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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第50話 敗北と屈辱

朝日が昇る前、宿の壁は既に炎に包まれていた。


「くそ、逃げろ!」


グレッグの声が響く。左腕から血を流しながら、老冒険者は必死にアルトたちを外へ押し出していた。宿の二階から飛び降りる衝撃で、アルトの脚が軽い痛みを走らせた。だが、それすら気にならない。


視界がぼやけている。


いや、違う。四本の「約束の鎖」が同時に自分を引っ張っていて、その感覚が脳を圧迫しているのだ。リリア、ニナ、シャーロット、セリア――四人の感情が入り混じって、アルト自身の思考を埋め尽くしていた。


「アルト、こちらへ!」


シャーロットが馬の背から手を伸ばした。王女の気迫で、ヴァルデスの騎士団は一瞬引き、その隙に一行は北へ逃げることができた。東大陸とウェスタリア帝国の衝突を恐れ、ヴァルデスも安易には追撃しなかったのだろう。


だが、安心は長くなかった。


半刻も逃げ続けた後、一行は森の中の廃墟で休息を取ることにした。リリアは懸命にグレッグの腕を包帯で巻き、ニナは周囲の警戒に当たっていた。


「セリアはどこなんだ?」


アルトが呟いた。昨夜、帝国の本都から戻ると言って出かけたセリア。そして北の空で見た、強大な魔力の激突。もしあれが彼女だったら――


「考えるな」


ニナが冷たく言った。狼族の少女は、アルトの傍に立つことなく、柱に背を向けていた。


「今の状況では、見つけることもできん。そればかりか、お前の判断の甘さがグレッグを傷つけた。それすら気づいていないのか」


その言葉は、刃物のように胸に突き刺さった。


「ニナ、責めるな」


リリアが声を上げた。だが、それは庇うというより、自分自身を守るような弱々しい声だった。


「責めんわけにはいかん」


ニナは振り返った。その目には、アルトを見つめる怒りと失望が、まっすぐに映っていた。


「お前は何度も言った。『複数の約束を同時に果たす』『皆の夢を叶える』とな。だが、それはただの幻想だ。お前の力は『支配の力』――相手を動かす力だ。相手の意思を踏みにじってでも、自分の都合で約束を作る力だ」


「違う」


アルトは立ち上がろうとした。だが、その瞬間、脚が震えた。複数の約束の鎖が、彼の身体を圧迫していたのだ。


「立つな」


シャーロットが、静かに言った。王女は椅子に座ったまま、アルトを見つめていた。その目は、かつての温かさを失っていた。


「あなたの力のせいで、帝国内部の改革派勢力が三日で壊滅した。陸軍大臣は逮捕され、改革を支持していた貴族たちも連座制で処刑される。私の安全保障人である伯爵夫人も、あなたへの接触を理由に調査対象になった」


シャーロットの声は低く、しかし重かった。


「あなたは『我々を助ける』と言った。しかし、現実は何か。あなたの判断ミスが、何千人もの人命を奪い、数百の家族を離散させた」


「俺は――」


「黙れ」


その一言で、アルトの言葉は止まった。シャーロットは立ち上がり、アルトに歩み寄った。


「あなたの顔を見て、私は初めて気づいた。あなたは『正義の主人公』ではなく、ただの『傲慢な契約者』だ。自分の力を過信し、複数の人間を同時に支配しながら、それを『愛』と呼んでいる」


その言葉が、アルトの心を一層えぐった。


「リリア」


シャーロットは視線をリリアに向けた。奴隷から解放された少女は、包帯を持つ手を震わせていた。


「あなたが自分の目標を持たず、アルトだけに依存しているのは、彼の力のせいだ。彼は無意識のうちに、あなたの自由意志を奪っている。それに気づいていたのに、昨夜の判断ミスで、あなたの唯一の支えも失った」


「シャーロット、やめてくれ」


リリアの声が震えていた。


「なぜだ。事実だろ。我々は皆、この男の力の下で踊らされているだけなのだ」


シャーロットはアルトに背を向けた。


「私は帝国へ戻る。父皇帝との交渉を試みなければならない。改革派を完全に失った今、交渉の材料は限定的だ。しかし、あなたなしでも、私は皇女として立ち続けなければならない」


その言葉は、別れの宣言だった。


「待ってくれ」


アルトは必死に立ち上がろうとした。だが、脚は言うことを聞かなかった。複数の約束の鎖が、彼を地に縛り付けていたのだ。自分の力が、自分を動けなくしている。その皮肉さに、アルトは笑いそうになった。


グレッグが静かに近づいてきた。老冒険者の左腕は厚い包帯に包まれていた。


「少年」


その声は、かつての気さくさを失っていた。


「お前を見ていて、やっと理解した。複数の契約者が『沈黙』を選んだ理由が」


グレッグは座った。


「力が強すぎるんだ。相手の自由を奪わずに使うことが不可能なほどに。だから、歴史の中で契約者たちは、一人また一人と、自分の力を放棄してきた。それが『沈黙』の正体だ」


「俺は放棄しない」


アルトは声を搾り出した。


「なぜだ。見ろ。お前の力のせいで、これだけの被害が出ている。そして、この被害はまだ始まりに過ぎん。ヴァルデスはお前を消しに来る。帝国も追跡する。東大陸の他の勢力も動く。お前は複数の勢力から狙われる存在になった」


グレッグは立ち上がった。


「セリアはどこにいるか、誰も知らん。ニナも独立を宣言した。シャーロットは帝国に戻る。リリアは、お前の傍にいることすら恐怖している。お前は、完全に孤立した」


その言葉の一つ一つが、アルトの胸を刺し貫いた。


「俺は――」


「何もできん」


ニナが言った。狼族の少女は、廃墟の入口に立っていた。


「お前の力なしで、俺たちは再出発する。獣人評議会も、お前の支援なしで独立を目指す。それが本当の解放だ」


ニナの姿が、アルトの視界から消えた。


廃墟に残されたのは、アルト、リリア、そして倒れ込んだグレッグだけになった。


「リリア」


アルトが呟いた。


奴隷から解放された少女は、アルトを見つめていた。その目には、涙が溜まっていた。


「何か言ってくれ。何か、反論してくれ。今の俺には、お前の言葉が必要だ」


リリアは口を開いた。しかし、その先に言葉は続かなかった。彼女は、アルトから目をそらしたのだ。


その瞬間、アルトは理解した。リリアも、自分を信じることができなくなったのだと。


夜明けの廃墟で、アルトは一人、地に伏した。頭上で、四本の「約束の鎖」が、音を立てて断裂していくのが感じられた。

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