第23話 商人ギルドとの接触
ギルド支部の建物は、想像していたより豪華だった。
白い石造りの三階建て、正面には巨大な看板。冒険者ギルド、と書かれた木製の標識が風で揺れている。周囲は活気に満ちていた。装備を整えた冒険者たちが出入りし、受付嬢たちが素早く手続きを進めている。一角では傭兵グループが仕事の依頼内容について激しく議論している。
「すごい……」
リリアが静かに呟いた。彼女はアルトの隣に立ち、広い建物内を見回している。その目には、純粋な驚きと、何か別の感情が混じっていた。
ニナは相変わらず、鼻をヒクヒクさせながら周囲を警戒していた。獣人の彼女にとって、これだけ多くの人間が一堂に集まっている場所は、本能的に危険を感じさせるのだろう。
「さあ、ギルドカード作成の窓口だ」
グレッグの伝言を受けた集落の長老に教えてもらった通り、アルトたちは左奥の受付に向かった。そこには若い男性が座っており、見るからに事務的な態度で対応している。
「冒険者登録ですね。では基本的な情報をお聞きします」
男性の手には羽ペンが握られ、用紙が机の上に広げられていた。アルトは簡潔に自分たちの情報を伝える。年齢、出身地(それらしい場所を適当に選んだ)、能力の種類。
リリアは「魔法補助」、ニナは「獣人戦士」として登録された。
手続きは思ったより早く終わった。三十分後、彼らは各々のギルドカードを手にしていた。黒地に金色の枠、そして冒険者ランクを示すレターが刻まれている。アルトはFランク、リリアとニナもFランク。
「いよいよだな」
アルトがカードを眺めながら呟くと、リリアが小さく笑った。
「なんだか本当に、新しい人生が始まった気がします」
その言葉は、単純な喜びを持っていなかった。アルトはそれに気づいていた。リリアは依然として、彼の約束に依存している。その安心感と同時に、自分たちが本当に自分たちの足で立てるのか、という不安も抱えているのだろう。
その時だった。
受付の奥から、声がかかった。
「アルト・ソルヴェン、ですね」
アルトが振り返ると、そこに立っていたのは中年の男性だった。派手な衣装を身に纏い、胸には複雑な紋章が縫い込まれている。その男の後ろには、三人の護衛が控えていた。
「私は商人ギルドの現地代表、マルコム・ヴェロスと申します」
その瞬間、ニナが一歩前に出た。彼女の目は、狼のそれに変わりかけている。危機感を感じているのだ。
「奴隷商人か」
ニナの声は、低く、唸るような響きを持っていた。
マルコムは、その言葉に眉を上げるだけで、動じなかった。むしろ、彼は軽く笑った。その笑顔には、何かしら計算が隠れているように見える。
「奴隷商人? いや、私たちは『商人ギルド』です。奴隷商人は、一つの部門に過ぎません。多くの者が誤解していることですが、私たちの商いはもっと広いのです」
アルトは、その言葉に警戒を強めた。しかし、マルコムは継続して話した。
「実は、あなた方のことを聞いておりまして。特に、この方の———」
彼は、リリアに視線を向けた。
「経済的な才能について。噂によれば、あなたは奴隷たちの解放に際して、彼らの生活基盤をも考慮したとか。奴隷の急激な解放は、しばしば彼らを路頭に迷わせます。しかし、あなたは違う。そのあたりの思慮分別が、我々の関心を引きました」
リリアは、戸惑った表情を見せた。彼女の目は、マルコムからアルトへと移る。
「何を言っているんです? 私は、ただアルトさんの指示に従っただけで———」
「いや」
アルトが口を挟んだ。彼は、リリアを見つめた。
「君は、従っただけじゃない。君は考えていた。俺が気づかないことまで」
それは事実だった。リリアは、解放した奴隷たちにどのように生計を立てさせるか、という問題に向き合っていた。彼女は、奴隷商人の施設に残された食料品や道具を、隠れて分配していたのだ。アルトはそれを後で知った。
マルコムは、その言葉に満足したのか、ニッコリと笑った。
「そこです。あなたは単なる剣客ではなく、指導者としての素質を持っている。そしてこの女性は———」
彼は再びリリアを見つめた。
「単なる奴隷ではなく、経済戦における真の武器になり得る。商人ギルドとしては、その才能に投資したいと考えております」
「投資?」
アルトの声は冷たかった。
「あなたたちが、どういった意思で私たちに接触してきたのか、説明してください」
マルコムは、顔色を変えずに話を続けた。
「簡単です。ウェスタリア帝国は、現在大きな転換期を迎えている。奴隷制度は、長年にわたって経済の重要な柱でした。しかし、その制度が揺らぎつつある。既存の奴隷商人たちは、その変化に対応できず、逆に反発している。一方、我々商人ギルドは、より柔軟です。新しい経済体制への移行を、むしろ好機と考えている」
「つまり———」
「あなたが奴隷制度を破壊するなら、私たちは、その後の経済的な混乱を最小限に留めるお手伝いをしたい。そして、その過程で、この女性の才能を開花させたい。彼女は、新しい経済体制の中で、重要な役割を果たす可能性がある」
マルコムの提案は、表面的には合理的に見えた。しかし、アルトは違和感を感じていた。
「あなたたちは、利益を求めているんですね」
「もちろんです」
マルコムは、すぐさま認めた。その潔さが、逆に危険性を高めているように感じられた。
「しかし、その利益は、必ずしもあなたたちの利益と矛盾しません。奴隷制度が廃止される世界、それは同時に、新しいビジネスチャンスに満ちた世界なのです」
アルトは、リリアの顔を見た。彼女の表情は、複雑だった。興味と、不安が混ざっている。
「考えさせてくれ」
「もちろんです。ただし———」
マルコムは、懐からカード状のものを取り出した。それは象牙色で、表面には複雑な紋様が刻まれている。
「このカードを持ってきてください。商人ギルド本部への招待状です。あなたたちが本当に必要な支援は何か、詳しくお話しできます。それに———」
彼は、ニナに視線を向けた。
「獣人の女性。あなたもご一緒ください。獣人差別の解決についても、我々は深い関心を持っている」
ニナは、その言葉に不信感を露わにした。
「狼を使う前に、その心理を知れ、と言うわけか」
「おや、賢い。ですが違います。単に、あなたたちの全員が重要だと考えているだけです」
マルコムは一礼すると、彼の護衛たちと共に去っていった。背中を見送りながら、アルトは深く息を吐いた。
「なんなんですか、あの人」
リリアが、不安げに呟いた。
「商人だ」
ニナが答えた。その声は、複雑な感情に満ちていた。
「狡い。でも———、強い。奴隷商人とは違う種類の強さを持っている」
アルトは、象牙色のカードを握りしめていた。その表面の紋様は、何かしら古い魔力を秘めているように感じられた。
「ニナ、あのカード。何か感じるか」
ニナは、カードに近づき、鼻をヒクヒクさせた。
「古い……すごく古い魔力。でも、新しく再構成されている。あれは———」
「何だ」
「システムの痕跡に似ている。でも、完全に同じじゃない。何か、違う」
その言葉が、アルトの背筋を冷やした。
商人ギルドは、単なる商人の組織ではないのかもしれない。そして、マルコムの提案も、単なる商業的な動機ではなく、別のレイヤーにおける目的を隠しているのかもしれない。
「リリア」
アルトはリリアを見つめた。
「君は、あの人の提案に興味がある?」
リリアは、しばらく黙っていた。その間、彼女の心理状態は揺らいでいるように見えた。
「……正直に言えば、興味があります」
彼女は、やがてそう答えた。
「でも、それは恐ろしくもあります。アルトさんの契約がなくて、本当に私は、自分の足で立てるのか……」
その言葉に、アルトは深く頷いた。
リリアの言葉は、この物語全体の根本的な問いを表現していた。アルトの約束の力は、確かに彼女たちを解放した。しかし、その解放は本当の自由なのか、それとも別の形の依存なのか。
その問いに答えるために、アルトは新しい決断を迫られていた。
商人ギルドへの訪問は、単なるビジネス上の接触ではないかもしれない。それは、新しい冒険の入口になるかもしれない。そして、アルトが本当の意味での「自由」が何かを理解するための、必要な試練になるのかもしれない。
「よし。明日、商人ギルドへ向かおう」
アルトが宣言した時、不透明な未来への一歩が踏み出されたのだ。




