第22話 グレッグの忠告
ギルド支部の奥の部屋。窓からは夕焼けの光が差し込み、室内を暖色に染めていた。
アルトが椅子に腰かけると、グレッグは無言で紅茶を二杯用意した。一杯をアルトの前に置き、自身も向かいの椅子に座る。
「先日は危ないことになってたな」
グレッグの声は静かだった。いつもの気さくさが消え、どこか重い空気が漂っている。
「ああ。傭兵たちが…」
「奴隷商人ギルドの傭兵ではない」
アルトは紅茶を持つ手を止めた。
「何?」
「あの傭兵隊、ウェスタリア帝国の正規兵だ」グレッグは紅茶をゆっくり口に運ぶ。「奴隷解放は各地で行われてきた。だが帝国が直接動いたのは…」
言葉を切る。グレッグの目はアルトを真っすぐ見つめている。
「お前が目立ち始めたからだ」
「俺が…?」
「237人の奴隷解放、獣人20体の奪還。そしてニナという獣人との契約」
グレッグはゆっくり身を乗り出した。
「帝国にとって、奴隷制度は経済の一部だ。解放者が一人や二人なら見逃すこともある。だが、お前はそれを『組織化』しようとしている」
「俺は…」
「いや、違うな」グレッグは手を上げた。「お前自身はそのつもりがなくても、周囲がそう見なし始めている。リリアたちも、獣人たちも、全員がお前を『救世主』だと思い込み始めてる」
リリアとニナの顔が思い浮かぶ。特にニナは何度も「支配だ」と言い張った。だがグレッグはそれとは別の話をしている。
「力を持つ者には責任が生じる。お前の場合は…」
グレッグは紅茶から目を離さず続けた。
「『約束』を成立させる力。それは相手の自由を奪うこともあれば、守ることもできる。だが問題は、お前がそれをどう使うかじゃない」
「どういうことだ?」
「世界がどう利用しようとするかってことだ」
グレッグはようやく目を上げた。その目には何か古い知識が宿っている。
「帝国は、その力を欲しがってる。政治家は、その力を利用しようとしてる。そしてお前自身も、その力に『陶酔』し始めてる」
アルトは反論しようとしたが、15話での自分を思い出した。ニナに指摘されたこと。支配欲に溺れていたあの感覚。
「俺は…解放したいだけだ」
「そう言う者が一番危ない」
グレッグの声は鋭くなった。
「自分は『正義』のためだと思い込んでる者ほど、周囲を傷つける。『約束』で縛る奴ほどな」
テーブルの上、二杯の紅茶が冷えていく。
「昔、似たような力を持つ者がいた」グレッグは遠い目をした。「200年ほど前だ。その者も『世界を救う』と言った」
「200年?」
アルトは眉をひそめた。人間がそんなに長く…。
「いや、細かいことは別だ」グレッグは手を振った。「ただな、アルト。お前はこれからもっと難しい選択を迫られる。奴隷解放だけじゃ済まなくなる。獣人の地位向上も、帝国との対立も。全部がお前の『約束』と絡み始める」
グレッグは身を引き、深く息をついた。
「その時、お前は何を守る?誰のために力を使う?」
「当たり前だ。仲間たちのために…」
「仲間たちの『選択』を尊重する覚悟はあるか?」
その質問は、アルトの胸を突き抜けた。
「237人の奴隷たちが、もしお前との契約を『望まない』と言ったら?ニナが『獣人の独立は他の誰かに託したい』と言ったら?リリアが『自分は帝国に残りたい』と言ったら?」
グレッグは立ち上がった。
「その時、お前はその『選択』を受け入れられるか」
「それは…」
言葉が続かない。正直に答えれば、アルトは自分の力で皆を救いたいと思っている。だが、それが相手の自由を奪うことになるなら…。
「考えておけ」グレッグは窓の方へ歩いていく。「お前の力は『絶対的』だ。だからこそ、使う側の心が絶対的に正しくなければならない。そして…」
グレッグは背を向けたまま、最後の言葉を落とした。
「この世界には、その絶対的な力を欲しがっている者たちがいる。帝国も、その先にいる『何か』も」
「『その先』…?」
「今は言えない」グレッグは手を上げた。「だが覚えておけ。不穏なものが、ゆっくり動き始めている。お前の力が露わになればなるほど、それは加速する」
ドアを開けようとするグレッグに、アルトが声をかけた。
「グレッグ。お前はなぜそんなことを知ってる?200年前のことまで」
グレッグは一瞬、肩を震わせた。
「俺も…昔、似たようなことを見た」
そう言い残して、グレッグはドアを開けた。廊下の暗い影の中へ姿を消す。
アルトは一人取り残された。紅茶の湯気は既に消え、ただ冷たい液体だけが二杯のカップに残っていた。
窓の外では、街灯が一つ一つ灯り始める。その光の奥に、アルトは何か大きな影を感じた。自分の「約束」がもたらす何か。自分がまだ理解していない、世界の本当の形。
リリアの声が廊下から聞こえてくる。
「アルト、いますか?」
「ああ」アルトは返事をした。
だが、グレッグの言葉が心に引っかかったまま消えない。
――力を持つ者には責任がある。そして、その責任を果たそうとする者こそが、最も世界を傷つけることもある。
その夜、アルトはリリアやニナと共に食事をしたが、何度も彼女たちの顔を見つめてしまった。
仲間たちが自分の契約を本当に望んでいるのか。それとも、力に支配されているのか。
その答えを知るまで、アルトは眠ることができなかった。
翌朝、支部の前に一通の手紙が置かれていた。
差出人は不明。ただ一行だけが書かれていた。
「真の『契約者』が動き始めた。――エミリア」




