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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第58話 心の糸の絡み

聖堂の瓦礫が降り注ぐ中、アルトは意識を失いかけていた。


痛みではない。もっと深い、精神的な圧迫感だ。頭蓋骨の内側を何本もの糸が引き裂くような、そんな感覚。アルトは目を開けようとしたが、瞼は重く、視界は暗い。しかし、暗闇の中で何かが見えた。


光だ。五色に輝く、細い光の糸。


それらは自分の心臓から伸びており、各方向へと延びていた。淡紫、銀色、深紅、蒼白、黒紫――それぞれが異なる色で、異なるリズムで脈動している。


『リリア、ニナ、シャーロット、セリア、エミリア――』


アルトの意識は五本の糸を辿り始めた。


最初に感じたのはリリアの感情だった。


その光は淡紫色で、南方の商人領で戦闘中らしい。だが、その輝きは不安定だ。まるで火の粉のように揺らいでいる。


アルトはその糸を通じて、リリアの心を感じ始めた。


『敵を倒さなければ。アルト様を守らなければ――』


表面的な決意。だが、その奥に別の声がある。


『本当は、私は自分で道を切り拓きたい。商人ギルドの統領として。でも、もしアルト様が私を必要としなくなったら――』


恐怖。依存心。


アルトは気づいた。自分が与えた「約束の力」は、リリアに無限の安心感を与えた。だからこそ、彼女の自立心は萎縮してしまった。彼女が独立した判断をするたびに、その決断がアルトとの約束と矛盾しないか、アルトの期待に応えられているか――そればかりを気にするようになったのだ。


『俺は彼女の足を引っ張っていたのか』


アルトの心の奥底から、そんな疑問が湧き上がる。


次は深紅の糸だった。ニナだ。


獣人領域の北東部で、帝国軍の騎士団と対峙している。彼女の力は激しく、戦闘的だ。だが、その糸の奥に秘められた感情は、力強さとは別のものだった。


『人間どもは、いつも同じ。いつも私たちを見下ろす。この力があってもなお――』


深い怒りと、その根底にある絶望。


アルトはニナの記憶の断片を見た。彼女が奴隷商人に売られる前の獣人村。家族。笑顔。そして――火。帝国軍による虐殺。


『だから私は人間を信じない。本当は、アルト・ソルヴェンという個人さえも――』


その時点で、糸が激しく震えた。ニナの矛盾。アルトへの感謝と、人間への不信が衝突している。彼女は「人間全体」を否定したいのに、アルトだけは別だと思いたい。だが、その思いは彼女の信念と対立している。


『俺が彼女にかけた約束は、その矛盾を隠蔽させていたのか』


アルトは苦しくなった。


銀色の糸。シャーロット。


帝国の中核部で、彼女は父皇帝と対峙していた。その光は複雑に絡み合い、揺らいでいる。


『帝国を変えたい。奴隷制度をなくしたい。でも、父皇帝の支配下では――』


野心と限界。


『もし、私が帝国を裏切れば、父皇帝は怒るだろう。帝国全体が敵になるだろう。だが、アルト・ソルヴェンという支えがあれば――』


そこまで思った時点で、彼女の心に別の声が生まれた。


『これは愛か、それとも利用か。アルトの約束に守られているのか、それとも彼に依存しているのか』


板挟み。彼女は帝国の姫として育てられた誇りと、アルトへの感情の間で引き裂かれていた。そして、その両立の道を探す中で、自分の本当の願いが何なのかを見失いかけていた。


『俺の約束は、彼女の決断を容易にしただけで、彼女自身の葛藤を解決していない』


アルトの頭に、冷たい理解が広がる。


蒼白の糸。セリア。


彼女は古い石室の中で古文書を読み耽っていた。その光は知識欲で輝いているが、同時に罪悪感の暗さが混在している。


『システムの秘密。それを知ることで、何が変わるのか。人々を救えるのか、それとも――』


科学者としての野心。だが、その奥に隠された懐疑。


『私がこの情報を帝国皇帝に渡したせいで、すべてが加速した。帝国の追跡が厳しくなったのも、ヴァルデスの脅威が増したのも、私の責任かもしれない』


罪悪感の重さ。


『だが、システムを改革するには、その秘密を知る必要がある。知らずして何ができるのか』


彼女は知識を求めることで、罪悪感から逃げようとしていた。その知識がもたらす結果など、考えずに。


『俺が彼女を「助ける」という約束をしたことで、彼女は自分の行動の責任から目を背けていたのではないか』


アルトは戦慄した。


最後が黒紫の糸だった。エミリア。


彼女の光は最も複雑で、最も深い。その色は時々、光から影へと変わる。


『私は何百年も生きてきた。何度も何度も、契約者たちの失敗を見てきた。そして、毎回、同じ過ちが繰り返される。これはシステムの欠陥か、それとも契約者の本質か』


思索。そして、計算。


『アルト・ソルヴェン。君が最後の機会かもしれない。君がシステムを改革できれば。だが、君が失敗すれば――』


そこで、黒紫の光が一瞬、完全な黒に変わった。


『それでも、私は君を利用する。利用し続けるだろう。なぜなら、選択肢がないから。選択肢を失ってしまったから』


絶望的な決意。エミリアの本心は、アルトへの同志としての感情だけではなく、より冷徹な計算に満ちていた。彼女は「アルトが成功すること」だけを望んでいるのではなく、「アルトを通じて、システムを最終的に支配すること」を画策しているかもしれない。


『彼女は本当に俺を助けようとしているのか。それとも、俺を使っているだけなのか』


アルトの心に、深い疑問が刻まれた。


五本の糸が同時に揺らぎ始めた。


各々の矛盾、各々の隠された本音、各々の欠落した部分。それらがすべて、アルトの意識に流れ込んでくる。


『彼女たちは、みんな。俺に依存している。俺の約束を盾に、自分たちの矛盾に蓋をしている――』


その認識が、アルトの精神を揺さぶった。


頭上で、聖堂の梁が落ちてくる音がした。ニナの叫び声。シャーロットの指示の声。リリアの祈るような呼び声。セリアの警告。エミリアの沈黙。


それらが同時に、五本の糸を通じて、アルトに伝わってくる。


『俺は、彼女たちを救ったのか。それとも、彼女たちを鎖で縛ったのか』


その問いの答えを、アルトはまだ知らなかった。だが、彼の意識の底に、新しい理解が沈殿し始めていた。


彼女たちは、決して完璧な存在ではない。彼女たちは、矛盾し、葛藤し、時には自分の利益のために動く。アルトが与えた「約束の力」は、彼女たちにそれでもアルトに従わせた。だが――その力は、同時に彼女たちの自由意志を奪ってもいたのだ。


獣人領域の北で、帝国軍の陣営が激しい光に包まれた。それはエミリアの魔力だ。彼女は単独で、百人以上の騎士団と対峙している。その戦闘の中で、彼女の黒紫の糸が一瞬、断裂しかけた。


『エミリアが危ない――』


アルトは無意識に、その糸を強く握りしめようとした。だが、その瞬間、彼は気づいた。自分は今、彼女を「支配しよう」としている。彼女の危機を救うという名目で、彼女の判断を奪おうとしている。


『違う。彼女にも、彼女自身の決断がある。俺がそれを奪う権利はない』


その認識の中で、アルトの手が静止した。


聖堂の瓦礫はさらに落ちてくる。だが、アルトの意識は、ようやく、暗闇から浮き上がり始めていた。その瞳が、かすかに開く。


目前には、石造りの天井。その亀裂から、外界の光が漏れ込んでいる。そして、その光の中に、五人の影が見える。


それぞれが、自分たちの場所で、自分たちの戦いを続けている。


アルトは、初めてその姿を真正面から見つめた。


そして、その時初めて理解した。彼女たちが何を失ったのか。何を守ろうとしていたのか。そして、彼自身が、どれほど大きな過ちを犯していたのかを。


「俺は――」


アルトの声は、瓦礫に埋もれていた。だが、五本の糸を通じて、その言葉は確かに伝わっていた。


「俺は、何を約束したんだ――」


その問いの中で、アルトの意識は、完全に覚醒へと向かい始めた。

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