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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第36話 ニナの過去

獣人領域への入口に着いたとき、空の色が変わっていた。


西大陸の支配下にある町では見たことのない、深い紫がかった夕焼けが地平線を染めていた。古い魔力が濃く漂っているのだろう。アルトは馬から降り、その景色をしばらく眺めていた。リリアとシャーロットも同じように立ち尽くしている。


「ようこそ、人間どもの世界から逃げてきた者たち」


低く、威圧的な声が聞こえた。


獣人の戦士たちが現れた。狼族、虎族、鷲族。それぞれが異なる毛並みと瞳の色を持っていた。彼らはアルトたちを囲むように配置された。明らかに敵対的だ。


「私たちは戦いに来たのではない」


シャーロットが一歩前に出た。王族としての威厳を纏いながら、手を上げて無防備を示す。だが、その瞳には揺らぎがない。


「ニナを呼んでくれ。彼女がお前たちに何があったかを説明するだろう」


戦士たちが目を合わせた。何か暗黙の了解があるように見えた。やがて、彼らは脇に引いた。


通路ができた。


獣人領域への道を進むにつれ、アルトは異変に気づいた。建造物の多くが焼け焦げていた。痕跡があちこちに残っている。最近の戦闘跡だ。人間側との衝突があったのだろう。


「ひどい状態だ」


リリアが呟いた。彼女の声は、かすかに震えていた。


獣人の村の中心にある、古い木造の建物へ導かれた。その中で、ニナは待っていた。


膝をついて座る少女は、もはやアルトが知っているニナではなかった。瞳に怒りと悲しみが凝結している。その横に、もう一人の獣人がいた。年老いた狼族の女性。ニナの祖母だろうか。


「座れ」


ニナの声は冷たかった。


アルトは指示に従った。シャーロットとリリアも同じように座る。


「話す。お前たちは知らなければならない。私たちの痛みを。私たちの歴史を」


ニナの祖母が口を開いた。その声は澄んでいたが、途方もない年月の重みを感じさせた。


「数千年前、この大陸は一つだった。人間と獣人が同じ土地に住み、共に生きていた。魔力も等しく流れていた。誰もが、等しく呼吸をしていた」


アルトは息を飲んだ。その話は、商人ギルドでもどこでも聞いたことがない。


「だが、人間たちが気づいた。獣人から魔力を吸い出すことができることに。私たちの肉体は、人間のものより魔力を保持する量が多かった。だから、人間たちは思った。『これは宝だ』と。そして、略奪を始めた」


ニナの祖母の瞳が、遠い過去を見つめている。


「戦いがあった。激しい戦いが。だが、人間たちは数が多く、組織化していた。獣人たちは散在し、各族ごとに別れていた。一つにならなかったのだ」


「祖母……」


ニナが声を上げた。


「知るべきだ。この子たちに。お前たちの敵の本質を」


祖母は続けた。


「敗北後、人間たちは法律を作った。『獣人は下等種族である』と。『獣人の魔力供給能力は、人間の百分の一に過ぎない』と。その後、いくつかの根拠が後付けされた。獣人の身体構造は人間より単純だ、とか。獣人の知能は劣っている、とか。すべて嘘だ。だが、嘘を繰り返すと、それは歴史となる」


アルトは反論しようとして、口を閉じた。祖母の瞳は、彼を見つめている。


「お前が何を言いたいのか、分かっている。『オレは奴隷制度に反対だ』と。『オレは獣人を助けたい』と。だが、お前がしたことは何か。獣人たちを『契約』で束縛することではないか。それは、新しい形の奴隷化ではないのか」


アルトの息が止まった。


「お母さん、厳しすぎる」


別の声が聞こえた。振り返ると、もう一人の獣人女性がいた。その顔立ちはニナに似ていた。


「ニナの母だ」


ニナが説明した。


「母は……人間との間に生まれた」


リリアが小さく息を吸った。


「そうだ。三十年前、人間の兵士が獣人の村を襲った。その時、私はまだ若かった。兵士に犯された。その結果、ニナの母が生まれた」


祖母が淡々と述べた。


「人間たちは『混血児は獣人である』と判定した。母親の種族に従う、という法律がそこにはある。だから、ニナの母は獣人扱いされた。だが、人間たちの一部は別の見方をしていた。『汚れた血』と」


ニナの母は、母親の手を握った。


「祖母を許してください。彼女の言葉は厳しいですが、怒りは正当なのです」


ニナの母がアルトに向かって言った。


「あなたが奴隷たちを解放してくれたこと、それは感謝しています。本当に。ですが……」


彼女の瞳が揺らいだ。


「あなたの力は、本当の救いなのでしょうか。それとも、別の形の支配への入口なのでしょうか。ニナは、その問いに直面しています」


アルトは何も言えなかった。


ニナが立ち上がった。


「来い。お前に見せたいものがある」


アルトは従った。シャーロットとリリアも立ち上がったが、ニナは首を横に振った。


「お前だけだ」


暗くなった獣人領域を歩く。ニナは道なき道を進んでいく。やがて、彼らは一つの場所に着いた。


洞窟だった。だが、それは自然的な洞窟ではなく、人工的に掘られたものだった。内部には、深く、深く、底知れぬ闇が広がっている。


「これは何だ」


アルトが問う。


「採掘場だ。五百年前から存在する。人間たちが私たちの魔力を吸い出すための装置。獣人たちは鎖でつながれ、この穴の中で一生を過ごす。日光を見ることなく。家族に会うこともなく。ただ、魔力を吸い出されるためだけに」


ニナの声は静かだった。だが、その中には、火のような怒りがあった。


「お前は、数十人の獣人を解放した。それは素晴らしいことだ。だが、この洞窟にはどれくらいの獣人がいると思う。千人か。万人か。誰も正確には知らない。人間たちは、獣人を『数える』という手間さえ惜しむのだ」


アルトは言葉を失った。


「お前の力で、これを全て解放できるか」


ニナが問う。


「……できない」


アルトは答えた。正直に。


「複数契約の管理に、既に限界を感じている。さらに、ここにいるすべての獣人と契約を結べば、精神的に潰れる。あるいは、一時的に能力を失う」


「ならば、お前の力は本当の救いではない。それは幻想だ」


ニナはアルトの目を見た。


「だから、私は決めた。獣人たちを自分たちの力で解放させる。契約ではなく、自分たちの意思で立ち上がらせる。人間たちと戦い、この洞窟を破壊する。たとえ、それが戦争になったとしても」


「ニナ……」


「お前を恨んでいない」


ニナが言った。


「ただ、お前を頼ってはいけないと、学んだだけだ」


アルトは深い沈黙の中にいた。足元には、獣人たちの苦しみの痕跡が積み重なっている。その重みは、彼の肩に圧しかかっていた。


「戦うならば、一人では無い。お前たちが来てくれたのなら、一緒に戦う道もある。だが、それはお前の『約束』によってではなく、お前たちの『選択』によってだ。分かるか」


ニナは洞窟から出て行った。


アルトは一人、その奈落の縁に立っていた。そして、初めて気づいた。


自分の力の本当の限界を。そして、自分が背負わなければならないものの、真の重さを。


帰路で、シャーロットが静かに言った。


「戦争が来る。近い将来に」

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