第6話 奴隷商人ギルドの実態
川沿いの道を進むことになって、三日目の午後だった。
リリアと他の五人の少女たちを連れて、俺たちは小さな商業都市ベルクスに到着した。石造りの城壁に囲まれた町で、人口は五千人程度だろうか。いくつかの大きな建物が見え、特に町の中央には三階建ての立派な石造り建築があった。
その建物の前には、看板が掛かっていた。
『ベルクス商業ギルド本部』
俺は立ち止まった。
「アルト、どうしたんですか?」
リリアが俺の袖を引っ張る。彼女はここ数日で、俺をかなり信頼するようになっていた。契約の力のせいなのか、それとも本当の信頼なのか、俺にはまだ分からない。その違いが気になるようになっていたが、今はそれどころではなかった。
「あの建物だ。なんか……感じが悪い」
本当のところ、それ以上のことは分からなかった。ただ、建物から何かが放射されているような感覚があった。重い、閉塞的な、絶望に満ちた匂い。前世の記憶はない俺だが、本能的に危険を察知していた。
「商業ギルド?」セーラという、茶髪の少女が首をかしげた。「それって何ですか?」
「商人たちの組合だ。街ごとに存在している」
この情報は、どこから得たのか分からない。俺の頭の中には、この世界に関する知識が断片的にあった。生まれたときから持っていたような、でも非常に不完全な知識だ。
「来てみよう」
俺は決めた。何か嫌な予感がしたが、それだからこそ確認する必要があった。
建物の入口に近づくと、二人の大柄な男が立ちふさがった。奴隷商人の護衛だろう。彼らは俺たちを上から下へ評価するように見つめた。
「立ち入り禁止。関係者以外は……」
その瞬間、俺の体が反応した。
金色の光が、俺の全身を包む。システムの力が、自動的に発動した。俺が意識的に命じたわけではない。この光を見た男たちは、立ちすくんだ。
そのまま俺は建物の中へ入った。
何が起きているんだ。俺の力は、俺の意志とは別に動いている。
建物の内部は、想像していた以上に悪かった。
石造りの建物だが、窓は全てふさがれており、薄暗い懐中電灯のような光だけが照らしていた。廊下の両側には、鉄格子の扉がいくつもあり、その奥から、かすかな呼吸音が聞こえてくる。
そして、その臭い。
排泄物の臭い、腐った食べ物の臭い、そして、希望を失った人間の、説明しがたい臭い。
「……く……」
リリアが、その場に立ちすくんだ。彼女の顔は青ざめていた。
「ここ……ここは……」
「牢獄だ」
俺は静かに呟いた。
「いらっしゃいました」
突然、高い声が聞こえた。赤い髪をした、三十代ほどの男が、階段から降りてきた。服装から見て、かなり高い地位にあるのだろう。彼は、俺たちを見て笑顔を浮かべた。
「新しいご家族をお探しですか?」
家族。この男は、奴隷を家族と呼んだ。
「いくつかご質問があります」
俺は、なるべく冷静に話しかけた。感情に支配されては、いけない。
「こちらは、何ですか?」
俺は、鉄格子の奥を指した。
赤毛の男は、くすくすと笑った。
「ああ、こちらはですね。商品です。つまり、売却予定の奴隷たちです。まだ調教の途中のものが多いので、見学はできませんが」
「調教」
俺は、その単語を反復した。
「はい。奴隷というのは、野生動物ですからね。適切な躾が必要なのです。食べ物で誘導したり、懲罰を与えたり。そうすることで、良い商品に仕上がるんですよ」
赤毛の男は、本当に楽しそうに説明していた。彼にとって、この説明は当たり前のことなのだろう。彼の視点では、奴隷は人間ではなく、調整可能な商品だった。
鉄格子の奥から、また呼吸音が聞こえた。ただの呼吸音ではなく、苦しみの声だ。
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
「奴隷号番号08。こいつはどこだ」
俺は、レイス邸の従人の声を真似して、低い声で質問した。
赤毛の男は、わずかに眉をひそめた。
「奴隷号番号08?」
「そうだ。三日前に、この町の南で逃走した。追跡チームが失敗したらしい。捜索を手伝ってほしい」
これは、嘘だった。しかし、システムの力が、この嘘を「約束」に変えていた。
赤毛の男の目が、わずかに揺らいだ。
「あ、はい。その件でしたら……」
彼は、俺に丁寧に説明を始めた。奴隷号番号08は、高い魔力を持つ特殊な個体であること。数日前に、何らかの力で逃走したこと。おそらく、他の契約者の助力があったと考えられることを。
契約者。その言葉を聞いて、俺の中の何かが反応した。
「その契約者を知っているか」
「いいえ。痕跡からは、かなり強力な魔力であることは推測できます。おそらく、S級以上の冒険者か、王族クラスの魔力を持つ者でしょう」
俺は、その情報を処理しながら、同時に別のことを考えていた。
こいつはすぐに嘘をつく。そして、その嘘は、システムの力によって強制実行されている。
つまり、俺のシステムの力は、相手に嘘をつかせることもできるということだ。
「その調教中の奴隷たちを、全員解放しろ」
俺は、言い放った。
赤毛の男の顔が、硬くなった。
「……何をおっしゃっているのですか?」
「聞こえなかったのか。調教中の奴隷たちを、全員解放しろ。それが、俺の約束だ」
金色の光が、再び俺の体を包んだ。
この光を見た赤毛の男の顔は、恐怖で歪んだ。彼は、何かを悟ったようだ。その光が、普通の魔法ではないことを。
「や、やめてください。そんなことはできません。これらの奴隷たちは、すべて売却契約が成立しているんです。もし、解放するようなことがあれば、ギルド全体が倒産します」
「知ったことか」
俺は、鉄格子の扉へ歩みを進めた。
鉄格子は、金色の光に包まれた。そして、次の瞬間、音を立てて開いた。
扉の奥には、五十人以上の人間が、幽霊のような姿で座っていた。男性、女性、そして子供までいた。彼らの目は、焦点が合わない。希望を失った目だった。
「君たちは、これからここから出ていく」
俺は、静かに宣言した。
「それが、俺との約束だ」
その瞬間、牢の中の全員の体が、かすかに金色に輝いた。
彼らが何かを感じたのだろう。システムの力を感じたのだろう。一人の男が、ゆっくりと立ち上がった。続いて、女性が。やがて、全員が立ち上がり、奴隷商人ギルドの建物を出始めた。
赤毛の男は、その光景を見て、白い顔で叫び始めた。
「待ってください!何をしているんですか!これは、帝国の法に反します!」
俺は、その叫びを無視した。
帝国の法。確かに、奴隷制度は帝国の法で認められている。俺が今やっていることは、その法に反している。
だが、それでも、俺は止めなかった。
牢から出た奴隷たちが、町の外へ向かって歩いていく。彼らは、まるで幽霊のような足取りで、しかし確実に、自由へ向かっていた。
「アルト」
リリアが、俺の袖を引っ張った。彼女の目には、涙が溜まっていた。
「これで、いいんですか?」
俺は、彼女を見た。
「いいかどうかは、分からない。ただ、これが、俺の選択だ」
その瞬間、建物の奥から、複数の足音が聞こえた。護衛の男たちが、武装して向かってくるのだろう。
「逃げよう」
俺は、リリアの手を握った。
そして、俺たちは、奴隷商人ギルドの建物から飛び出した。
町の外へ出ると、解放された五十人以上の奴隷たちが、どこへ行けばいいのか分からずに、佇んでいた。
その瞬間、俺の全身に、激しい痛みが走った。
一度に、五十以上の契約を結んだことで、システムの魔力が、限界に達したのだろう。俺の膝が、地に落ちた。
「アルト!」
リリアが、俺を支えた。
その瞬間、俺は思った。
これが、約束の重さなのか。
一人を救うことで、複数の人間を救う喜び。しかし同時に、自分の体が限界を迎えることの、恐怖。
それでも、俺は、この選択を後悔していなかった。
建物から出てきた護衛の男たちは、解放された奴隷たちの群れを見て、躊躇した。五十人以上の人間を一度に捕まえることは、できないのだろう。
結局、彼らは、俺たちを追わなかった。
俺は、意識が薄れる中で、一つのことを確認した。
これからの道は、もっと長く、もっと困難なものになるということを。
次の瞬間、黒い世界に吸い込まれた。




