第89話 三大陸統一宣言
帝国領内での物資枯渇は、想像以上の速度で社会を蝕んでいた。
リリアからの情報によれば、帝国の主要都市では既に食料品の価格が三倍に跳ね上がり、一般市民の間で軽微な暴動が発生しているという。ニナが北大陸から送ってくる報告も似たようなものだ。帝国東部国境では、軍の物資輸送ルートが完全に遮断され、前線部隊の士気が低下し始めているらしい。
シャーロットは帝国城の改革派議室で、その情報を前に深く息をついた。
「リリアの商人ギルドの力は、予想以上だ」
彼女は窓越しに、帝国城下町の混乱した様子を眺めていた。普段の秩序正しい帝国の城下町とは思えない。市民の群れが食糧配給所の前に長い行列を作り、騎士団が秩序維持に奔走している。
「だが、これはまだ序章に過ぎないんでしょう?」
声をかけたのはウェイン公爵だ。彼は会議机に肘をついて、改革派議員たちの様子を観察していた。
「あそこの皇帝派議員どもの表情を見ろ。彼らは必死で皇帝への忠誠を示そうとしている。だがその目は、恐怖で満ちている」
シャーロットは微かに笑った。
「アルトが中央コアで何をしているのか、まだ詳しい報告は来ていない。だが、彼が動いている間に、私たちは世界を変えなければならない。その時間は、今だ」
彼女は決然と振り返り、テーブルの上に広げられた地図を指差した。
「東大陸のリリア、北大陸のニナ、西大陸のイザベラ。三人の支配者が一堂に会する時が来た。正式に『自由連合』を結成するのだ」
改革派議員たちから、静かな興奮の声が上がった。
「ですが王女殿下、帝国はまだ軍事力では圧倒的です。武装宣言は危険では……」
その声に、シャーロットは静かに首を振った。
「危険?」彼女の瞳は冷たく輝いていた。「その言葉を口にする者は、今この瞬間、自分たちの足がどこに立っているのかを忘れている。帝国は既に過去のものだ。新しい時代は、もう始まっているのだ」
彼女は東大陸へ向けて送信する文書を手にした。それはリリアへの正式な宣言文だ。
「東大陸統領殿へ。ウェスタリア帝国改革派は、北大陸、西大陸との連合構想に正式に参加することを宣言する。帝国は過去。私たちの未来は、相互選択の下で成り立つ自由連合である」
東大陸のギルド本部では、リリアが同じ瞬間に異なる宣言を準備していた。
彼女の部屋は、かつての奴隷小屋とは程遠い。壁には世界地図が貼られ、商業ルート、物資流通図、そして軍事配置図まで、あらゆる情報が図示されていた。
「統領、帝国からの反撃が始まるとの報告です」
ドミニクは額の汗を拭いながら報告書を差し出した。
「帝国東部軍が、商人ギルド管理下の国境地点への強制突破を画策しているとのことです」
リリアはそれを読み、静かに頷いた。
「予定通りだ。北大陸のニナに伝えろ。国境地点での軍事衝突が起きたら、獣人勢力が即座に帝国軍を挟み撃ちにする。商人ギルドは戦闘せず、物資輸送路を完全に遮断し続けるだけでいい」
「ですが、そうなると帝国は本気で軍事侵攻を……」
「その通りだ」
リリアは机の上に座り、まっすぐドミニクを見つめた。
「ドミニク、君は奴隷時代を知らないが、私たちは知っている。優しい選択肢など、この世に存在しないということを。帝国皇帝は改革を受け入れないと言った。それなら、帝国は滅びるか、変わるか、どちらかだ。その二者択一の中で、私たちは選ぶ権利を持っている」
彼女は西大陸へ向けて送信する宣言文を手にした。
「西大陸統領イザベラ殿へ。東大陸商人ギルドは、北大陸の獣人自治区、帝国改革派勢力と正式に『自由連合』を結成することを宣言する。奴隷制度なき世界、相互選択の未来を共に築くために」
北大陸では、ニナが獣人軍の最高本部で戦闘計画を展開していた。
狼族の本部は、かつての奴隷小屋から改造された建物だ。壁には各種族の旗が掲げられ、獣人たちの軍事同盟が視覚的に示されていた。狼族、虎族、鳥族、そして牛族の有力者たちが一堂に集まっていた。
「帝国軍は既に臆病になっている」
ニナは大きく身を乗り出した。その狼耳は、遠くの軍事会議を捉えている。
「経済的な締め付けと、アルトの約束の鎖による精神的な一体感。帝国は外と内から同時に崩壊しつつある。私たちは、今行動すべき時だ」
「しかし、女王。帝国の軍事力は……」
牛族の族長が慎重な声を上げた。
「数だけなら、帝国が勝る」
「違う」
ニナは立ち上がり、北大陸の地図を指した。
「帝国はこれまで、獣人を『下等な敵』として見下していた。だから、本気で戦った経験がない。一方、私たちは何千年も、人間の奴隷として生き延びてきた。その過程で、生き残りの術を学んだ。獣人の機動力、隠密性、そして何より、自由のために死ぬことさえ辞さない決意。これらを組み合わせれば、帝国軍を圧倒することは十分可能だ」
虎族の長老が、老いぼれた顔に満足げな笑みを浮かべた。
「いよいよ、その時が来たか。千年待った甲斐がある」
ニナはそれに応じるように頷き、西大陸とウェスタリア帝国へ向けた宣言文を掲げた。
「西大陸統領イザベラ殿、帝国改革派シャーロット王女殿へ。北大陸獣人自治区は、東大陸商人ギルドと共に『自由連合』を正式に結成することを宣言する。奴隷制度廃止、獣人市民権確立、そして相互選択による未来世界の実現のために」
西大陸では、イザベラが孤児院ネットワークの本部で、最も大切な決定を下していた。
彼女の部屋の壁には、何千という顔写真が貼られていた。孤児院で救済した子どもたちの顔だ。戦争で両親を失った子、奴隷商人に売られかけた子、帝国の重税で路頭に迷った子……あらゆる悲しみの象徴たちが、その壁に存在していた。
「イザベラ姐さん、本当にやるんですか?」
若い女性スタッフが、身震いしながら尋ねた。
「帝国に宣言すれば、孤児院への援助が打ち切られるだけじゃなく、弾圧が……」
「分かっている」
イザベラは静かに答えた。
「だが、考えてみてください。帝国は今、経済的に崩壊しかけている。援助なんて、すぐ来なくなる。なら、最初から帝国に頼るのではなく、私たちで自分たちの未来を作る。その覚悟を示すべき時です」
彼女の瞳は、かつての奴隷時代の傷を刻んでいながらも、光に満ちていた。
「アルトは言いました。相互選択の世界へ、と。それは、子どもたちの未来でもあるんです。帝国の奴隷として生まれるのではなく、自由な大人として育つ。その権利を、私たちは与えなければならない」
イザベラは三つの宣言文を手にした。東大陸、北大陸、帝国改革派へ向けた宣言文だ。
「すべての自由を求める者たちへ。西大陸孤児院ネットワークは、東大陸商人ギルド、北大陸獣人自治区、ウェスタリア帝国改革派と共に『自由連合』を正式に結成することを宣言する。すべての子どもたちに、選択可能な未来を」
同じ刻、四つの宣言文が、四つの大陸から一斉に帝国へと送られた。
帝国評議会の玉座の間に、その四つの宣言文が、皇帝マクシミリアンの足元に落とされたのは、正午の鐘が鳴ったその瞬間だった。
皇帝は、その文書を拾い、ゆっくりと読み上げた。声には怒りではなく、冷たい笑みが含まれていた。
「『自由連合』……なるほど。そこまで覚悟を決めたか」
彼は宣言文を破き、その破片を自分の足元に散らした。
「では、その『自由』の代償を、この帝国が示してやろう。最終兵器を起動せよ。全世界に、帝国の力を思い知らせるのだ」
皇帝の指令は、即座に帝国軍全域に伝達された。
同じ瞬間、中央コアの最奥部では、アルトが意識を失いかけながら、セリアの改革理論をシステムに入力していた。彼の複数契約による精神的負荷は、既に人間の限界を遙かに超えていた。
そして、帝国城の地下深くで、皇帝マクシミリアンが発動させた最終兵器が、ついに目覚め始めた。




