第84話 帝国分裂
帝国城の評議会会議室は、静寂に包まれていた。
だが、その静寂は、嵐の前の静けさだった。
シャーロット・ウェスタリアは、玉座の間の階段を下りながら、自分の決定がもたらす重みを感じていた。肩をまっすぐに張り、青い瞳は一点の揺らぎもない。王族としての誇りと、アルトとの約束の鎖が一つになって、彼女を動かしていた。
「陛下の全人類統制宣言は、帝国憲章第七条に違反している」
評議会の議員たちの前で、彼女は声を上げた。その声は冷徹で、しかし揺るがない。帝国の最高権力者に対する明確な異論だった。
ウェイン公爵が彼女の横に立つ。長年、改革派の中心として活動してきた貴族だ。彼の顔には、覚悟が刻まれている。
「皇帝陛下は、古代システムの支配を目指している。これは、人類全体の自由意志に対する明白な侵害である」
シャーロットの言葉は、評議会の議員たちに波紋を広げた。一部は頷き、一部は眉をひそめている。帝国の権力構造が、音を立てて崩れ始めていた。
「王女殿下は何を言われておるか」
皇帝派の筆頭、カルバイン伯爵が立ち上がった。太った体躯を揺らしながら、彼は怒りに満ちた声で叫ぶ。
「陛下は帝国の安定を守ろうとしておられるのだ。アルト・ソルヴェンという危険な契約者から、人民を守るための正当な行動ではないか」
「安定?」
シャーロットは冷笑した。それは王族としての優雅さとは遠く、戦士としての鋭さを備えていた。
「陛下の措置は、すでに商人ギルドを占拠し、獣人狩りを宣言し、改革派の議員を投獄している。これのどこが安定か。これは支配だ。そして、支配の先にあるのは、奴隷社会の復活に他ならない」
その言葉が発せられた瞬間、評議会は割れた。
右手側の席に座る改革派議員たちが一斉に拍手を始めた。左手側の皇帝派は、激怒して机を叩く。アルゴス帝国の最高権力機関が、二つの派閥に分裂した。
シャーロットは、この分裂を望んでいた。いや、望んでいただけではなく、計画していたのだ。
彼女の手元には、複数の魔導通信機がある。北大陸のニナ、東大陸のリリア、西大陸のイザベラ。そして、帝国城地下を進んでいるはずのアルトとセリア。
彼らは、すべて一つの「約束の鎖」で繋がっている。
シャーロットが約束の鎖を通じて送る感情は、単なる情報ではない。それは、彼女の決意そのものだ。
「評議会の投票を求める」
彼女は、高らかに宣言した。
「皇帝の全人類統制宣言を無効とし、皇帝権を制限する。帝国は、民主的な統治体制へと移行する。投票者の過半数が必要だ」
議員たちが一斉に立ち上がった。投票用の水晶が配られる。帝国の未来を決める瞬間だ。
シャーロットは、計算していた。改革派の議員は、総数二十三名中、十二名。その中でも、確実に票を入れる者は九名。あと三名の中立派議員を説得できれば、過半数に達する。
最初の票が投じられた。白い水晶は改革派側へ。
二番目。白。
三番目。黒。皇帝派だ。
シャーロットは、心の中で数を数えていた。約束の鎖を通じて、彼女の感情がアルトへと流れていく。『待て。もう少しで我々は局面を変える』という決意が。
投票が続く。白、黒、白、白、黒、白、白、白…
最後の投票。
カルバイン伯爵が黒い水晶を投じた。当然だ。彼は皇帝の最側近だ。
だが、その瞬間。
議会の背後にある窓が、突然砕け散った。
帝国軍の兵士たちが、銃を携えて押し入ってきた。
「投票を中止する!」
兵士の長が叫ぶ。
「皇帝陛下の命により、この反逆的な評議会は解散される。王女シャーロット、およびウェイン公爵を身柄拘束する」
シャーロットの表情は変わらなかった。むしろ、予想通りだとでも言うように、彼女は立ち上がった。
「投票の結果を宣言する前に、武力で政治を制する。これが陛下の統治法か」
彼女の声は、評議会全体に響きわたった。
「帝国市民よ。聞け。皇帝は自らの権力維持のために、力を使う。これが、安定か。これが、秩序か。違う。これは、独裁だ。そして、独裁は、必ず滅ぶ」
その言葉の瞬間、シャーロットの周囲に青い光が立ち上った。
約束の鎖だ。
彼女が、アルトとの契約を全力で発動したのだ。その力は、純粋な攻撃能力ではなく、『味方の力を総結集させる』という約束に基づいていた。
シャーロットの体を青い光が包む。同時に、帝国各地に、その光が伝播していく。
北大陸。ニナが獣人軍勢を率いて、帝国軍別働隊に激しい攻撃を仕掛ける。その瞬間、彼女の体にも青い光が宿る。それは、シャーロットの決意と、アルトの信頼が彼女に届いた証だ。
東大陸。リリアが商人ギルドの本部で、数百の商人たちに演説している。彼女の声は、かつての奴隷少女のか細い声ではなく、統領としての重厚さを備えていた。そして、商人たちの心に、青い光が灯る。
西大陸。イザベラが孤児院のネットワークを率いて、帝国から逃げる市民たちを受け入れている。その光は、母親の包容力そのものだ。
帝国城の地下。アルトとセリアが、禁足の間を突き進んでいた。セリアが叫ぶ。
「シャーロットが投票結果を出す前に武力介入を受けた。でも、見て、アルト。約束の鎖が、全部つながってる」
セリアが示すのは、彼女の視界に映る、複雑に絡み合う青い光の網だ。それは、もはや個別の「契約」ではなく、一つの大きな「相互選択の絆」へと昇華していた。
「彼女たちが、自分たちの力で戦ってる」
アルトは、それを感じた。シャーロットの決意、ニナの怒り、リリアの覚悟、イザベラの優しさ。
それらすべてが、彼への信頼によって、強化されている。
だが同時に、アルトは知っていた。約束の鎖の強化は、同時に彼自身の負荷を増加させるということを。
複数契約による精神的な重圧が、彼の内部で急速に高まっていく。
「アルト、大丈夫か」
セリアが、彼の肩に手を置く。銃撃傷を押して、彼女も戦場へ向かっている。
「大丈夫だ」
アルトは答えた。
「彼女たちが信頼してくれているなら、俺はそれに応えるしかない。中央コアはもうすぐだ」
地下通路の先に、巨大な石門が見える。
禁足の間の最奥。そこが、システムの中央コアへの入口だった。
その門の前に、蒼い瞳を持つ人物が立っていた。
「選別者…」
セリアがつぶやく。
「待てよ、アルト・ソルヴェン」
選別者が、低く、しかし澄んだ声で語りかけた。
「帝国が分裂した。東大陸も揺らぎ始めた。お前たちの『相互選択』は、世界をも分裂させている。これが、お前たちの望む結末か。それとも…」
選別者は、石門に手をついた。
「お前たちの力が、システムそのものをも破壊するか、試す時がきたということか」
アルトは、前へ一歩を進めた。
「選別者よ。俺たちは、システムを破壊しに来たのではない。改革しに来たのだ。そしてそのために、世界が変わることを恐れない。なぜなら…」
彼の声は、強い。そして、背後には四つのヒロインたちの決意が、光となって、映っていた。
「なぜなら、彼女たちが、それを選んだから」
石門が、ゆっくりと開き始めた。
その向こうに、中央コアの光が、眩く輝いていた。
同時に、帝国城の上空で、警報のサイレンが、耳を裂くような音で鳴り響いた。
皇帝マクシミリアンが、最終的な行動を起こしたのだ。




