消え始める。これじゃ余計に見えなくなる。もう頼りになるのは月明かりしか──
「あ、うおぁああ」
嘆声が漏れる。
まさにその月光──月影が、岩礁へ伸びている。
長い髪が影を落とし、海に黒龍を作り出していた。
「あれは……あの岩の上に居るのは?」
「セイレーンさ、耳をすませな」
船員は一同にして音を立てなかった。
なぜなら、静寂のなか、繊細で透き通った声が伸びているから。
「♪──綺麗だと言って 大嫌いだと言わずに聞いて」
その歌声は、さざ波すら疎ましく思えた。蜘蛛の糸のように強く繊細で、思わず縋りたくなるような歌声。それは聴くものすべての心を奪い、月でさえ彼女に顔を向けた。
もっと近くで聴きたい。その想いに突き動かされるよう、身を乗り出す。
「なんて綺麗な────うっ」
うわなんだ、頭がクラクラする……こんな時に船酔いか。それともさっき、頭でも打ったのだろうか。
助けを求めるように、船長の方へ振り返った。
「って……なんですか、それ」
船長の獣耳に、溶けた蠟燭がびっちりと詰め込まれている。なにしてんのそれ、この素敵な歌声を聞かないといけないのに──って、うぁぁっ。
食道の内側を何かが込み上げる、やはり船酔いだ。こういう時は海へ吐くんだ。マグロ漁船でもそうしたし、船の上に吐くよりマシ。
柵の外に顔を落として、口をあーっと開いた。
「もごごご、むご!? ぐぉおおがあ」
く、苦しい、口の中から何かが飛び出してきそう。
なんだ、これって船酔いか? 違うだろ絶対。
しかし、その流動は止まらない。じゆるじゆると喉を這ってくる。なにかが喉の奥で生きているみたいで、さらに自分の身体よりも大きい。それが舌の奥をくすぐるのに、嗚咽すら許してくれない。柵の上端を強く握り込んで、餅を飲み込むように喉を鳴らす。
じゅるり──舌を押し込んで、何かが漏れ出した。
「フィルム!」
バルクスが変装も忘れて声を上げる。だって無理もない……これはまるで──
〝ゲソ〟
吸盤を付けた触手がうねりながら、僕の口から這い出ようとしている。磯の香りに誘われるように、海の方へとずずずと伸びる。
まさか、僕から、産まれようとしている?
そんなの、させてたまるか。限界までこじ開けられた口を、必死に食んで食い止めようとする。
だが、止まらない。噛めば噛むほどそれは大きく暴れ、膿を押し出すように加速してしまう。
「ぼぼっぼぼ」
ダメだ、もう、出……るっ。
「おごおええええええええ、うおお」
そのなにかは喉をずるずると滑り、夜の海へ流れてゆく。一度出してしまえばそれまでで、止めどなく流れるソレを眺めるしかない。
ずるるるるる──やがて最後の触手が、ちゅるんと抜けた。
「はぁ……はぁ……」
それにしても──なんだか気持ちの悪い話だが、気持ち良かった。鼻うがいで一気に洗浄されるような、そんな感覚。
だが、そんな余韻に浸ることも許されない。いつのまにか海は荒れ、船がぐらぐら大きく揺れ動く。
こんな時に船長は何をして──
「ハッハハハハハ」
な────笑っている。
だが、船長だけじゃない。船員もシェノンも、みな張り付いたような笑顔をこちらに向けているのだ。
何が起きている。
まさか、何か騙されたのか。
なにが、いつ、どこから、なんのために?
考えるよりも先に、船長に向かっていた。
「おいっ、僕に何をしたッ!」
「おやおや、そんなことしている場合かな」
僕らに大きな月影が差す。ぬらぬらと揺らめいて、潮水をぼたぼたと垂らしている。僕は上を見上げた──
「クラー……ケン……」
その、ゲソ。一つのゲソで、この船一隻分。
それが僕ら目掛け、振り下ろされた。
「バルクス!」
「フィルム!」
船が二つに割れ、宙を舞う僕ら。
その中でも船長らの顔色は、一つとして変わらない。
この裏切り者──そう叫ぼうとして意識が薄れる。
僕が最後に聴いたのは、セイレーンが奏でる鎮魂歌であった。
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