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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第88話 ヴァルデスの選択

帝国領内の物資価格が三倍に跳ね上がった。


リリアの商人ギルドによる経済封鎖は予想以上の威力を発揮していた。穀物、塩、医薬品――生活必需品のほぼすべてが流通を断たれ、帝国領内の都市部では既に暴動の兆候が出始めていた。市場では物乞いと富豪の贅沢がかつてないほど乖離し、社会の亀裂が可視化されている。


だが、その経済戦争の影で、別の動きが起こっていた。


北大陸にある、アウトローの根城――ネクロピス地下城塞の最奥室。そこで、かつてアルトの敵と目されていた男が、一人の使者と対面していた。


ヴァルデス・クリムゾン。


かつては帝国皇帝の私設軍団を率い、奴隷商人たちとの不透明な取引で莫大な富を築いた男。その肌は黒く焼けており、片目は機械化された銀色のレンズとなっていた。彼の背後には、数千の傭兵と反政府勢力が集結している。


「本当なのか?」


ヴァルデスの声は低く、濁っていた。使者――帝国評議会の改革派派遣者――は慎重に答えた。


「はい。シャーロット王女の指示です。アルト・ソルヴェンとの協力を求めています。皇帝マクシミリアンは既に帝国内の統制を失いかけており、中央コアの掌握を企図しています。このままでは帝国全体が崩壊します」


ヴァルデスは笑った。それは狂気じみた笑いではなく、何かを悟った者の笑いだった。


「奴は何度も俺たちを潰そうとした。俺たちの産業、俺たちの命。それを忘れるとでも思うのか?」


使者は黙った。評議会から与えられた説明では、この男を説得することは非常に難しいと聞いていた。ヴァルデスは皇帝に次ぐ権力者であり、帝国と相互利用の関係にあった。彼が反乱軍に加わるはずがない。


しかし、ヴァルデスは続けた。


「だが、な。奴が何をしようとしているのか、ようやく理解できた。アルト・ソルヴェン。契約者。システムそのものを改革しようとしてる奴だ」


使者は目を見張った。


「ご存知で……?」


「俺たちのような者たちは、帝国の中でも特殊な立場だ。奴隷商人、傭兵団、非合法組織。帝国は俺たちを必要とし、同時に弾圧する。その矛盾の中で生きてきた」


ヴァルデスは窓から帝国領を望んだ。遠く、帝国城が見えている。


「マクシミリアン皇帝は、人類全体をシステムで統制しようとしてる。それはつまり、俺たちのような『枠外の人間』は完全に消滅するってことだ。帝国の中でさえ、既に非合法領域への圧力は強まってる。これ以上システムが統一されたら、俺たちに逃げ場はない」


「では……ご協力いただけると?」


「待て」


ヴァルデスは手を上げた。


「俺はアルト・ソルヴェンを信用していない。あの男は何度も約束を破った。契約者だからって無敵じゃねえ。むしろ、その力ゆえに傲慢になってる可能性も高い」


使者の心臓が沈んだ。これで話はまとまらないのかと思った。


だが、ヴァルデスは次の言葉で全てを変えた。


「だから、直接会う。アルトに。奴がどの程度本気なのか、どこまで覚悟できてるのか、この目で確かめる。それでも俺たちと手を組めるなら、北大陸の全勢力を帝国に向ける。ネクロピス傭兵団、アウトロー同盟、全て。だが、もし奴が妥協するなら、その時は別だ」


「直接面会ですか……?」


「今、アルトはどこにいる?」


「帝国城地下の禁足の間を出たばかりの情報があります。中央コアの方へ向かっているはずです」


ヴァルデスは首を傾げた。


「システムの中枢か。つまり、最終段階に入ってるということだな」


彼は腰の銀色の拳銃に手を置いた。その銃は、ただの武器ではなく、禁止された魔導兵器――帝国が非合法化した旧世代テクノロジーだった。


「案内しろ」


「は、ははい!」


使者は慌てて返事をした。ヴァルデスは立ち上がると、自分の部下たちに指示を飛ばし始めた。


「全軍戦闘態勢を解除。移動準備開始。だが、警備は厳重に。皇帝派が俺たちの動きに気づいたら、即座に激突する。生存確率は最大50%だ」


部下たちも異論を唱えなかった。彼らはヴァルデスに従うことが、この時点で何を意味するのかを理解していた。帝国への完全な決別だ。


数時間後、ヴァルデスは帝国城の周辺部に到達していた。


その道すがら、彼は使者に聞いた。


「お前たちシャーロット派は、どうしてアルトを信用する?あいつは奴隷を解放しただけだ。それ以上の実績があるのか?」


使者は考えた。


「シャーロット王女は、アルトの眼差しを信じている、とおっしゃいました。その瞳には、何かを守ろうとする決意がある、と」


「感情か。くだらん」


ヴァルデスは呟いた。しかし、その声には、少しだけ何かが揺らいでいた。


帝国城への潜入は、予想より容易だった。既に帝国軍の一部が改革派に寝返っており、地下ルートはある程度開放されていたのだ。ヴァルデスは使者の案内で、深く地下へと進んでいった。


やがて、彼らは一つの通路で、一人の男と女と出会った。


アルト・ソルヴェン。そしてセリア――帝国の天才魔術師だ。


セリアは銃撃傷を負い、アルトに支えられながら歩いていた。その表情は痛みと疲労で蒼白だったが、アルトを見つめる眼は確かに光を失っていなかった。


ヴァルデスは銃を構えなかった。使者の側に立つだけだ。


「アルト・ソルヴェン」


その名を呼ぶと、アルトは振り返った。その眼は、数十人の奴隷を解放していた時のそれとは全く別物だった。複数の契約を同時に保有する人間の眼。精神的な限界の淵に立つ者の眼だ。


「ヴァルデス」


短い返答だった。


「決着をつけるのか?」


「違う」


ヴァルデスは片眼で、アルトの全身を観察した。その小さな動きから、彼は多くのことを読み取った。複数契約の管理による精神疲労。セリアへの責任感。そして、何か大きなシステムの改革を背負おうとしている覚悟。


「俺たちが手を組む。帝国に対して」


アルトは目を細めた。


「なぜ?」


「理由は簡単だ。お前がシステムを改革すれば、俺たちのような非合法勢力も『選択可能な存在』になる可能性がある。現在の帝国なら、俺たちは消されるだけだ」


ヴァルデスは歩を進めた。


「つまり、俺たちは利害が一致したってわけだ。敵と味方を超えて」


「損得勘定か」


「そうだ。だが、それが最も確実な絆だ。感情は裏切る。だが、利益は約束する」


セリアが小さく笑った。その笑い声は虚弱だったが、確実に存在していた。


「彼、正しい。帝国が統一されれば、非合法組織は全滅。ネクロピス傭兵団も例外ではない。だから、彼は選択した。唯一の生存戦略」


アルトは数秒、沈黙していた。その間、彼の複数契約の繋がりが可視化されるなら、ニナ、リリア、シャーロット、イザベラとの約束の鎖が、一瞬激しく揺らぐだろう。


だが、彼は手を出した。


「協力する。ただし、一つ条件がある」


「何だ?」


「システムの改革が完了した後、非合法勢力もシステムの中に組み込まれる。完全に消滅させられるのではなく、『選択可能な存在』として。その時お前たちは、真に法に従うか、あるいは新しい秩序の中で独立するか、そのどちらかを選べるようになる」


ヴァルデスは手を握った。


「いい条件だ。なら、俺たちは組む」


握手は数秒続いた。その瞬間、かつての敵同士は、複雑な協力者へと変わった。


セリアが咳き込み始めた。


「我々は、進む。中央コアへ。システムの改革……実行する」


アルトはセリアを更に強く支えた。


ヴァルデスは通信機を取り出し、北大陸へ指示を送った。


「全軍、帝国南部への進撃を開始。対帝国軍正規作戦モード。死傷覚悟で進め」


返答は一言だった。


「了解。全力で参ります」


ヴァルデスは二人の後ろに続いた。前方では、皇帝マクシミリアンがシステムの最深部で何かを企図している。その阻止が、奇妙な同盟の最初の試験となるだろう。


地下通路の奥で、システムの機械音が静かに、しかし確実に響いていた。

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