第5話 約束の重さ
目が覚めた時、俺の体は鉛のように重かった。
天井は白い布で覆われていて、何度か瞬きしないと焦点が合わない。どこだ? 病室か。頭を動かそうとしたが、首の筋肉さえも痛みで反発してきた。全身が悲鳴を上げている。
「あ、起きた」
横から声がした。リリアだ。椅子に座って、何か布地を縫っていたらしい。その手を止めて、俺に寄ってくる。
「大丈夫ですか? 水、飲みますか?」
その表情には不安がなかった。むしろ、安堵と確信に満ちていた。まるで「アルト様が目覚めてくれた」ことが当たり前のようにそこにあるような、そんな顔だった。
「ここは...」
「冒険者ギルドの医療棟です。昨日、騎士たちを倒した後、あなたが倒れたので...」
リリアは水差しから杯に水を注ぎ、俺の唇に寄せてくれた。飲み込むと、喉が潤った。それでもなお、体の奥底から来る疲労感は消えない。
「その後は? セーラたちは?」
「皆、別の部屋で休んでいます。怪我はありません。あなたが守ってくれたから」
その言葉で、昨日のことが蘇った。
五つの契約。五つの約束。
リリアとの「絶対に守る」という誓い。セーラ、ローザ、メイ、ジェシカとの同様の契約。そして、最後に追い詰められた時にリリアが求めた「生き残ること、死なないこと、諦めないこと」という三つの約束。
あの瞬間、俺の体から金色の光が爆発した。それは光というより、力そのものだった。契約の力。相手との約束を絶対に成立させ、強制実行する、この「システム」という名の魔力。
「アルト様」
リリアが俺の手を握った。その手は温かく、震えていなかった。
「私たちは、あなたの約束で生きています」
その言葉が、妙に引っかかった。
「リリア、俺が何をしたか知ってるのか?」
「はい。あなたは、奴隷商人から私たちを救ってくれました。そして、約束してくれました。『絶対に守る。絶対に幸せにさせる』と」
「それは...」
言葉が続かなかった。俺は何の確信もなく、あの時ただ感情的に、相手を守りたいという気持ちだけで「約束」をしたのだ。なぜ自分にそんな力があるのか、それがどういう意味を持つのか、何も考えないまま。
「あなたの約束は、絶対です」
リリアの目は、何の疑いもなく俺を見つめていた。その瞳には、奴隷時代の恐怖はもうなかった。代わりにあるのは、完全な信頼。それは頼もしいように見えて、同時に俺の心に重くのしかかった。
「リリア、お前は俺のことを何も知らないだろ。名前だって、本当の名前じゃなくて」
「関係ありません」
即座に返ってきた。
「あなたが私たちを救ってくれたのは事実です。あなたの約束が絶対なのも事実です。それ以上に何が必要ですか?」
その質問に、俺は答えられなかった。
しばらく沈黙があった。リリアは再び布を縫い始めた。その動きは機械的で、かつ慈しみに満ちていた。まるで、大切な誰かのためにやる作業のように。
「ところで」と、彼女は顔を上げた。「あなたの名前、なんですか?」
「知らない」
「では、つけましょう」
「つける?」
「はい。奴隷号番号08では、あまりに惨いですから。あなたは奴隷ではなく、私たちの主人です」
主人。その言葉が、また胸に引っかかった。俺は彼女たちの主人になりたかったのか。奴隷制度を憎み、自由を求めていたはずなのに。
だが、リリアは続けた。
「では、古い文献で見た名前を。『アルト』という文字がありました。『光』と『輝く』という意味の。あなたはいつも金色に輝いていますから」
アルト。
その音を何度も心の中で反復した。前世の記憶がない俺には、この上なく新しい響きだった。
「そうですね。アルト様。あなたはアルト様です」
リリアの唇が緩やかに上がった。それは、奴隷時代には絶対に見せなかったであろう笑顔だった。
「アルト様が決めてくれた約束は、必ず守られます。私たちは、それを信じています」
その瞬間、俺の心に異質な感覚が走った。それは快感に近かったが、同時に危機感でもあった。
彼女たちは、俺の力を信じている。いや、信じるしかないのだ。なぜなら、「約束」は絶対だから。破られることのない約束。相手に選択肢を与えない約束。
俺は五つの契約によって、五人の人間の運命を自分の肩に背負った。その重みは、今なお俺の体を鉛のように縛り続けている。
だが、だからこそ、リリアは笑顔を見せるのだ。何の不安もなく。何の疑いもなく。
俺は彼女たちを救った。
だが、同時に何かを奪ってしまったのではないか。そんな疑念が、ぼんやりとした頭の中で浮遊していた。
「アルト様、もう一度寝てください。体力が戻るまで」
「...ああ」
俺は目を閉じた。天井の白い布が視界から消える。その暗闇の中で、金色の光が点滅して見えた。
その光は美しく、同時に恐ろしかった。
窓の外では、夜の虫の声が聞こえていた。冒険者ギルドの医療棟は、町の外れにあるのだろう。月明かりが、白い布を薄くライトアップしている。
やがて、リリアの寝息が聞こえてきた。彼女は、椅子に座ったまま俺のそばで寝ているのだろう。
俺は、その責任の重さを感じながら、再び深い眠りに落ちていった。
だが、その夢の中でも、金色の光は点滅し続けていた。
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朝が来た。
医療棟の扉が開かれ、背の高い男が現れた。冒険者ギルドの職員らしき人物だ。手には医療用の道具を携えている。
「おはよう。昨日の怪我人か。体の調子はどうだ?」
医者らしき男は、俺の腕の脈を取った。その手つきは慣れたもので、素早く終わった。
「良好だ。この若さと体質なら、二、三日で回復するだろう。ただし、精神的な疲労が大きいな。大量の魔力を消費したのか?」
俺は頷いた。
「複数の契約を同時に結んだ」
医者は眉をひそめた。
「複数? そりゃ危険だ。通常は一つの契約で三日は寝込む。五つなんて」
「五つ」
医者は息を呑んだ。
「生きてるのが奇跡だ。お前、何者だ?」
その質問に答える前に、扉が開いた。グレッグだ。ギルド長の彼は、朝日を背負って現れた。
「おっ、起きたか。昨日はいい見張りぶりだったな。あの奴隷商人どもは、この街では有名な悪党だったんだ。撃退してくれて感謝する」
グレッグは椅子を引いて、俺の傍に座った。その表情は複雑だった。感謝と、そして警戒。
「ところで、お前はどうやってあの連中を倒した? 騎士たちの報告では、お前が何か光を放って、相手を動けなくしたという」
「契約の力だ」
「契約?」
「相手と約束を結ぶと、その約束は絶対に成立する。そして、その約束を破ろうとする相手の行動を強制的に止める」
医者とグレッグが顔を見合わせた。その表情には、理解と恐怖が混在していた。
「それは...システムの力か」
グレッグが呟いた。
「システム?」
「この世界の古い魔力の一種だ。ほぼ伝説の領域だが...お前、もしかして契約者か?」
契約者。その言葉を初めて聞いた時、俺は何か大きな真実に触れたような気がした。だが、同時に、自分がその『大きな真実』に対する準備ができていないことも感じた。
「知らない」
「知らない? お前、自分の能力を理解していないのか?」
グレッグが立ち上がった。その表情は真剣だった。
「リリア」
医者が呼んだ。椅子で寝ていた彼女は、目を覚ました。
「はい」
「お前、この男のことを何か知ってるのか?」
リリアは、アルトを見た。その目には何の躊躇いもなかった。
「いいえ。ですが、あなたは私たちの光です」
彼女は、グレッグや医者ではなく、俺にそう言った。
そして、その言葉の重さが、俺の心に再び降り積もった。




