第73話 シャーロットの帝国改革派との接触
帝国軍が地下遺跡へ殺到する中、アルトはセリアの肩を抱きながら脱出ルートを急いでいた。約束の鎖ネットワークを通じて感じ取られるのは、ニナの決意、リリアの独立した動き、そしてシャーロットからの微かだが絶望的な覚悟だ。
「アルト、左だ。帝国軍の迂回部隊が――」
セリアが叫ぶ。肩の銃撃痕から血が滲んでいるが、彼女は歯を食いしばって身体を支えている。
アルトは素早く壊れた柱の裏に身を隠し、通り過ぎる兵士たちの足音を数える。契約なき状態での戦闘能力は凡人同然。だが、長年の逃亡戦では多少の経験を積んでいた。
「ここから上層へ。西側の通路を使う」
走りながら、アルトは約束の鎖を通じてシャーロットへ呼びかけた。遠隔地にいるはずの王女からの返信は、いつも以上に鮮明で、そして強い意思を帯びていた。
「アルト。聞いて。帝国にはお父様だけではなく、別の力が動いている」
その声は砲火の音を縫うように響いた。
地上へ出たとき、アルトとセリアは帝国の首都ソルネイアの外郭に位置する古い館へ辿り着いていた。帝国軍の目が集中する遺跡からは十キロ以上離れた場所だ。
館の扉を開いたのはシャーロット自身だった。
王女は黒い礼装ドレスではなく、質素な旅装で現れた。その横には四人の貴族が控えていた。いずれも年配の男女で、帝国政界で知られた顔ばかりだ。
「セリア。医者を呼べ」
シャーロットは即座に指示を出し、館の奥へセリアを導かせた。医療班の手当てが始まる。アルトはシャーロットと二人きりになった。
薄暗い部屋で、王女は深く息を吐いた。
「お父様がシステムを支配しようとしていることは、昨日の通信で知った。帝国軍がこの大陸の遺跡を襲撃する命令も」
シャーロットの青い瞳がアルトを真っ直ぐに見つめた。
「だけど、アルト。帝国内には別の流れがある。お父様の専制に反発する改革派がいる。彼らは古くからの貴族で、帝国の伝統的な統治体制を守りたいと考えている」
「改革派?」
アルトは眉をひそめた。
「帝国内部での権力争い、ということか」
「そう。簡単に言えば、それ。お父様は強力な皇帝だが、完全な独裁者ではない。帝国評議会という古い制度が存在し、有力貴族たちは一定の発言権を持っている」
シャーロットは机に置かれた書簡を指した。帝国の紋章が押されている。
「この三か月間、私はこの評議会の重鎮たち――ウェイン公爵、マーサ侯爵夫人、アレクサンドル伯爵――と秘密裏に接触していた。彼らはお父様のシステム支配計画に反対している」
「なぜ」
「なぜなら、システムが帝国の統治体制そのものを破壊するからだ」
シャーロットの言葉は冷徹だった。王女は帝国の王族でありながら、完全に政治的な視点で状況を分析している。
「帝国の統治は何千年も続いてきた。その基盤は貴族層の相互承認と、皇帝との権力のバランスにある。だがお父様がシステムを完全に掌握すれば、その契約の力で全ての権力を独占できる。貴族制度など無意味になる。帝国そのものが変わってしまう」
「それは……帝国にとって危険だと思ったのか」
「危険じゃなくて、死だ」
シャーロットは立ち上がり、窓から外を眺めた。夕暮れが迫り、帝国の首都は赤く染まっている。
「お父様は帝国を『改善』するつもりだろう。システムの力を使って、最も効率的で、最も強力な帝国を作るつもり。だけど、それはもう帝国ではない。それはお父様という一人の支配者が、人形を操るようなもの」
アルトは静かに聞いていた。シャーロットの分析は正確だ。帝国の統治体制とマクシミリアン皇帝の野心の衝突。それは単なる政治的対立ではなく、帝国という文明圏全体の危機を意味していた。
「改革派は、どのような行動を考えているのか」
「二つの道がある」
シャーロットは振り返った。
「第一は、お父様の皇帝権を制限する議決をする。帝国評議会が一致すれば、皇帝の権力を法的に制約できる。だけど……」
「だけど」
「お父様はすでに帝国軍の大部分を自分の支配下に置いている。評議会が動けば、クーデターになる可能性がある」
シャーロットの言葉は重い。
「第二は、システム自体を破壊すること。あるいは改造すること。そのためには、君の力と、那賊の秘密が必要だ」
那賊。それはセリアのことではなく、システム本体を指す古い帝国用語だ。
「改革派は、私に何を求めているのか」
「君をここへ導くことと、帝国内の改革派と君を直結させること。加えて……」
シャーロットは一呼吸置いた。
「帝国評議会とお父様の間の決定的な対立の瞬間に、外部からの圧力を加えてほしい。君たちの動きが帝国内の反皇帝感情を刺激すれば、改革派はより大きな声を上げられる」
アルトは理解した。シャーロットが何をしてきたのか。王女は単にアルトの味方ではなく、帝国内部の政治的な均衡を自分たちの側に傾けるために、綿密な計画を立てていたのだ。
「お父様は君を敵だと思っている。帝国の秩序を脅かす者として。だけど、改革派は君を『新しい可能性』として見ている」
「それは……好意的な見方すぎないか」
「確かに。だけど彼らは現実主義者だ。お父様がシステムを支配すれば、帝国は終わる。それより、システムそのものを改革する可能性を持つ君たちのほうが、帝国にとってマシだと考えている」
シャーロットは机の上の書簡をアルトへ差し出した。
「これはウェイン公爵から。彼は帝国評議会の筆頭。この三日以内に、評議会は非常会議を開く。そこでお父様の権力制限について投票するつもり。だけど、投票直前に君たちが帝国へ圧力をかければ、改革派の立場は格段に強くなる」
アルトは書簡を受け取らず、シャーロットの目を見つめた。
「君は帝国を裏切ったのか」
「いいえ」
王女の答えは即座だった。
「私は帝国を守ろうとしている。お父様は帝国の皇帝であり、帝国に最も忠誠を捧げるべき者だ。だけど、彼はいま帝国の歴史そのものを否定しようとしている。なら、帝国を守るために、お父様に逆らうことは正しい」
シャーロットは一歩前に出た。
「そして――」
王女の声は震えていた。
「私はお父様より、君を信じたい。君は間違いを犯してきた。複数の契約で人々を支配することで、自分の力の危険性に気づかなかった。だけど君は変わろうとしている。ニナが独立を宣言したとき、リリアが自分の道を歩むと決めたとき、君はそれを受け入れた。その君なら、帝国の改革者になれると思う」
アルトの心に、複雑な感情が渦巻いた。
約束の鎖を通じて、ニナの決意、リリアの行動、セリアの忠誠を感じ取っていた。彼女たちはもはや契約者ではなく、独立した存在として動いている。そしてシャーロットは、帝国という大きな枠組みの中で、同じように独立した判断を下していたのだ。
「セリアはどうか」
「肩の傷は浅い。一週間で動けるようになる。その間に、私たちは帝国評議会との接触を深める」
シャーロットは静かに続けた。
「アルト。君に頼みがある」
「何か」
「私の名前を使わないでほしい。帝国改革派が皇帝の娘と結託していることが知られれば、逆に評議会の立場が弱くなる。君たちは『システムの秘密に気づいた外部勢力』として行動してほしい。帝国への圧力は、君の能力と判断で。改革派はあくまで『帝国内部の正統な権力』として動く」
アルトは頷いた。政治的な計算としては、完全に正しい。
「わかった。だが、シャーロット。君はこれで帝国皇族としての立場を失うかもしれない」
「知っている」
王女は微かに笑った。
「だけど、そうなったとしたら、君のパートナーとして、新しい世界を一緒に作ることもできる。それも悪くない選択だと思う」
その瞬間、アルトは約束の鎖を通じて、ニナからの強い感情を受け取った。獣人たちが北大陸での独立戦争を始めたというメッセージだ。リリアからも、商人ギルドが帝国軍に対する経済的な圧力を加え始めたという報告が届いた。
シャーロットが帝国内部で改革派と結託している間に、他の三人は自分たちの領域での独立した行動を始めていた。
アルトは重い沈黙の中で、深く息を吐いた。
複数の契約から解放され、それぞれが独立した判断を下す仲間たち。そしていま、帝国という大きな権力構造の中でも、同じような独立と対立が起きようとしていた。
システムの改革という大義のために、世界全体が動き始めていた。
「わかった」
アルトは静かに言った。
「君たちを信じよう。そして、帝国の改革派とも。ただし、一つ条件がある」
「何か」
「改革派が帝国を支配しようとしたなら、その時は……君たちにも対抗する」
シャーロットは静かに頷いた。
「当然。私たちもそのつもりです」
窓の外で、帝国の夜明かりが灯り始めた。首都の各所で、静かだが確実な動きが始まっている。改革派の貴族たちが、秘密裏に評議会メンバーに連絡を取っている。ニナの獣人たちが北大陸で蜂起している。リリアの商人ネットワークが帝国軍への物資供給を制限している。
そして地下の中央コアでは、システムそのものが、一つの決定的な瞬間を迎えようとしていた。
アルトは、約束の鎖ネットワークの先端へ、新しい声を加えることを決めた。
帝国内部からの改革派。それは彼たちの戦いに、全く新しい次元をもたらすだろう。




