第41話 天才魔術師の出現
帝国の使者が到着してから三日目の朝。俺たちは森の奥深くへ身を隠していた。
シャーロットが帝国への反逆を決意したことで、もはや逃げ場はほぼ消えている。だが今、最も緊迫した状況は別にあった。
「アルト・ソルヴェン」
冷たい声が背後から聞こえた。
俺は振り返った。そこに立っていたのは、銀色の髪を腰まで伸ばした少女だった。年は二十代半ば。洗練された黒いローブに身を包み、右手には複雑な魔法陣が浮かんでいる。その目は冷徹で、何かを計測するような光を宿していた。
「誰だ」
思わず身構えた。だが、彼女は武器を構えていない。むしろ、興味深そうに俺を観察している。
「セリア・ウィンザード。自称『魔力現象の独立研究者』だ」
彼女は数歩近づいた。その動きは不自然なほど軽い。あたかも空気すら抵抗ではないかのように。
「君が、噂の『契約者』か。なるほど」
セリアは俺の周りを一周した。その間、彼女の右手に浮かぶ魔法陣が輝度を増していく。
「魔力の流れが通常と異なる。それも、半径五メートルの範囲で『規則性のある干渉』が生じている。興味深い」
「何の用だ」
俺の問いに、セリアは振り返った。その唇が薄く笑う。
「君の力の正体を知りたい。それだけだ」
テントの中から、シャーロットが剣を握りながら現れた。ニナも同時に体を低くして準備態勢に入る。だが、セリアはこれらの動きに目もくれない。
「心配するな。今は戦闘目的ではない。ただ、君たちが帝国と東大陸の双方から追われているという情報を得た。その状況で、さらに第三勢力が介入することは避けたいと思ってね」
「第三勢力?」
リリアが声を出した。
「俺のことだ。大学での研究を打ち切られ、今は独立的に活動している。帝国にも東大陸にも属さない。ただし、『魔力現象』には強い関心がある」
セリアが右手の魔法陣を消した。
「君の『契約』という力。それは魔法ではない。呪いでもない。それなのに、対象者に絶対的な拘束力を及ぼす。こんな現象は、理論上存在しないはずなんだ」
俺の背中に、冷たい感覚が走った。
「君の能力について詳しく聞かせてくれないか。条件として、俺はいかなる帝国の要請にも応じない。また、君たちがこの森から脱出するルートについても、情報提供が可能だ」
シャーロットが一歩前に出た。
「この女を信用できるのか」
「できない」
セリアが答えた。その声は笑っていない。
「君たちも俺を信用する必要はない。だが、現状では『非協力的』より『条件付き協力』の方が有利だと、君たちも判断していることだろう」
その言葉に、俺たちは沈黙した。
セリアが言うことは正しい。帝国の追手は確実に接近している。一方、獣人評議会との協力を進めるには、シャーロットの帝国内部情報が必須である。そして、東大陸からの使者団の目的もまだ不明だ。
「一つ、聞きたいことがある」
俺は前に出た。
「君は、なぜそこまで俺の力に興味を持つんだ。それは学問的な興味か。それとも、何か別の目的か」
セリアの目が輝いた。それは冷徹さを持ちながらも、どこか喜びに満ちている。
「いい質問だ。正直に答えるなら、両方だ。だが、より本質的には、こういう理由だ」
彼女は俺に近づいた。その距離は、もはや信頼と猜疑心の境界線を超えている。
「君の力の発生源。それは『システム』と呼ばれる古い魔力体系に関連している可能性がある。それが事実なら、君は単なる奴隷解放者ではなく、世界の歴史そのものと関わる存在だ」
「システム?」
その言葉は、俺にとって初めてではなかった。エミリアが数度言及していた。だが、詳細については何も教えてくれていない。
「その情報は、俺の研究の一部だ。今は説明しない。だが、君が『契約者』という立場にいるなら、いずれ知る必要が出てくる」
セリアが身を引いた。
「では、どうする。協力するのか、それとも拒否するのか」
リリアが俺の肩に手を置いた。
「アルト。信じるべき」
その一言に、ニナも頷いた。シャーロットは複雑な表情のままだが、俺に判断を委ねている。
「分かった。協力しよう。ただし、一つ条件がある」
俺はセリアを見た。
「君の研究内容について、差し支えない範囲で教えてくれ。そして、『システム』とは何かについても」
セリアは微笑んだ。それは初めて見た、本当の笑顔だった。
「いい取引だ。では、まず森から出よう。帝国の追手は北東方向に集中している。西南方向へ進めば、三日で都市に到達できる」
俺たちがテントを片付けている間、セリアはニナの傍に立った。
「君は獣人か。珍しい。通常、獣人は高等魔術を扱えないのだが」
ニナは警戒を解かない。
「俺たちの能力は、人間の『魔力供給』とは別系統だ。その点について、君の理論は興味深い」
ニナの返答に、セリアは頷いた。
その時、西の空から光が走った。爆発だ。帝国の追撃軍が何かを砲撃している。
「急ぎましょう」
シャーロットが指示を出した。
俺たちは急いで南西へ進むことにした。セリアは先導していく。その背中は、何か大きな秘密を抱えているように見えた。
林を抜けて、開けた草原に出た時、セリアが立ち止まった。
「一つだけ、確認したいことがある」
彼女はゆっくり振り返った。
「君の『約束の鎖』スキル。それで複数の人間と同時に契約を保有できるということだな。その時、それぞれの契約の『質感』は異なるのか。それとも、同一か」
俺は立ち止まった。その質問は、誰もしたことがない問いだった。
「異なる。契約相手によって……感じ方が変わる」
セリアの目が輝いた。
「つまり、君の力には『個別化の機能』がある。つまり、単なる強制ではなく『相手の心理状態を反映させる』構造になっているということだ。すると、理論上、複数の契約間に『感情的干渉』が生じるはずだ。それを君は自覚しているのか」
その問いに、俺の足が止まった。
「自覚している。最近、その干渉が強くなっている」
セリアは頷いた。
「そうか。ならば、君はもう気づいているかもしれない。君の力は『支配の力』ではなく『結合の力』だという事実に」
その言葉は、俺の心を揺さぶった。
追撃軍の爆音が、さらに近づいていた。だが、俺たちは動かずにいた。
セリアが投げかけた言葉の重みが、その場を支配していたからだ。
「システム」という言葉も、「契約者」という自分の立場も、すべてが新しい光の中で見え始めていた。
そして、その奥には、さらに大きな謎が隠れているような気がしてならなかった。




