第59話 古い魔力の痕跡
石室の崩壊音が遠ざかった。
アルトは瓦礫の中で呼吸を整えながら、自分の手を見つめていた。五本の指から淡い光が漏れている。それは五人のヒロインとの約束の鎖だ。糸のような、それでいて実体を持つ光。アルトはそれを握りしめたまま、動けずにいた。
「アルト、応答してください」
セリアの声が響いた。耳に直接触れるような、奇妙な方法での通信だ。約束の鎖ネットワークを通じた、彼女たちとの繋がり。アルトは返答しようとしたが、喉が渇いていた。
「ここです……」
かすれた声が出た。
「聖堂の地下東側。天井が崩壊して……」
「わかりました。ニナが向かいます。セリアより」
通信は途切れた。
アルトは瓦礫を払い、立ち上がろうとする。しかし体が重い。複数の約束の重みが、肉体を圧迫しているようだった。リリアへの約束。シャーロットへの約束。ニナへの約束。そしてセリアへの約束。それらが一本の鎖として自分に絡みついている。
五人の女性たちの声が、ネットワークを通じて聞こえる。
リリアは南部で。シャーロットは帝国内で。ニナは獣人領域で。セリアはどこかで古い文書を調べながら。そしてエミリアは……。
エミリアの糸だけが、他の四本とは異なっていた。黒紫色に輝くそれは、アルトの心臓に直接繋がっているような感覚を与えた。そこには温かさがなく、冷たい計算しかない。
「何を見ている?」
冷たい女性の声。エミリアだ。
「お前の支配の鎖を見つめているのか?」
彼女の声には軽蔑が混じっていた。アルトは何も言い返せなかった。だから、彼女の言葉が正しいのだと思った。自分は彼女たちを支配している。約束という名の糸で。
「エミリア、なぜ……」
「お前はまだ理解していないのだろう。いい。時間がある」
エミリアの糸が揺れた。彼女はどこかで戦っているのだ。帝国軍と。あるいは、別の何かと。
地面が震えた。近づく足音。複数の兵士たちだ。帝国軍の追撃隊。
アルトは瓦礫から完全に身を起こし、通路を選んだ。西側。その方向に、弱い魔力の反応がある。セリアだ。彼女の場所へ向かえば、この状況を打開できるかもしれない。
石造りの廊下を走る。古い構造だ。風化した壁には奇妙な文字が彫られている。それは現代の言語ではない。アルトはそれを見つめながら走った。
「セリア、どこだ?」
ネットワークを通じた問いかけ。
「南西の研究室。地下三層。急いでください。私が見つけたものは……重要です」
セリアの声には、いつもの冷静さと異なる緊張感があった。何かを発見したのだ。何か重要な。
研究室に辿り着いたとき、セリアは古い羊皮紙に囲まれていた。その横には奇妙な装置が鎮座していた。金属製で、複雑な幾何学模様が刻まれている。そして何より、それは淡い光を放っていた。ちょうど、アルトの指から漏れる光と同じような色で。
「これは何だ?」
アルトが尋ねた。セリアは振り返り、眼鏡をかけ直した。
「あなたの力の源です。おそらく」
彼女の声は震えていた。驚嘆と、何か別の感情が混じっていた。恐怖か。それとも興奮か。
「この魔力は、非常に古い。人工的な痕跡がある。つまり……」
セリアは羊皮紙の一枚をアルトに見せた。そこには、複雑な魔法式が描かれていた。
「この文明は、少なくとも千年以上前に存在していました。その当時の高度な知識を使って、このシステムを作った。そして、契約者たちに……この力を与えた」
アルトは装置を凝視した。そこには、微かに自分の面影が映っていた。いや、違う。これは自分の力そのものが作った幻影だ。
「セリア、この装置は何をしているのだ?」
「世界中の約束を監視し、管理しています。すべての契約者の行動を。あなたたちの意思さえも、このシステムが……操作している可能性があります」
外では帝国軍の足音が近づいていた。研究室への扉が揺れた。
「急いでください!」
セリアが叫んだ。彼女は羊皮紙を纏めながら、装置の近くに何か細工をしていた。
「この装置を破壊すれば、あなたの力は一時的に……」
「何をしている?」
エミリアの声。彼女がいつの間にか、研究室の奥に立っていた。黒い鎧に身を包んだ姿。その表情は冷徹そのものだ。
「セリア。お前は、この装置を知りすぎた」
エミリアの手から、紫色の光が迸った。セリアが悲鳴を上げた。
「逃げろ!」
アルトは何かを叫んだ。その瞬間、約束の鎖ネットワークが激しく揺れた。リリアが。シャーロットが。ニナが。彼女たちすべてが、同時に異なる場所で戦闘を開始したのだ。
なぜなら、アルトが無意識のうちに、彼女たちに『アルトを守れ』という強い意思を送ったから。
契約の力は、相手の自由意志を奪う。
それが、この古い魔力の本質だったのだ。




