第91話 イザベラの真価
西大陸。帝国皇帝が放った「最終兵器」の爆発が、遠く地平線の彼方で光を放つ。その光は何度も何度も繰り返され、激しく天空を染める。
イザベラは孤児院の屋上に立ち、その光を見つめていた。
風が頬を撫で、髪が揺れる。彼女の表情は平静だが、瞳には確かな決意が灯っていた。四十年以上を奴隷として生きた身体。今はこの孤児院の統領として、西大陸の未来を背負う立場にある。
「イザベラ様」
声をかけたのは、孤児院の副統領・ハロルド。五十代の男で、かつては帝国の兵士だった。彼は書類を抱えていた。報告書だ。
「北西部の避難所では、既に千二百人の子どもたちを収容しました。南東部は五百人。中央部は……」
ハロルドは数字を読み上げていく。しかし、イザベラは彼の言葉を聞きながらも、視線は地平線の光から離さない。
「全部で幾つだ」
「現在、西大陸全域で約六千人の戦争孤児を確保しました。ただし、毎時間、数十人単位で増え続けています。食料の確保が……」
「リリアに連絡を入れた」
イザベラが口を開いた。声は静かだが、その中には強い指示が込められている。
「リリアは東大陸の商人ギルドを統率している。彼女は既に帝国との全交易ルートを遮断した。その過程で、帝国が蓄積していた穀物倉庫や物資を把握している。ハロルド、お前は三十人の精鋭を選んで、東大陸との密輸ルートを開設するんだ」
ハロルドは一瞬、目を瞬かせた。それは帝国への直接的な反逆を意味する。
「イザベラ様。それは……」
「我々はもう引き返せない位置にいる」
イザベラは遂に地平線から視線を外し、ハロルドを見た。その瞳は深く、そしてどこか悲しい。
「あの光を見るか。あれは帝国皇帝が放った最終兵器だ。その爆発で、何万人もの兵士が死ぬ。戦闘員だけではない。巻き込まれた民間人も、その中には含まれている。子どもたちも」
ハロルドが息を飲む。
「そしてな、ハロルド。この戦いが終わった後。帝国側が勝利すれば、アルトたちは全員死ぬ。ニナは首を切られる。リリアも、シャーロット王女も。そして我々の孤児院も、帝国に逆らった反乱勢力として認定され、破壊される」
イザベラの声は静かだった。しかし、その静けさには強い確信が込められていた。
「だからこそ、我々は勝たねばならない。そのためには、この戦争を生き残った子どもたちのために、今から準備を進める必要があるんだ。戦争は必ず終わる。その時、誰かが子どもたちの面倒を見なければならない」
ハロルドは書類を抱いたまま、イザベラを見つめた。四十年以上の奴隷生活を経験した女性だ。彼女は誰よりも、人間の絶望と復帰の難しさを知っている。
「かしこまりました。三十人の精鋭を選別し、本日中に東大陸へ向かわせます」
「そうだな。そして、ハロルド。お前がすることはそれだけではない」
イザベラは屋上から降りながら、指示を続ける。
「北大陸との連携を取れ。ニナのところには既に多くの獣人難民が流入しているはずだ。獣人の子どもたちも、戦争孤児になる可能性がある。種族を問わず、全ての子どもたちを受け入れるネットワークを作るんだ。帝国皇帝が何を考えようとも、この大陸には命を救う場所が必要だ」
二人は孤児院の廊下を歩いている。その傍らには、多くの子どもたちの姿がある。
小さな女の子が、イザベラを見て声をかけた。
「おばあちゃん。あのピカピカは何ですか」
地平線の光を指さす小さな指。イザベラは立ち止まり、その子を抱き上げた。
「それはね。遠い所で、誰かが頑張ってくれているんだ。その人たちは、みんなのために戦ってくれている。だからね、我々もその人たちを信じて、ここで子どもたちを守るんだ。いいかな」
子どもは無邪気に頷いた。
イザベラは子どもを降ろし、再びハロルドに向き直った。
「孤児院の規模を現在の五倍に拡張する。西大陸の全ての都市に支部を設置するんだ。現在の食料と医療では足りない。ハロルド、お前はこの書類を持って、西大陸の全ての豪族に直訴に回るんだ」
ハロルドが驚いた表情を見せる。豪族への直訴は、通常であれば命がけの行為だ。帝国の統制下にある西大陸では、皇帝に逆らう者は反逆罪として処刑される。
「これは」
ハロルドが書類の表紙を見た。そこには、シャーロット王女の署名があり、そしてイザベラの署名も記されている。さらには、北大陸のニナの署名。東大陸のリリアの署名も。
「これは『自由連合』の公式文書だ。我々は既に、帝国に対して明確な敵対姿勢を示している。ならば、西大陸の豪族たちも、帝国に見切りをつけるべき時が来たんだ。ハロルド。お前がこの文書を持って歩けば、多くの豪族がお前の後に続く。そして、彼らの兵士たちは『帝国軍ではなく、自由連合軍』として機能するようになる」
地平線の爆発音が、再び響き渡った。
その音を聞きながら、ハロルドは改めてイザベラを見つめた。奴隷の身で生きた四十年。その経験が、この女性に何をもたらしたのか。もはや彼女は単なる孤児院の統領ではない。彼女は戦争孤児たちを守る砦そのものであり、同時に西大陸全体の未来を変える力を持つ人間へと変わっていた。
「イザベラ様。わかりました。本日中に豪族への訪問を開始します。そして……」
ハロルドは息を吸い込んだ。
「この戦いが終わった後、子どもたちが笑える世界を作る。約束します」
イザベラは静かに頷いた。
「ハロルド。お前の約束を信じている。そして、アルトも、その友人たちも、必ずお前の約束を実現させるために力を貸すだろう。なぜなら、彼らは『契約者』だからだ。約束を果たすために存在する者たちなのだ」
その時、孤児院の食堂から子どもたちの笑い声が聞こえた。まだ戦争の実感がない幼い子どもたちの、純粋な笑い声だ。
イザベラはその音に耳を傾けながら、心の中で呟いた。
この笑い声を守る。どんな困難があろうとも、この子どもたちの未来を守る。それが奴隷から解放された自分に課された使命だ。
中央コアでアルトが必死の覚悟を持って進む傍らで、西大陸ではイザベラが別の形の戦いを始めていた。武器を持たない戦い。しかし、その戦いの重要性は、戦場での刃の交わりと同じほど、いや、それ以上に人類の未来を左右するものであった。
ハロルドが廊下を急ぎ足で下りていく。彼の手には、自由連合の公式文書が握られている。その文書は西大陸全体に波紋を起こし、帝国皇帝の支配体制を揺るがすであろう。
イザベラは再び屋上へ向かった。
地平線の光はまだ消えない。それは帝国の最終兵器が、今この瞬間も戦い続けていることを意味している。アルトはセリアを抱いて、中央コアへ向かっているはずだ。
「頑張ってください。アルト。ニナ。リリア。シャーロット」
イザベラの呟きは風に乗り、四大陸へ広がる。その言葉と共に、西大陸全域で新しい動きが始まろうとしていた。豪族たちは、帝国の完全支配から解放される選択肢を得たのだ。
子どもたちを守る戦い。それは同時に、世界全体を変える戦いへと繋がっていく。
イザベラの視線が、再び地平線へ向かった。




