第9話「You're a Star, Mr. Bulks 後編」
「フィルム……」
バルクスの声が、滲んで聞こえる。
僕はうつむいたまま、涙で足元を湿らせることしか出来なかった。
自分の不甲斐なさに、前歯で唇を潰すことしか出来なかった。
ただ彼らの素晴らしさを、伝えたかった。
ただテレビの素晴らしさを、伝えたかった。
それだけなのに──
「あら。美味しいじゃない」
え。
その明るく温和な声に、誰もが目を向ける。
無人となった席。そこに残されたジュースを飲んでいたのは──
母さん。
「うぅ~ん、なんて爽快感あふれる飲み物なのぉ! まるで、ペガサスに乗って峠を越えるような味わいだわ~!」
まるで、通販番組みたいな大袈裟なリアクション。やりすぎていて、恥ずかしい。
「ほら。お父さんも飲んでみて?」
「え。あ、あぁ」
母さんからグラスを受け取る父。震える両手で口元にソレを運んだ。
「う、うん。トテモオイシイ。すっきりとシタ味わいダナ」
……こっちはこっちで、酷い演技。まるでオークかゴブリン。
それでも、父さんは僕のために慣れないことをしてくれている。
だというのに──なんで僕が、諦めているんだ。
ちょっと上手くいかなかったぐらいで、ちょっと予定が狂ったぐらいで。
クソだな。まだ、親のスネを齧ってる。
「テ・レヴィジョン!!」
噴水のスクリーンは生きている。最後の羊皮紙を掲げた。
「んぉ。うおお」
スクリーンが夕焼けの色に染まり、どこからか感嘆が漏れた。
ツカミはよし。そこからぐぐっとズームアウト。
夕焼け、黄金の木々、煌めく湖畔。それらが順に現れ、映像に美しく安らぎのあるイメージを与えてゆく。
そして画面左。揺れる尻尾が徐々に姿を現す。ケンタウロスが湖畔を疾走する画。
後から被写体を明らかにする『リヴィールショット』。
映像の雰囲気、そのメッセージを伝えるにはコレが最適だった。
「いち、に、さん──────」
僕はすかさず観客の目を見て数える。どこに目が向いているのか。
夕焼けか、湖畔か、それともケンタウロスか。まだ、画面から逸らすか──
「……っ」
広場の視聴率は六十パーセント。想定以上の視線が、画面左端に集まっていた。
正直、どういう想いで見ているのかを推し量ることはできない。
興味、愉快、不快、奇怪──色々あるけれど、見られているという事実が大切。
そこから先は、映像内のケンタウロス。バルクスに懸かっている。
土埃はその場の匂いを伝え、走る筋肉の伸縮は熱気を伝え、地面への目くばせは彼の知性を伝える。
そしてバルクスの姿が、勇ましさを伝えていた。
先程、僕が追われている映像を見せた時は目を逸らしたり、退席したりする者が目立っていた。だが、もう違う。
広場の誰もが画面を凝視。広場の視聴率は八十パーセントまで上っていると思う。
それは「ケンタウロスは畏怖する存在ではない」と、認めた証でもあった。
「バルクス。ありがとう」
「え?」
あとは────グラスに残ったジュースを全て流し込む。舌がピリリとした。
その場を離れ、彼らの座る席に向かう。そして半ば強引にグラスを持たせ促した。
「さぁ。この、素晴らしい姿を見て、もう一度。もう一度だけで構いません! カラバジュースをグイっと。グイっと、いっちゃいましょう!」
正直、こういう司会進行役は今も慣れない。
けれど、慣れないことでも諦めなかった。誰も飲まなくたって諦めなかった。
暫くそうしていると、どこからか声が聞こえ始める。
「んん? なんか、爽やかというか……」
「うん。スーっとする感じ? なんだろこれ」
味が、変化していた。
心が、変化していた。
「すみません。この味って、なんの味なんですかね?」
後ろから、そう話しかけられた。けど、飲んだことがないので分からない。
僕がバルクスと出会った時、飲んでいたら答えられていたのだろうか。
「うーん……誤解がほぐれて、世界が広がった味。ですよ!」
適当こいた。言葉のない感情が多すぎる世界が悪い。
「フィルムー、戻って来てえ!」
気付けば、バルクスの前にカラバジュースを求める列が出来ていた。
さすが、新しいもの好きなピーカントの住民。僕は急いで戻り、客を捌く。
その列が少なくなるにつれ、広場はバルクスの映像を中心に賑やかになっていく。
そして、列が無くなった頃。気付く。
「ふぅ……あれ?」
小さな手が下から伸びている。下を覗き込むと、小さな女の子がいた。
僕が少女に話しかけようとすると、バルクスが小さく靴を鳴らす。
「フィ、フィルム……」
「なに?」
「この子……森の外れで会った子だ。多分」
あ。怖がらせたから、謝りたいと言っていた子。この街の子だったのか。
けれどまだ、バルクスの正体を明かすわけにはいかない。
彼の背中をさする。不安げなバルクスに代わって、僕が接客しよう。
「ねーえ。ちょーだい!」
シーツを何度も引っ張る少女。
「あてちにも、ちょーだいってばぁ!」
「あ、ちょっと待ってね」
何度も、シーツを、ぐい。ぐい。ぐい。
ぐい、ぐい、ずる──り。ベッドシーツが、ずれる。
「あ」
上に乗せたグラスが倒れ、机の木目、馬の脚まで露出。
「あああっ」
更に、それを後押しするように広場に突風が吹き荒れた。やば──
「ケ、ケケケ。ケンタウロスだぁああああああ!!」
騒然とする広場。途端、戦乱となる。
「やっぱり、おかしいと思ったんだッ」
「そうだ。何が、カラバジュースだ。こんなものぉ!」
彼らはバルクスに向かってグラスを投げつける。
それを止める者も居れば、便乗する者も居た。東の森の詩を歌って陽動している。
「バルクス!」
飛び交うグラス。とっさに背中の長机を持ち上げ、盾にした。
「バルクス。とりあえず、今は逃げよう!」
声をかけるが、バルクスはうつむいたまま。
「フィルム……やっぱり俺たち、怖いのかなあ」
「そんなこと、は────」
言おうとして、躊躇った。たしかに、今はなんにも怖くない。
だけど最初は、同じぐらいビビり散らかしていた。その事実が僕の口をふさぐ。
二人の間に厭な沈黙が流れた刹那。噴水前から、無邪気な声が聞こえた。
「キァアアアアア! かっくい~!」
スクリーンの前。はしゃぐ少女。その姿に時が止まる。
騒音がほんの隙間で途切れ、整然が訪れる。
本来、泣き叫んでもおかしくない子供。
本来、冷静にならなければならない大人。
その差違。誰もが、自分を恥じずにはいられなかった。
「お、お嬢ちゃん。そこに居ちゃ危険だ! 早くこっちに──むぐごっ」
そんな中、まだ要らぬ忠告をする中年男性。その口を、父が羽交い締めにする。
そのまま僕に向け、にたりと笑った。ナイスだ、父さん。
「ん~? ああっ。おにーさん、お顔いっしょ!」
いっぽう少女。腕をブンブン振り、水幕とバルクスを交互に指して笑っている。
「え……あ。君、俺のこと……怖いんじゃあないの?」
「えー、なんで~?」
「なんでって……」
困惑するバルクスをよそに、少女は噴水で指先を濡らす。
そして地面になにか、書き始めた。これは──
「見てー。似顔絵!」
「……………」
湿った地面には、三つ編み髭の顔が描かれていた。
「ね~似てるでしょー。横のおにーさんも、そー思うよね?」
そしてその顔は、とても優しい顔をしていた。
「……うん、似てるよ。君にも、そう見えてるんだね」
僕の言葉に、少女は大きく頷く。
彼女がなぜ、森の外れで泣いたのかは分からない。
けれどその似顔絵が、「バルクスのせいではない」と、雄弁に語っていた。
バルクスは両掌で顔を覆うだけで、何も喋らない。
だがその腕を伝う水滴を見れば、何か言わせるのが野暮であると分かった。
「あ!」
嫌味なほど無垢な少女。彼女は、思い出したかのように両手を差し出す。
「じゅーちゅ!」
────ごめんね。グラスはぜんぶ、割れてしまったよ。
僕がそう言いだそうとしたとき、ずるりと足裏を擦る音が鳴った。
淑女が、こちらに歩み寄って来ている。香水屋の主人だ。
「お、お嬢ちゃん。これ、飲みかけだけれど……飲んでみる?」
「わっ、ありがと~!」
小さな両手でグラスを受け取ると、フチいっぱいに口を広げゴクリと飲む。
「キァアアア! おいち~!」
そう言うと、噴水を周りスキップ。グラスを持って、はしゃぎ始めた。
というか、この子の親は何処にいるのだろう。
もしかして……こんな調子で迷子になって、だから泣いていたんじゃ。
冷静になって少し呆れる僕。だだ、その間も事態は進んでいた。
「わ、私ね。香水屋を営んでいて。あなたの言っていた『リングパルファム』って、どこで買えるのかしら?」
いつの間にか、淑女はバルクスへ接触。
彼はとっさに手の平を見る。それはもう滲んで使い物にならなかった。
バルクスは眉をひそめ、僕に助けを求める。
「フィルム……どうしよう」
どうしようもなにも。ただ、君の言葉で喋ればいい。
僕は裏方で、君は演者。そのステージで輝く君を撮るのが、僕の仕事だ。
僕は小さく頷いて、その場を離れた。
「どうされたの?」
「あ、うぅ……えーと。実は────」
それから彼は、リングの森のことを静かに、誠実に伝え始めた。
しばらくすると、ほんの小さな人だかりが出来る。
香水の話が切っ先だったので、女性が四人。その誰かの夫が一人。
少女はもうすっかり懐いて、バルクスの背中に乗っている。
もちろん、これを良く思わない住民もいる。
遠巻きで疎ましそうに眺める者。近くで睨みを効かせる衛兵。
僕の横でガミガミと文句を言っては、ツバを散らす者。
でも、これだけは言える。だからこそ、言える。
バルクス、君はスターだ。
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