第45話 複数ヒロイン間の対立と葛藤
目が覚めた時、最初に感じたのは頭の奥底に走る鈍い痛みだった。
寝台の上で身体を起こそうとして、俺は気づく。四本の『約束の鎖』が同時に、まるで引き裂こうとするように自分の心を引っ張っているのだ。リリアへの鎖は「あたたかさ」を求める方向へ。ニナへの鎖は「独立」を求める方向へ。シャーロットへの鎖は「王妃としての責任」を求める方向へ。セリアへの鎖は「謎解き」を求める方向へ。
四つの方向が同時に俺を引き裂こうとしていた。
「おはようございます」
リリアが朝食を持ってやってきた。相変わらず献身的な笑顔だ。
「リリア。昨晩はすまなかった。今日は君とゆっくり話がしたい」
その瞬間、俺の口から出た言葉は――予定していなかった言葉だ。しかし、同時に『約束の鎖』がリリアへの方向で強く引かれた時、これは正しい言葉に感じた。リリアのためには、こう言うべきなのだ。
「はい。アルト様」
リリアの顔が輝いた。しかし、その輝きの背後に、わずかな迷いが見える。
――いや、違う。俺はリリアの前で、そう言っただけだ。
昼間、ニナがやってきた。彼女は腕を組み、真っすぐに俺を睨んでいる。
「なあ、アルト。昨日の話の続きを聞きたい。『約束の力』の限界について、お前はどう考えてんだ?」
彼女の問いに、俺は別の答えを口にしていた。
「ニナ。その通りだ。俺の『契約』という力は根本的に間違っている。相手の自由を奪う危険性がある。だから、お前たちの意思を尊重する。俺は単なるサポートに回る」
ニナの目がいくらか柔らかくなった。
「そっか。そう言ってくれるなら、信用できる」
彼女がそう言って去った後、俺は自分の言葉を反芻していた。
――待て。昼間、俺はリリアに「ゆっくり話がしたい」と言った。それはつまり、リリアとの関係を深めたい、という意味だ。しかし、ニナの前では「単なるサポート」に回ると言った。
矛盾している。
その矛盾に気づいた時、シャーロットがやってきた。
「アルト。帝国の情報が入った。皇帝は確実にお前を追跡している。我々は東へ向かうべきだ」
彼女の冷徹な分析に、俺は別の返答をしていた。
「わかった。シャーロット。お前の判断に任せる。帝国の敵となることを恐れない」
シャーロットはうなずいた。その表情は満足げだった。しかし、その直後、彼女は一呼吸置いて、少し不安げに問いかけてくる。
「……アルト。本当に、自分の判断で言っているのか?」
その問いに、俺は言葉を詰まらせた。
本当のところ、わからない。
『約束の鎖』が引いている方向へ、俺の口は勝手に言葉を紡いでいるだけなのか。それとも、本当に俺がそう判断しているのか。その境界線が曖昧になっている。
夜になると、セリアが宿の一室に俺を呼び出した。彼女の銀髪は宿の灯火に照らされて、冷たく輝いている。
「アルト。『約束の鎖』の負荷について、あなたの主観的な感覚を教えてほしい」
彼女の質問は、いつもの通り冷徹で、実験的だ。
「セリア。その研究は、『契約システム』そのものの秘密に迫るものだ。俺は協力する」
俺がそう答えると、セリアは満足げにノートに何かを書き込んだ。
しかし、セリアが出ていった直後、グレッグが俺に近づいた。老冒険者は眉をひそめていた。
「お前さん、大丈夫か?」
「何の話だ?」
「リリアが朝、何か不安そうな顔をしていてな。シャーロットも、昼間、あてつけるようにお前の判断の一貫性について質問していた。ニナは……」
グレッグは言葉を区切った。
「ニナは怒ってる。お前がニナには『サポート』に回ると言ったのに、リリアには『ゆっくり話がしたい』と言ったことに気づいたんだ」
「え?」
俺は自分の言葉の矛盾に気づいた。
「『サポートに回る』って言葉は、アルトがリリアとの特別な関係を深めることと矛盾しているぜ。お前、各ヒロインの前で、違う約束をしちゃってないか?」
グレッグの指摘は、ほぼ的中していた。
その夜、リリアとニナの間に起きたことに、俺は気づいた。
「あなた、アルト様の側にいるべき人間は誰なのですか?」
リリアが、ニナに問いかけたのだ。声は静かだが、その奥には激怒が隠されていた。
「は?」
ニナが怪訝そうに返す。
「昨日、アルト様は『獣人の自力解放を尊重する』と私に言いました。でも、この朝、アルト様は『君とゆっくり話がしたい』と私に言ったのです。それは相互に矛盾した約束ではありませんか?」
リリアの指摘は冷酷だった。
「待て。それはただの言葉遣いの問題じゃ――」
ニナが反論しようとした時、シャーロットも口を挟んだ。
「アルトは、帝国の『敵になる』と私に言った。しかし同時に『サポートに回る』とニナに言った。これは戦闘への参加度が根本的に異なるということだ。どちらが真実なのか」
四人の視線がぶつかり合った。
宿の客間の中で、俺を中心とした奇妙な幾何学的な緊張が生まれていた。
「全員、落ち着け」
俺が声を上げた。だが、その声は自信を欠いていた。
「俺は、誰もが納得できる形で、この状況に向き合う」
しかし、その言葉さえも、実は『約束の鎖』の引っ張り合いの中で生まれた妥協案でしかないことに、俺は気づいていた。
複数の鎖が引き裂こうとする時、人間は判断を失う。
その夜、俺は誰とも寝ることなく、宿の屋上で星を数えていた。頭の中では、四本の『約束の鎖』がまるでシンフォニーのように、相互に矛盾した音を奏でていた。
セリアの言葉が耳に残っていた。
『限界突破の方法は「新しいシステムの創造」である可能性を示唆』
――では、「新しいシステム」とは何か。
朝日が昇る直前、俺の脳裏に一つの可能性が浮かんだ。もしかして、俺は複数の女性を同時に愛することで、システムそのものを壊す選択肢を手に入れているのではないか。
その可能性は、同時に、最も危険な選択肢でもあった。




