第42話 セリアの執着と謎
西南への迂回ルートは、帝国の追跡から逃れるための賭けだった。セリアが示した地図には、山道と森林を抜けて三日で辺境都市アルテミスに到達するコースが描かれていた。
「本当に三日で着くのか?」
シャーロットの問いに、セリアは銀色の髪をかき上げながら答えた。
「魔力の補給地点が三箇所ある。そこを経由すれば可能よ」
セリアは地図から顔を上げて、アルトをまっすぐに見つめた。その瞳に映るのは、学問的な好奇心というより、執念に近いものだった。
「それよりアルト、私の提案について返事をもらってない」
一行は山道に入って二時間ほど進んでいた。グレッグとリリアは先頭で警戒に当たり、シャーロットが側面を守っている。ニナは中央部で、無言のまま歩を進めていた。アルトの直後をセリアが歩みながら、彼女は執拗に同行を求めていた。
「あの……本当に理由は『研究』だけなのか?」
アルトは慎重に言葉を選びながら聞いた。セリアの研究熱心さは本物に見えたが、同時に何か隠しているような違和感が拭えない。彼女の瞳の奥に、単なる学問者の光ではない、別の種類の執念が燃えているのを感じていた。
「何か不安でも?」
セリアは微笑んだ。それは親切そうに見えるが、どこか他人事のような冷たさを帯びていた。
「いや、ただ……」
アルトが言いかけたとき、セリアが唐突に質問を投げかけた。
「あなたの『契約』という力。それは本当に『魔力の応用』だと思ってる?」
立ち止まった。アルトの足が、セリアの言葉に引き止められた。
「どういう意味だ?」
「従来の魔術は、存在する魔力を変形・応用させるもの。火の魔力を炎として放つ、氷の魔力を氷柱として形成する。そうした『既存の力の用途変更』が魔術の本質よ。でもあなたの能力は違う」
セリアが二歩先に出て、アルトを振り返った。
「あなたの『契約』は、相手の自由意志そのものを『操作』している。いや、操作ではなく『同期』させている。相手の潜在的な願いと、あなたの約束を『融合』させる。これは従来の魔術の枠組みを完全に超えている」
アルトの歩みが止まった。セリアが言っていることは、彼自身も薄々感じていたことだった。だが、言語化されると、その危険性と本質が一層明確に見えてくる。
「あなたは気づいていないかもしれない。けれど、あなたが何かを『約束』するたびに、相手の深層心理に干渉している。それも非常に高度な形で」
「それは……違う」
アルトは反論しようとした。彼は相手の本心を読むことはできるが、強制はしていない。契約が成立するのは「相手が心の底から同意した」ときだけなのだ。
「違わない」
セリアの声が、初めて感情的な色合いを帯びた。
「あなたのスキル『契約読破』。それは何だと思ってる?相手の『本心を知る力』?違う。あれは相手の『潜在的な願いを感知し、それを顕在化させる力』よ。つまり、あなたが感知した時点で、すでに相手の心は微かに『操作』されている」
「セリア……」
シャーロットが険しい顔で立ち止まった。二人の会話が聞こえていたのだろう。
「言い過ぎだ。アルトは誰かを傷つける契約は成立させないと言っている」
「成立させない?」
セリアが冷たく笑った。
「それはね、『その力を使わないという自制』に過ぎない。銃を持っていながら『撃たないから危険ではない』と言っているのと同じ。違うかしら?」
「それでも、人を傷つけることはしていない」
アルトは静かに言った。
「知らない間にね」
セリアの言葉が、深く刺さった。彼女はアルトに背を向けて、再び歩き始めた。
「あなたが奴隷たちを解放したとき、彼女たちは本当に『自由』を選んだのか。それとも、あなたの『約束の鎖』に拘束されただけなのか。リリアを見てみなさい。彼女はあなたなしで決断できるのか?」
アルトは、一歩先を歩くセリアの背中を見つめていた。彼女の言葉の一つ一つが、彼の内部に存在していた疑問を、残酷なほど正確に射貫いていた。
「私は、その本質を知りたい」
セリアは、足を止めずに言葉を続けた。
「あなたの力の真の姿を。『契約システム』と呼ばれるものの、本当の正体を。他の魔術師たちは皆、既存の現象に飽き足らず、その奥にある『根源』を求める。それが研究者の本質よ」
「だから同行したいと?」
「そう。あなたを観察したい。あなたの能力がどのような限界を持ち、どのような秘密を秘めているのか。その過程でね、私は一つの仮説を検証したい」
セリアが立ち止まり、初めてアルトの瞳を見つめた。その瞳は、純粋な学問的興味と、深刻な懸念が混在していた。
「あなたの『契約システム』は、単なる個人の能力ではない。それは、より大きな『何か』の一部。あるいは、より大きな『何か』があなたを通じて、この世界に干渉しようとしている。その可能性を検証したい。それだけよ」
リリアが、突然アルトのそばに走ってきた。その表情は、不安と怒りが入り混じっていた。
「セリアの言葉、全部は信じちゃだめ。でも……」
リリアは、アルトをしっかりと見つめた。
「アルト。私たち、本当に自由なんでしょうか?」
その問いに、アルトは答えられなかった。
セリアが示した西南ルートへ向かう一行の中で、アルトの胸には、新たな疑問と不安がしっかりと根付いていた。彼が解放したと信じていた者たちが、本当は別の形の『鎖』に繋がれているのではないか。そして、その『鎖』を作り出しているのが、他ならぬ自分なのではないか。
夕暮れが迫る山道を、四人は沈黙のまま進み続けた。セリアの後ろ姿は、あくまで冷淡で、あくまで学問的であり続けていた。
だが、その背中の奥には、何か別の目的があるような気がしてならなかった。




