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「契約の絆」――奴隷商人から解放された少女たちが、俺の『約束』で世界を変える  作者: 悠々


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第21話 依存と幸福

森の奥地にある集落は、思ったより整っていた。


小さな畑が幾つも広がり、石造りの家々が密集している。住人たちは一見すると普通の農民だが、グレッグからの密命を受けたのだろう。アルトたちを見ても驚かず、淡々と生活を続けている。その慣れた様子から、ここが何度も難民を匿ってきた場所だと察することは容易かった。


アルトは夕食を終えた後、集落の長老から案内されて共有の広場へ向かった。リリアとニナ、そして解放された獣人たちが既に集まっていた。篝火が赤々と燃え、その周囲に全員が円を描くように座っている。


237人全員ではない。ここには30人ほどしかいない。他の奴隷たちは、別の場所へ送られたのだろう。グレッグの指示によるものか、それとも別の理由か。アルトはまだ知らない。


「アルト」


リリアが静かに声をかけた。彼女は篝火の光に照らされて、いつもより柔らかく見えた。金色の髪が炎に反射して、まるで光そのものであるかのようだ。


「ここにいてくれてありがとう」


アルトは何も答えず、ただうなずいた。


リリアは立ち上がり、ゆっくりとアルトに近づいた。他の奴隷たちの視線が一斉にそこへ注がれる。誰もが息をのむ。


「あなたがいれば、私たちはもう傷つかない」


リリアの言葉は、まるで聖書の一節のような響きを持っていた。その声には、深い信頼と、同時に何か別のものが混ざっていた。依存。絶対的な依存。


「奴隷商人の鎖はもう外れた。帝国の兵士も、もう来ない。あなたが約束してくれたから」


他の女性たちが小さく頷く。その表情は、安心に満ちていた。いや、それだけではない。満足感。充足感。あたかも永遠に続く幸福を手にしたかのような表情。


アルトは息苦しさを感じた。


それは肺が締め付けられるような物理的な痛みではなく、むしろ心臓が何かに圧迫される感覚だった。リリアの言葉は正しい。彼の契約は、確かに奴隷商人からの解放をもたらした。帝国の追撃も、一時的には止まるだろう。


しかし――


「待て」


ニナの声が、篝火の暖かさを切り裂いた。


獣人の少女は立ち上がり、リリアの前に歩み出た。その銀色の瞳は、炎のように揺れていた。


「待ってくれ、リリア。あなたは何か大事なことを見落としている」


リリアは困惑した表情でニナを見つめた。他の女性たちもざわめきだす。


「何を言ってるんですか、ニナさん」


リリアの声に、かすかな怒りが混じっている。


「あの人が約束してくれた。帝国の兵士なんて来ないって。ギルドの長老も言ったじゃないですか。グレッグさんが守ってくれるって」


「そうだ」


ニナは、一歩前に出た。獣人特有の鋭い目つきが、篝火の影で一層強調される。


「だから、あなたたちは安心している。傷つかないと思っている。あの人の約束が絶対だから」


ニナは指を立て、アルトを指差した。その指は揺るがない。


「だけど、リリア。もし、もしだ。あの人が死んだら、どうする?」


一瞬の沈黙。篝火の炎だけが、かすかに音を立てている。


「もし、あの人の力が失われたら? 約束が破られたら?」


リリアの顔が、みるみる青ざめていく。


「そんな、ことは」


「あり得る」


ニナは容赦なく続けた。


「この世には、約束より強い力がある。あなたたちはそれをもう知ってるはずだ。帝国の兵士たち。奴隷商人ギルド。それより上にいる何か。あの人は、それに勝てるのか?」


アルトは身動きできない。ニナの言葉は、彼自身が最も恐れていることを、容赦なく言語化しているのだ。


複数の契約による疲労。戦闘での無力さ。グレッグからの曖昧な助言。そして、背後に控える、より大きな何か。


「あの人は強い。でも、万能じゃない。そしてあなたたちは――」


ニナはリリアを見つめた。その目には、同情と厳しさが同居している。


「もう自分の足で立つことを忘れてしまった。約束に頼ることで、自分たちの力を放棄してしまった」


「違う!」


リリアが叫んだ。


「私たちは変わった! 洞窟での戦い、覚えていますか? 私たちは自分たちで傭兵に立ち向かった。あなたたち獣人だけじゃなく、私たちも戦いました!」


「知ってる」


ニナの返答は冷徹だった。


「だけど、あの時、あの人は何をしていた? 後ろにいて、『約束の鎖』とかいう新しい力を使ってた。あなたたちは、本当に自分たちで戦ったのか? それとも、あの人の力に支えられて戦っていただけなのか?」


リリアは何も言い返せない。


アルトも、同じだった。ニナの指摘は正確だ。彼が「約束の鎖」でネットワークを構築した時、リリアたちの行動は確かに自分たちの意思のように見えた。しかし、それは本当なのか。それとも、彼の魔力が潜在的に彼女たちを操縦していたのではないか。


「独立しろ」


ニナは、最後の言葉を静かに吐いた。


「本当の意味で、自分たちの足で立て。約束なしで。あの人の契約なしで。それがお前たちに与えられた、真の自由だ」


その瞬間、篝火が大きく揺らいだ。風が吹いたわけではない。アルトの心が、揺れたのだ。


複数の契約からの圧力。それを支えていた「約束の鎖」のネットワーク。そのすべてが、一瞬、不安定になった。


ニナの言葉に応答して、アルトの内部で何かが共鳴している。彼の力は、本当に「解放」をもたらしているのか。それとも、新しい形の「支配」をもたらしているだけなのか。


「アルト」


今度はニナがアルトを見た。


「あなたは、気づいてる。自分の矛盾に。だから、苦しんでいる。でも、あなたが苦しんでるだけじゃ、何も変わらない」


ニナの言葉は優しかった。その厳しさの下には、深い同情がある。


「彼女たちを、本当の意味で解放したいなら。約束なしで。力なしで。あなたの側に立つ理由を、自分たちで選ばせろ」


アルトは、ようやく口を開いた。


「でも、それは……」


「危険だ。知ってる」


ニナは先制した。


「そのかわり、本当だ。本当の信頼関係だ。約束や魔力じゃなく。お互いの意思による繋がりだ」


リリアは篝火の側で、両膝を抱えて座っている。彼女の顔は見えない。しかし、その肩が微かに震えているのは、誰の目にも明らかだ。


他の女性たちも、静寂に包まれていた。先ほどの安心感は完全に消え去り、代わりに不安が満ちている。ニナの言葉が、彼女たちの心を揺さぶったのだ。


「明日から、何をするのか決めろ」


ニナはアルトに言った。


「あなたは、彼女たちに選択を与える。約束の力を使わず。ただ、可能性を示すだけ。彼女たちが何を選ぶかは、自分たちで決める」


「もし、誰かが……去ったら、どうする?」


アルトの質問は、ほぼ呟きに近かった。


「その時は、その時だ」


ニナは背を向けた。


「でも、少なくともそれは、彼女たちの選択になる。約束による強制じゃなく」


獣人の少女は篝火から離れ、暗い方へ歩いていく。その後ろ姿は、いつもより大きく見えた。


アルトは、篝火に向き直った。


リリアはまだ、両膝を抱えたままだ。しかし、今、彼女の目がゆっくりとアルトを見上げた。その瞳には、涙がある。


「あなたは、私たちを……支配していたのですか?」


その質問に、アルトは答えることができなかった。


自分でも分からないのだ。彼の行為が、救済なのか支配なのか。その界線は、どこにあるのか。


「明日、話そう」


アルトは、かろうじてそう言った。


「今夜は、休もう。明日、みんなで」


夜は長かった。アルトは一睡もできず、テントの中で天井を見つめていた。頭の中で、契約の数々が引き起こす精神的な圧迫感が、波のように押し寄せてくる。


明け方、アルトは気づいた。


複数の契約を背負うことで、彼は彼女たちの人生を背負い込んでいたのだ。その重さから、逃げることはできない。


しかし、ニナの言葉は正しい。


本当の意味での解放をもたらすには、その重さを一度、彼女たちに返す必要がある。


たとえ、その先に別れが待っていたとしても。


夜明けが近づいていた。


アルトはテントを出て、篝火の跡へ歩いていく。そこに、誰かが座っているのが見える。


リリアだ。


彼女は一晩中、篝火の側にいたのだろう。髪が乱れ、目の周囲が赤くなっている。


「おはようございます」


リリアの声は、いつもの献身的な音色ではなく、何か別のものが混ざっていた。


迷い。恐怖。そして、小さな希望。


アルトは、彼女の隣に座った。


「ごめん」


それだけを、彼は言った。


リリアは、何も答えなかった。


ただ、二人は、夜明け前の冷たい空気の中で、篝火の灰を見つめていた。


────────────────────


森の奥地では、やがて大きな選別が始まることになる。237人の奴隷から解放された少女たちが、本当の意味で「自由」と向き合う時間が。


しかし、それは同時に、アルトの契約の力そのものへの問い直しでもあった。


彼の約束は、本当に絶対なのか。


それとも、その絶対性こそが、最大の罪なのか。


次の朝日が、その答えを照らし始めようとしていた。

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