第83話 獣人蜂起
北大陸、ミドリ高地。
草原の風が吹き抜ける中、数千の獣人たちが集結していた。狼族、虎族、鷲族、熊族――種族を超えた異例の同盟が、かつてない規模で形成されていたのだ。
その中心に立つのは、一匹の女狼。銀色の毛並みに、鮮烈な赤い瞳。
「全員、聞け」
ニナの声が、魔力を帯びて響き渡る。群衆はざわめきを止め、一斉にその小柄な身体へと注目した。
彼女は高く掲げた手に、アルトから与えられた「約束の鎖」の光が浮かぶのが見えるようにしていた。それは、自分たちが決して一人ではないこと、遠くアルトと繋がっていることの証だった。
「帝国軍の別働隊が六時間以内にここに到着する。獣人狩りの名目で、我々を奴隷にするか、殺すかするつもりだ」
ざわめき。恐怖の声もある。しかし、ニナは続けた。
「だが、もう逃げる必要はない。今日から、俺たちは獣人解放戦線だ。自分たちの土地を、自分たちの命を、自分たちで守る。これまで人間の奴隷として生きてきた者たちよ。今日、俺たちは宣言する。獣人の尊厳を回復するために、立ち上がる」
その声は、震えていた。だが、それは恐怖からではなく、激怒からだった。
「ニナ様」
一頭の巨大な熊族が前に出た。以前はヴァルデスの傭兵として働いていた男だが、数週間前にアルトとの接触を通じてニナの元へ投降していた。
「俺たちは、本当に帝国軍に勝てるのか?」
その質問に対し、ニナは冷たく笑う。
「勝つ必要はない。持たせるだけで良い。アルトと東大陸のリリア、そしてシャーロット様がいる。帝国は今、四方八方から圧力を受けている。帝国軍がここに時間を費やす間に、アルトが中央コアに到達する。それが勝利だ」
遠く、北方の空が赤く染まり始めた。帝国軍の進撃の合図だ。
ニナの耳が、敵の足音を捉えた。彼女は深く息を吸い込む。
「狼族は左翼、熊族は要塞防衛、虎族と鷲族は騎動撃。獣人の血は尊いんだ。無駄に流すな。長く持たせろ。アルトの勝利まで、ここを守り切る。いいな」
「「「了解」」」
獣人たちの吠える声が、大地を揺らした。
帝国軍の先頭部隊が、草原の向こうに姿を現す。
白い鎧、赤い旗。帝国の威光を象徴する軍勢だ。その数は五千。ニナの軍勢とほぼ同等だが、訓練度と装備では明らかに勝っている。
ニナは、アルトとの約束を思い出す。
「持たせるだけで良い」
彼女は、その一言だけを頼りに、剣を抜いた。
銀色の狼の剣が、太陽の光に反射する。
「獣人解放戦線、第一次対帝国軍作戦を開始する。進め」
獣人たちの吠える声が、帝国の戦列へと殺到した。
一方、東大陸。
商人ギルド本部の中核施設では、リリアが局長との緊迫した交渉を行っていた。
「あなたが帝国に物資の供給を止めると言うことは、戦争行為と見なされます。商人ギルドとしては、政治的中立を保つ義務があります」
商人ギルド最高局長・レナルドの言葉は、官僚的で冷徹だった。
だが、リリアはその机を叩く。
「レナルド殿。帝国は今、公式にアルトを敵として指定しました。そして同時に、帝国内の改革派議員の身柄確保を開始した。これは、クーデターです。内戦です」
彼女の目は、燃えていた。
「商人ギルドが帝国の全面支持をすれば、戦後、勝者から報酬を受ける。だが、もし帝国が敗れたら、我々は敵側として扱われる。ギルドの利益を考えるなら、今は賭けるべき時です」
レナルドは眉をひそめる。
「リリア、あなたが言うのは、ギルドの分裂を招く」
「ええ。ですから、議決を取りましょう。加盟ギルド長たち全員で投票を行う。帝国への物資供給を継続するか、それとも停止するか」
リリアは、その瞬間を待っていた。
彼女は、この三ヶ月で各地の商人ギルドと直接接触してきた。そして、ほとんどのギルド長たちが、奴隷制度廃止と新しい世界秩序への移行に賛成していることを確認していたのだ。
議決の時間が始まった。
各地からの代理人たちが、魔導通信を通じて投票を行う。リリアは、緊張しながらその結果を待った。
賛成票は、予想通りに集まった。
帝国への物資供給停止。
それは、帝国軍の補給線を絶つことを意味する。
「決定しました。本日より、帝国への物資供給は停止。ただし、帝国内の改革派勢力および市民への供給は継続します」
リリアの宣言に、ギルド本部の会議室が沸騰した。
レナルドの顔が、蒼白になる。
「リリア、あなたは何をしたのか分かっていますか。帝国は、これを宣戦布告と見なしかねません」
「ええ。分かっています」
リリアは、静かに答える。
「ですから、こう言いましょう。商人ギルドは、『新世界秩序の実現』に投資しているのです。これは政治的中立ではなく、『人類の進化への投資』です。帝国がそれに反発するなら、帝国こそが時代遅れなのです」
その瞬間、彼女は思った。
アルトなら、こう言うだろう。
「約束を守るのなら、その結果を受け入れる」
リリアは、その言葉を胸に刻みながら、帝国軍への経済的包囲網を完成させるべく、新たな指示を発した。
西大陸。
イザベラは、帝国の上陸軍と対峙していた。
しかし、彼女の前に立つのは、銀色の盾と槍ではなく、数千の難民と孤児たちだった。
帝国軍の将軍は、その光景に呆れたような表情を浮かべた。
「イザベラ殿。邪魔するな。我々は帝国の敵を追う者だ。無抵抗の者たちには危害を加えない。道を開けよ」
だが、イザベラは動かない。
その背後に、孤児たちが肩を寄せ合っている。そして、その孤児たちの後ろに、西大陸の貴族たちが立っていた。進歩的な思想を持つ者たちだ。
「孤児たちは、帝国の敵ではありません。ただ、生きる場所を求めている者たちです。もし彼らを傷つけるなら、西大陸全体がそれに対抗します」
その言葉は、単なる脅しではなかった。
実際に、西大陸の複数の都市から義勇兵たちが集まり始めていた。帝国の専制支配に対抗する者たちだ。
帝国軍の将軍は、しばし黙考した。
本国からの指示は『アルトの追跡』だった。だが、ここで下手に孤児たちを傷つければ、西大陸全土が敵に回る可能性がある。
「分かった。我々は北上する。邪魔するな」
帝国軍は、西大陸での進撃を一旦停止し、北上を始めた。
イザベラは、その姿を見送りながら、胸をなでおろした。
だが、これは終わりではない。むしろ、序章に過ぎない。
彼女は、背後の孤児たちに振り返る。
「準備を進めてください。難民たちをミドリ高地へ。そして、アルトの勝利の知らせを待ちましょう」
帝国首都、ソルネイア。
帝国評議会の中心部では、改革派貴族たちが緊迫した会議を行っていた。
シャーロットは、その中でも最も強硬な発言をしていた。
「皇帝陛下の非常事態宣言は、違憲です。評議会の同意なしに宣言するべきではありません。これは、専制支配への第一歩です」
ウェイン公爵が続く。
「我々は、皇帝権の制限を求めます。帝国の将来は、単一の者の意思では決定されるべきではない」
反発も強かった。皇帝派の議員たちが、激しく反論する。
「聖なる帝国の伝統を破壊するつもりか。皇帝こそが、帝国の象徴であり、その権力は絶対なのだ」
だが、シャーロットは冷静に答える。
「伝統とは、時代に応じて変わるものです。奴隷制度も、かつては『伝統』でした。獣人差別も、かつては『伝統』でした。だが、それらは人類の進化によって乗り越えられるべき『過去』です」
その瞬間、魔導通信が鳴った。
アルトからの信号だ。
シャーロットは、それを見て、静かに立ち上がった。
「評議会の皆様。投票の時間です。皇帝権を制限するか、しないか。決めてください」
投票結果は、予想外だった。
改革派が多数派だった。
帝国評議会は、皇帝権の制限を可決させたのだ。
皇帝マクシミリアンは、その知らせを受けると、狂乱した。
「評議会だと。評議会など、俺の指先一つで瓦解させてやる」
彼は、帝国軍の全軍に命じた。
「全戦線での作戦を加速させよ。アルト・ソルヴェンを、生死を問わず確保せよ。中央コアに到達する前に」
その瞬間、帝国は、内戦へと突入した。
帝国城の地下。
アルトとセリアは、禁足の間の通路を進んでいた。
セリアの肩の傷は、未だ完全には癒えていない。しかし、彼女の目は、揺らいでいなかった。
「アルト。北大陸でニナが蜂起を宣言した。東大陸でリリアが帝国への物資供給を停止した。西大陸でイザベラが帝国軍の進撃を遅延させた。帝国評議会では、改革派が皇帝権制限を可決させた」
セリアが、魔導通信の情報を逐次報告する。
アルトの顔に、緊張が走る。
「全ての戦線が、同時に動いている」
「ええ。約束の鎖で繋がった我々は、もう一人ではない。四大陸の動きが、一つのシステムとして機能している。これが『相互選択』です」
セリアの言葉に、アルトは力強く頷く。
だが、その時、前方から異様な気配が迫ってくる。
それは、人間とは異なる何かの存在だった。
蒼い瞳をした黒いコートの人物。
「選別者」だ。
「契約者・アルト。あなたが最後の挑戦者ですか」
その声は、機械的で冷淡だった。
「システムは、あなたを試すために、ここに立たせました。過去六代の契約者たちは、皆、この試練に敗れました。あなたは、どうしますか」
その問いに対し、アルトは答える。
「俺は、破壊も支配も選ばない。俺たちは、システムを改革する」
「選択の幅が不足しています」
選別者が、その手を伸ばす。
中央コアへの道が、閉ざされた。
その瞬間、セリアが前に出た。
「アルト。約束を守ってください。そして、俺たちを信じてください」
彼女の体が、光り始める。
それは、約束の鎖の光だ。
ニナ、リリア、シャーロット、イザベラ。四つの光が、セリアの体を通じて集束し、一つの輝きへと変わった。
それは、「相互選択」の具現化だった。
その光の中で、選別者は静寂に包まれた。
「これは……新しい可能性です。記録します」
中央コアへの道が、再び開かれた。
アルトとセリアは、その先へ進む。




