第76話 皇帝の秘密
帝国首都ソルネイアの古い館。その地下室で、アルトはグレッグからの手紙を何度も読み返していた。
紙は既に黄ばんでいて、グレッグの几帳面な筆跡で綴られた情報は、一つ一つが爆弾のようにアルトの心を揺さぶった。
「マクシミリアン皇帝の出身について、新しい情報があります」
その一文から始まる手紙。アルトは息を詰めて、続きを読む。
「皇帝の家系を調査した結果、彼の祖父の時代に遡ると、とある秘密組織『システム守護者の会』に属していた痕跡を発見しました。その組織の記録は、現在ほぼ全て消滅していますが、帝国図書館の奥底に埋もれた古い日誌から一つだけ引き出すことができました」
セリアが身を乗り出す。肩の銃撃傷はまだ完全には癒えていないが、彼女の好奇心は痛みを上回っているようだ。
「何が書いてあるんです?」
アルトは手紙を続ける。
「『システムの真実を知る者たちは、世代を超えて知識を継承する義務がある。その知識こそが、人類の未来を左右する力である』——これは三百年前の記録です。その後の記述は、ほぼ全て黒インクで塗りつぶされていました。ただし、一つだけ読める部分があります:『第七代の者が目覚めるまで、我らは沈黙を保つべし』」
地下室は静寂に包まれた。
シャーロットが肩越しに手紙を読み、呟く。
「『第七代の者』——それがアルトのことですね」
「ああ」
アルトは手紙を机に置き、顔を上げた。その表情には、深い疲労と新たな覚悟が混在していた。
「皇帝は、自分の家系が『システム守護者の会』に属していたことを知っている。そして、その会が『第七代契約者』の出現を待っていたということを知っている」
セリアが腕を組む。彼女の分析的な瞳がアルトを見つめた。
「つまり、皇帝はあなたを『予言された者』として認識している可能性があります。ただし、彼がそれを味方として見ているのか、敵として見ているのかは不明です」
アルトは立ち上がり、地下室の壁に貼られた世界地図を見つめた。三大陸が描かれ、所々に赤いマークが入っている。これまでの戦闘地点や、帝国軍の動きを示す印だ。
「グレッグの最後の言葉は何だ?」
シャーロットが手紙を読み上げる。
「『皇帝は、システムの中央コアへの侵攻を急いでいます。それは単なる権力欲からではなく、何か別の目的がある可能性があります。彼は「第七代契約者」に会う必要があるのではなく、その契約者を「排除」する必要があると考えているかもしれません。前の契約者たちがなぜ消滅したのか、その理由を皇帝は知っているはずです』」
アルトの拳が机を叩く。音が地下室に響き渡った。
「つまり、俺が皇帝の前に現れることそのものが、皇帝にとって『脅威の確認』になるということか」
エミリアの声が、影の中から聞こえた。
彼女は、いつの間にかそこにいた。三百年近く生きた彼女の移動音は、ほぼ聞こえない。
「皇帝は知っています。過去の六代の契約者たちが、なぜシステムによって『調整』されたのかを」
全員の視線がエミリアに集中した。
エミリアは静かに歩み出て、地図の前に立つ。その動きは、まるで歴史そのものが語り始めるようだった。
「第一代から第六代の契約者たちは、皆、同じ過ちを犯しました。彼らは『世界を救う』という使命の下で、システムの力を使い、人類全体の『未来』を彼ら自身の理想に合わせようとしたのです」
セリアが身を乗り出す。
「『未来の最適化』ですね。歴史に記録されない災害や戦争が、全てその結果だったと」
「そうです。そして、その度に、システムそのものが『調整』を行った。つまり、契約者たちを消滅させたのです」
アルトの呼吸が深くなる。
「システムは——中央コアは、自分たちの『理想の押し付け』を防ぐために、契約者たちを排除してきたということか?」
エミリアが頷く。
「契約者とは、本来『人類の自由意志を守るために』存在するべき存在です。しかし、過去の六代は、その使命を『人類を自分たちが考える最善の方向へ導く』と解釈してしまった。システムはそれを許さなかった」
シャーロットがアルトを見つめた。その瞳には、深い心配が映っていた。
「では、皇帝はアルトを排除することで、新たな『最適化』を行おうとしているのですか?」
エミリアは答えない。代わりに、別の言葉を選んだ。
「皇帝は、アルトの力を恐れています。なぜなら、アルトはまだ『何をしようとしているのか』を明確にしていないからです。過去の契約者たちは、少なくともシステムに対して『自分たちの理想』を提示していました。アルトは——」
「俺はまだ迷っている」
アルトが言葉を継いだ。
「相互選択の仕組みを作ると言いながら、その具体的な形が見えていない。セリアの理論はあっても、それを現実に落とし込む方法がない。そのうえ、俺は既に多くの者たちを『契約』で繋いでしまった」
グレッグの手紙の上に、アルトは自らの掌を重ねた。
その手の甲には、薄く輝く紋が浮かんでいた。「約束の鎖」の名残だ。ニナ、リリア、シャーロット、セリア——彼らとの契約が、未だにアルトの身体に刻まれていた。
「俺は、彼らの『自由』を本当に奪ったのか?それとも、彼らが『選んだ』ことなのか?その答えを持たずに、システムの改革を語る資格があるのか?」
セリアが歩み寄り、アルトの手を握った。
「あります」
その一言は、信念に満ちていた。
「なぜなら、あなたはまだ問い続けているからです。あなたが過去の契約者たちと違う点は、その違いです。彼らは『確信』を持っていた。あなたは『疑問』を持っている。その疑問こそが、真の改革の第一歩です」
アルトはセリアを見た。
「もし俺がシステムを改革する過程で、誰かを傷つけたら?」
「その時は」
セリアは笑った。小さな、しかし力強い笑顔。
「その時は、私たちがあなたを止めます。あなたはもう一人ではない。ニナは独立しましたが、彼女はあなたの『敵』ではなく『パートナー』です。リリアも、シャーロットも同じ」
シャーロットが頷く。
「帝国の改革派からの報告では、ニナが北大陸で獣人たちを結集させています。その力は、帝国軍を相当に牽制しているようです。リリアの経済的な影響力も、既に顕在化している。彼らは皆、自分たちの『選択』に基づいて行動しています」
アルトは深く息を吐いた。
「皇帝は何をしようとしているのか。システムを支配して、何を得たいのか」
エミリアが答える。
「それは、皇帝自身も明確には知らないかもしれません。彼は『システム守護者の会』の遺産として、知識だけを受け継いだ。しかし、その知識がもたらす力の本質は、理解していないのです」
「なら、俺たちは何をする?」
アルトの問いに、全員が沈黙した。
その沈黙の中で、地下室の奥から、かすかな音が聞こえた。
低い、リズミカルな振動。機械音のような、あるいは心臓の鼓動のような——。
セリアが立ち上がった。
「中央コアが応答しています。皇帝の侵攻に反応して、システム本体が『警戒態勢』に入った」
その瞬間、地下室の床が微かに揺れた。
アルトはグレッグの手紙を握りしめた。
皇帝は知っている。システムについて。契約者についても。そして何より——
アルトが何をしようとしているのかを、既に予測しているのではないか。
その予測の先にあるのは、アルトとシステムの衝突か、それとも何か別のシナリオなのか。
「急ぎましょう」
エミリアが言った。
「皇帝が中央コアに到達する前に、私たちが到達する必要があります。そこで、アルトが『選択』することで、全てが決まるのです」
アルトは立ち上がり、窓の外を見た。
帝国の夜空には、異常な光が浮かんでいた。地下から立ち上る魔力の波動が、大気そのものを歪ませている光。
その光の方向——それは、中央コアへの道だ。
「行くぞ」
アルトは振り返った。
「俺たちが到達する前に、皇帝が何かを『選択』してしまうかもしれない。そして、その選択が——」
その時、シャーロットの懐から、魔力通信石が激しく脈動した。
彼女がそれを手にすると、同時に表情が硬くなる。
「北大陸からの報告です。ニナからです」
声を継ぎながら、シャーロットは石を耳に当てた。
その数秒後、彼女の目が大きく見開かれた。
「帝国軍の別働隊が、北大陸に上陸しました。ニナと獣人たちは——」
通信が途切れた。
地下室に残されたのは、衝撃の余韻と、深い沈黙だけだ。
アルトの拳が震えた。
もう時間がない。全てが、同時に動き始めている。
皇帝は、単に中央コアを支配しようとしているのではなく——
複数の戦線で、同時に『統制』を行おうとしているのだ。




