第7話 怒りの一撃
一週間後。
アルトは奴隷商人ギルドの本拠地である石造りの館の前に立っていた。
足元には、先ほど斬り倒した衛兵たちが倒れている。彼らは刀を握ったまま動かなかった。契約の力で身体を縛られているのだ。
「来たか、奴隷号番号08」
声が聞こえた。
館の中から現れたのは、大柄な中年男だ。肌は浅黒く、額には古い刀傷がある。奴隷商人ギルド長・ヴァディック。この領土で最も多くの奴隷を所有する男である。
「貴様が逃げ出した奴隷たちの尻拾いをしていたのか。愚かだな」
ヴァディックは薄く笑った。手には鞭が握られている。
「その力が何であろうと、所詰は奴隷の分際。貴族の力には及ばんよ」
アルトは何も言わなかった。
この一週間、彼はリリアたちと共に、村々で奴隷たちを見てきた。鞭で打たれた背中。失われた瞳。絶望に満ちた顔。セーラという少女は、片目を失っていた。ジェシカは、重い病気に侵されていた。メイは、笑うことができなくなっていた。
そして、ローザは――死んでいた。
前の晩、彼女は高熱を出した。アルトは必死に看病したが、間に合わなかった。朝、彼女の手は冷たくなっていた。リリアは泣いた。セーラも、メイも、ジェシカも泣いた。
その時、アルトの中で何かが変わった。
「契約する」
アルトの言葉は低く、だが確かに響いた。
「俺は、お前を倒す。今ここで。お前の奴隷制度を終わらせる。この約束は絶対だ」
ヴァディックは笑った。
「約束だと? 笑わせるな。貴様は何もできん。所詰は――」
彼の言葉は途中で止まった。
身体が動かなくなったのだ。
アルトの周囲に金色の光が満ちていた。契約の力。相手との約束を絶対に成立させ、履行させる力。この力は、心の奥底から発せられた誓いによって、より強く発動する。
アルトの誓いは――本当だった。
ローザの死。セーラの片目。メイの笑顔を奪った者たち。ジェシカの病気。そして、この世界に存在する無数の奴隷たちの苦しみ。それらすべてに対する、アルトの怒りと決意は、契約の力を極限まで増幅させた。
「何だ、何が起きている」
ヴァディックの身体は、金色の光に包まれていた。彼は動こうとしたが、一ミリも動かない。まるで、全身が氷漬けにされたかのように。
「お前は、これ以上誰も傷つけない。この約束は絶対だ」
アルトは一歩、前に出た。
ヴァディックの顔から血の気が引いた。彼は初めて恐怖を感じた。この男の力は、想像していたものではない。これは、もはや魔法ではなく――呪いだ。
「やめろ、やめてくれ」
ヴァディックの声は震えていた。
「約束だ。お前は、誰も傷つけない。この約束が成立した今、お前の身体はこの誓いに従うしかない」
金色の光は、ヴァディックの全身を包み込んだ。彼の身体は、カチコチに硬直している。目だけが動き、絶望に満ちた瞳がアルトを見つめていた。
「こんなことがあるはずが、ない。こんなことが――」
ヴァディックの言葉は、やがて聞こえなくなった。彼は、完全に身動きが取れなくなったのだ。呼吸することさえ困難になっていた。
アルトは、その光景を見つめた。
快感だった。
ローザの死への怒り。セーラの片目を奪った者への怒り。メイの笑顔を奪った者への怒り。ジェシカの病気をもたらした者への怒り。そして、この世界に存在する無数の奴隷たちの苦しみへの怒り。
それらすべてが、今、ヴァディックという一人の男を通じて、具現化されている。
契約の力。相手との約束を絶対に成立させ、履行させる力。
この力は、本当に強い。本当に素晴らしい。本当に――必要だ。
アルトは、その瞬間を感じていた。自分の力が、確かに人々を救うことができるという、その実感。
館の中から、奴隷たちの悲鳴が聞こえてきた。他の衛兵たちが逃げ出したのだろう。
しかし、もう遅い。
契約は、既に成立している。
ヴァディックは、これ以上誰も傷つけない。この約束は絶対だ。
だから、アルトは躊躇しなかった。館の中へ、金色の光を放った。光は、すべての衛兵たちを包み込んだ。彼らもまた、「誰も傷つけない」という約束に従うことになるのだ。
館の中は、静寂に包まれた。
アルトは、深く息を吸った。
「終わった」
彼はそう呟いた。
だが、その時――
突然の痛みが、アルトの脳天を貫いた。
「なっ、何だ、これは――」
アルトは、その場に膝をついた。体中から光が溢れ出ている。金色の光だ。それは、血ではなく、彼の内部から漏れ出した魔力の表出だった。
複数の契約を同時に成立させたことによる、反動だった。
アルトの意識は、徐々に薄れていった。
最後に見たのは、リリアの顔だった。
彼女は、館から駆け出してきて、アルトを抱きかかえていた。
「アルト! アルト! 目を開けて! お願い、目を開けて!」
リリアの声は、遠く聞こえた。
アルトは、その声を聞きながら、意識を失った。
目覚めたのは、三日後だった。
アルトが目を開けると、そこは暗い部屋だった。天井には、古い梁が見える。どこかの宿屋のようだ。
「アルト!」
リリアが飛びついてきた。彼女の目は、泣き腫らしていた。
「良かった。良かった。もう死ぬんじゃないかって思った」
アルトは、身体を起き上がらせようとしたが、激しい痛みが走った。
「動くな。医者が『一週間は絶対安静』だと言ったんだから」
リリアは、アルトの肩を優しく押さえた。
「ヴァディックは?」
「倒した。他の衛兵たちも、みんな一撃で」
リリアの顔に、初めて笑顔が戻った。
「アルト、お前の力は本当に凄い。ヴァディックを見た時、その姿は――」
彼女は言葉を止めた。
「本当に、怖かった」
アルトは、その言葉を聞いた。
怖い。
そう。自分の力は、確かに人々を救うことができる。だが、同時に、人々を恐怖させることもできる。ヴァディックを倒した時、アルトが感じた快感。その快感は、本当に正しいものだったのだろうか。
「リリア。ローザの埋葬は――」
「村の外れに埋めた。セーラたちが花を供えてくれた」
リリアの声は、悲しかった。
「次は、こんなことが起きないようにしよう。絶対に」
アルトは、リリアの手を握った。
「約束する」
その時、アルトの身体から、また金色の光が発せられた。
リリアは、身を震わせた。
「怖いか?」
「少し」
リリアは正直に答えた。
「でも、お前なら信じる。だから、約束してくれるなら、私も信じる」
アルトは、その言葉を聞いて、複雑な感情を覚えた。
自分の力は、本当に正しいのか。
その答えは、まだ見えていなかった。




