第24話 奴隷解放者の名声
朝日が宿屋の窓から差し込むとき、アルトは街の喧騒で目覚めた。
いつもと違う。昨日の沈黙した通りが、今日は活気に満ちている。
「おはようございます、アルト様」
リリアがドアをノックして入ってくる。その表情は複雑だった。不安と、何か別の感情が混在している。
「おはよう。何か……変だな」
「街全体が、あなたのことで持ちきりです」
リリアはアルトの傍に座り、窓の外を指した。確かに、往来する人々の会話の中に「奴隷解放者」という言葉が繰り返されている。
「奴隷解放者?」
「はい。昨日、ギルド登録の際に、あなたが二百人以上の奴隷を解放したことが知れ渡ったんです。奴隷商人ギルドの本拠地を破壊したことも」
アルトは眉をひそめた。確かに自分たちはそれをやった。しかし、それほど大事になるとは……。
階下の酒場から、男たちの声が聞こえてきた。
「——だってよ、奴隷商人どもを一掃したってんだ。あの若い冒険者がな。子どもや女まで救ったんだろ」
「本当か? そんなことが可能なのか?」
「ギルド公認らしいぜ。Fランク登録だけど、既に伝説級の活動を始めてるんだ」
声は興奮と尊敬に満ちていた。アルトは複雑な気持ちで耳を傾けた。
「リリア、これ……良いことなのか?」
「一般市民からは、歓迎されています。奴隷商人に蹂躙されていた者たちが多いので。でも」
リリアは言葉を切った。その瞳に不安の影が落ちている。
「でも?」
「警視庁がマークしているという話を、宿屋の店主から聞きました」
アルトの心が沈んだ。案の定か。
「帝国が動いているってことか」
「可能性があります。昨晩、武装した兵士が街を巡回しているのを見ました。あまり目立たないように、ですが」
ノックの音が響いた。
「アルト様、ニナが下に来ております。急いでと」
リリアが立ち上がり、アルトはすぐに身支度を整えた。
階下の酒場は、アルトが姿を見せた瞬間に息を呑んだ。
女性客が手を合わせる。男たちが敬礼の真似事をする。「奴隷解放者様だ」という囁きが広がっていく。
アルトは居心地の悪さを感じながら、ニナの方へ歩いた。
狼族の少女は、一角のテーブルで腕を組んでいた。その横には、見慣れない男が立っていた。紺色の官吏らしき衣装を着た、冷徹そうな顔つきの男だ。
「アルト」ニナが声を張った「こいつ、帝国側の警視庁だって。お前に『会いたいことがある』って」
男は軽く頭を下げた。その動きには、何ら敵意がない。むしろ、慇懇な態度だった。
「初めまして。我はウェスタリア帝国警視庁東地区担当官のディアス・リード。『奴隷解放者』殿とお会いできて光栄です」
その言葉は丁寧だったが、アルトの背中に冷たいものが走った。帝国の公式な動きだ。
「何の用ですか」
アルトは椅子に座った。リリアがすぐに傍に立つ。
「単なる公式訪問です。我々帝国は、貴殿の活動に大変興味を持っております。二百人以上の奴隷解放。奴隷商人ギルドの本拠地破壊。短期間にして、実に『活躍』されておられる」
その言葉の中に、褒め言葉と警告が混在していた。
「奴隷制度を廃止すべきだと思うので」
アルトは率直に答えた。
ディアスの表情が、微かに変わった。
「それは……危険な思想ですな」
「危険ですか」
「帝国経済の根幹は、奴隷労働によって支えられております。急激な奴隷制度廃止は、経済崩壊を招きかねない。治安も悪化するでしょう」
「だから、今のままでいいってことですか」
「我々としては、『段階的な改革』を望んでいます。貴殿のような急進的なアクションは、帝国の統制を乱す可能性がある」
ニナが席から立ち上がった。
「つまり、お前たちは奴隷制度を続けたいってことだ。『段階的に』なんて、百年経っても変わりやしねえ」
「獣人殿も、ご無理ごもっともです」ディアスは落ち着いていた「ただし、帝国が本気で動けば、貴殿たちを止めることは容易い。今日は『警告』に参りました」
その言葉は、優雅でありながら、しかし脅迫に他ならなかった。
「警告」
「貴殿たちは、現在『多くの市民から支持』を受けております。しかし、帝国の怒りを買えば、その支持も何の役にも立たないでしょう。我々の兵力は、この街をいかなる反抗勢力からも守ることができます。逆に、我々が『敵』と見なした者たちを、隔離することもできます」
アルトの心臓が高鳴った。これは、実質的な脅迫だ。
「もしかして……」
「ええ。貴殿たちが今後の行動を『適切に』制限されれば、帝国は何ら問題としません。ただし、さらなる奴隷解放活動を続けられれば」
ディアスは立ち上がった。
「我々は、貴殿たちを『危険分子』として認定し、逮捕するほかないでしょう」
「待ってください」
リリアが声を上げた。その声は震えていた。
「あなたは何を望んでいるんですか。アルトを……」
「何も、特別なことは望んでいません。ただ、『帝国の秩序を乱さないように』と願うのみです。それが、誰にとっても幸せなことだと思いますから」
ディアスは微笑んだ。その笑顔は、鉄の意志に満ちていた。
「本日は、これで失礼させていただきます。ご検討をお祈りします」
男は宿屋を後にした。その去っていく背中を、アルトはじっと見つめた。
街の外から、遠く警視庁の本拠地の方向へ。その先には、帝国の巨大な権力がある。
「アルト」
ニナが肩に手を置いた。
「あのやろう、舐めてやがる。お前は『奴隷解放者』として街の英雄だ。帝国ごときに屈する必要はねえ」
「でもな、ニナ。あいつの言うことも、一理ある」
「は?」
「急激な奴隷制度廃止は、確かに経済混乱を招く。そしたら、市民は苦しむ」
アルトは頭を抱えた。
「そもそも、俺たちが奴隷商人を破壊したからって、世界が変わるわけじゃない。むしろ、帝国の怒りを買っただけ。その怒りが、無辜の市民に向かったら」
「だから、諦めるってのか」
「諦めるんじゃなくて……」
アルトは考えた。街の外で、市民たちは「奴隷解放者」として彼を讃えている。しかし、その支持は、何か脆いものに感じられた。帝国の力に直面した時、その支持がどこまで保つのか。
「リリア」
「はい」
「商人ギルドの招待状、まだあるか」
「はい。マルコムさんから受け取ったものが」
「行こう。商人ギルド本部へ。帝国だけじゃなく、経済的な力も味方につけないと」
アルトは立ち上がった。
ニナが眉をひそめた。
「また契約か。また誰かを『約束』で縛るってのか」
「違う」
アルトは静かに答えた。
「今度は、俺たちが『必要なパートナー』を見つけるんだ。契約じゃなくて、相互協力できる関係を」
その言葉は、アルト自身への約束でもあった。
街の喧騒の中、三人は宿屋を後にした。
街全体で「奴隷解放者」として讃えられながらも、同時に帝国の権力の影に追われ始めたアルト。その前には、複雑な選択が待ち受けていた。
力だけでは、世界は変わらない。それをアルトは、ようやく理解しつつあった。




