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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第29話 本質への接近

夜明け前の森は静寂に満ちていた。


アルトが野営地で薪をくべ直していると、馬の蹄音が近づいてくる。一頭。乗り手は一人。ニナが即座に身構えたが、アルトが手を上げて制した。予感がある。シャーロットだ。


案の定、銀色の髪が月光に映る。王女は騎士団を連れず、一人で現れた。馬から降りるその動作も、いつもの高貴さは影を潜めている。疲れている。いや、違う。何かを決断した後の、覚悟の表情だ。


「夜中に申し訳ありません」シャーロットは足取り重く、篝火のそばに座った。「護衛も連れずに来たのは、誰にも知られたくないからです」


リリアが水を用意した。シャーロットは感謝の眼差しで受け取った。


「昨日の会談で、すべてを話したわけではありません」王女は火を見つめながら言った。「帝国の意図、契約システムの秘密、複数の契約者の存在……そのすべてが、あなたに必要な情報ではないと思ったから」


「では、今は?」アルトが問いかけた。


「今は、私の本心を聞いてほしい。契約者としてではなく、一人の人間として」シャーロットが目を上げた。その瞳には、涙のような光があった。「昨日、帝国からの買収提案を提示しました。それは本当です。しかし、私がそれを選ぶことはない。選べない」


ニナが身を乗り出した。狼族の直感が、この言葉の真実を感知している。


「帝国皇帝マクシミリアン。あの男は……」シャーロットは息を深く吸った。「あの男は、人類の自由などは眼中にない。彼が欲しいのは、『支配』の純粋さです。奴隷制度、獣人差別、すべては彼の統治体制を完璧にするための道具に過ぎない」


「それは……」リリアが声を漏らした。


「知っていますか?帝国内で、奴隷たちがどのような扱いを受けているか」シャーロットは立ち上がった。篝火の明かりが、彼女の表情をより厳しく映す。「帝国の奴隷は、単なる労働力ではない。彼らは『帝国の秩序の証明』なのです。帝国皇帝は、奴隷の存在そのものが帝国の正統性を証明すると信じている。だから、奴隷制度を廃止することは、彼にとって帝国の終わりを意味する」


アルトは黙って聞いていた。だが、その手は握られていた。


「東大陸の複数の王国も、帝国の傀儡です。私も含めて」シャーロットの声は冷たかった。「帝国は我々に『自治権』を与えているように見せかけ、実は完全に支配している。複数の契約者たちが、二百年前の『約束』で帝国の政治体制を固定化させたのです。それが、今の秩序です」


「では、なぜ……」ニナが問いかけた。「あなたは帝国に逆らう?帝国の庇護を失えば、東大陸は滅ぶはずだ」


シャーロットが狼族の少女に目を向けた。その瞳には、驚くべき親近感があった。


「帝国の支配下で『安定』を得るくらいなら、自由のために戦う方がましです。それに」シャーロットは微笑んだ。「私は、ずっと帝国に奴隷のように扱われてきた。王女という地位は、ただの枷に過ぎません。帝国皇帝マクシミリアンの傀儡として生きることで、私は何度も心を折られました」


シャーロットが腰を下ろし、アルトと向き合った。


「あなたが奴隷たちを解放するために契約を使う。それは間違いではない。しかし、その先を見てください。あなた一人の力では、帝国の支配を揺るがすことはできない。帝国皇帝マクシミリアンは、複数の契約者の力を統御しています。あなたが知らぬ間に、彼はあなたの行動を監視している」


アルトの体が硬くなった。


「監視?」


「象牙色の招待状。あれは商人ギルドの招待ではなく、帝国の『目印』です」シャーロットが言った。「マルコム・ヴェロスは帝国の工作員。彼があなたに招待状を渡したのは、帝国皇帝にあなたの位置を報告するためです。商人ギルド本部に行けば、帝国軍に包囲される。それが帝国の計画です」


リリアが息を呑んだ。


「では、私たちが行けば……」


「帝国による逮捕、もしくは殺害です」シャーロットは静かに言った。「帝国は、複数の契約者の力を支配したいのです。あなたがどのような目的を持とうとも、帝国皇帝にとっては脅威に過ぎない。最初から、帝国はあなたの消滅を計画していました」


沈黙が森を支配した。篝火だけが、時を刻み続ける。


「では、どうすれば……」アルトが呟いた。


「東大陸との同盟です」シャーロットの声は確かになった。「複数の王国が帝国に反旗を翻す。帝国の軍事力は大きいが、全面戦争を避けたい。そこに隙がある。あなたと東大陸の連合体が帝国に対抗すれば、帝国皇帝マクシミリアンも動かざるを得ません」


「戦争か」ニナが呟いた。その声には、複雑な感情が混在していた。


「はい」シャーロットは頷いた。「ただし、これは物理的な戦争ではなく、『約束』の戦いになるでしょう。複数の契約者たちが、互いの『約束』の力で己の目的を実現しようとする。それが、この世界の本当の構造です」


アルトは、約束の鎖を感知した。シャーロットの心の中に、彼女自身の重い誓いが存在する。帝国への反逆。東大陸の解放。そして、それに伴う己の滅亡への覚悟。


「あなたは……何を覚悟しているのですか」アルトが問いかけた。


シャーロットは長く沈黙してから、答えた。


「帝国皇帝の報復です。成功すれば、私は帝国の統治から逃れられる。失敗すれば、東大陸は帝国によって完全に支配される。そして、私は……死ぬでしょう」


その言葉は、単なる予測ではなく、受け入れた運命のように聞こえた。


リリアが不安そうにアルトを見つめた。ニナは黙って、王女を見つめている。


「シャーロット」アルトは、初めて王女の名を呼ぶのを躊躇わなかった。「あなたの本心は何ですか。これは、政治的な必要性からの提案なのですか。それとも」


「本当は」シャーロットは、火を見つめたまま言った。「あなたが見せた『自由への意志』に、心が揺さぶられました。あなたが奴隷たちのために戦う姿は、帝国の支配の下で失われていたものです。自分の幸福よりも、他者の自由を優先する。帝国皇帝マクシミリアンには、絶対に理解できない思想です」


シャーロットが顔を上げ、アルトを直視した。


「ですから、私は選びました。帝国の傀儡として生きるのではなく、あなたと共に自由を求める道を。それが、私の本心です」


その瞬間、アルトは約束の鎖を強く感知した。シャーロット・メディエヴァルという女性の、最深部の願いが、彼に向かって震えている。彼女は、真実を語っている。


「わかりました」アルトは、ゆっくりと立ち上がった。「では、共に戦いましょう。ただし、シャーロット」


「何ですか」


「あなたは一人ではない。帝国皇帝の報復を受けるなら、私たちも共に受ける」アルトは、王女に手を差し出した。「これは、新しい契約です。私たちは、相互に自由と安全を約束する。帝国との戦いにおいても、その後の人生においても」


シャーロットが、その手を握った。その手は、王女としての冷徹さと、一人の女性としての温かさを持っていた。


ニナが立ち上がり、シャーロットの肩に手を置いた。獣人と王女。本来なら、絶対に相容れない身分。だが、この瞬間、彼女たちは同じ意志で結ばれている。


リリアも、篝火の向こうから、力強く頷いた。


夜の森に、新しい結合の光が生まれた。帝国皇帝マクシミリアンは、まだ気づいていない。自らの支配体制に、最初の亀裂が入ったことに。


篝火の炎が、一層高く燃え上がった。

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