第19話 共闘の勝利
洞窟の暗がりの中、金属音が響き渡った。
傭兵隊長の剣がアルトの肩を掠める。間一髪で身体を捻ったが、その衝撃だけで膝が折れかけた。複数契約の疲弊は想像以上だ。身体が鉛のように重い。
「チッ、やはり大したことはないな」
隊長は嗤った。
アルトは地面に片膝をついたまま、後ろを見た。リリアとニナが、そして二十体の獣人たちが必死に傭兵たちを食い止めようとしていた。槍を構えた傭兵に対して、リリアは奪った短剣で立ち向かっている。鮮血が落ちた。傭兵のものか、リリアのものか、判別できない。
ニナの狼爪は銀色に光っていた。獣人らしい本能が目覚めたのだろう。彼女は傭兵の一人を追い詰め、その腕を深く傷つけた。
「逃げろ、アルト!」
ニナが叫んだ。
だが、アルトは動けなかった。自分の力で彼女たちを守ることができない。その現実が、心を圧し潰していた。契約で繋がった彼女たちが、自分の代わりに戦っている。自分の力の代わりに、彼女たち自身の力で戦わされている。
「お前たちの力では、この数は無理だ」
隊長は再び剣を構えた。アルトへの攻撃を再開するつもりらしい。
その時だった。
「させません!」
リリアが傭兵を蹴り飛ばし、アルトの前に立ちはだかった。短剣を両手で握り、隊長の剣を受け止める。小柄な彼女の身体が後ろに下がるが、踏ん張った。
「リリア、下がれ!」
「嫌です!」
彼女の声は震えていない。むしろ、炎のような意志が燃えていた。
「あなたの力がどうであろうと、私たちは――」
その時、ニナが傭兵の一体を投げ飛ばし、隊長の後ろへ回った。狼爪が再び光る。
「かかってこい、人間!」
獣人らしい咆哮が洞窟に響いた。
隊長は一瞬、困惑した。同時に、周囲の傭兵たちが次々と倒れていく。リリアの献身的な攻撃。ニナの野性的な連携。そして二十体の獣人たちが、石や木の棒で、絶望的な状況を逆転させていた。
「畜生!」
隊長は舌打ちした。彼は後ろへ下がり、傭兵たちへ命じた。
「撤退だ!」
逃げるように洞窟から走り去る傭兵たち。追おうとするニナを、ニナ自身が止めた。疲れている。それはアルトも、全員も同じだ。
静寂が訪れた。
アルトは、ゆっくりと立ち上がった。肩の痛みは鈍い。だが心の痛みはもっと深かった。
「リリア」
彼女は隅で息をしていた。腕に傷を受けている。服も破れている。
「大丈夫ですか?」
逆に聞かれた。彼女の瞳には、心配がある。だが、同時に何か別の感情も――誇りのようなものが――燃えていた。
「僕が――」
アルトは言葉を失った。
「あなたが何もしなくても、私たちは戦える」
ニナが側に来た。彼女の声は静かだが、確かだった。
「奴隷だった時間は長かった。だが、奴隷でなくなった時間だって、これから長くなる」
アルトは、ニナの銀色の瞳を見つめた。
「あなたの約束の力は確かに強い。だが、それだけじゃない。私たちは、あなたの力がなくても、自分たちで立てる」
リリアが近づいてきた。傷から血がにじんでいる。
「私たちが戦っているのは、あなたの力のためではなく」
彼女は一息ついた。
「自分たちの自由のためです」
その言葉の重さがアルトを押し潰した。
彼は初め、奴隷たちを「解放する」ことが正義だと思っていた。自分の力で彼女たちを救い、彼女たちはそれに感謝すべき存在だと。無意識のうちに、新しい形の依存を作ってはいなかったか。
「僕は――」
「謝らないでください」
ニナが言った。
「代わりに、約束してください」
「何を?」
「私たちが選ぶことを、邪魔しないって」
アルトはそれを受け入れることしかできなかった。頷いた。深く、静かに。
獣人の一体が近づいてきた。銀色の毛並みをした大柄な獣人だ。
「ニナ様、帝国軍本隊が近づいています」
ニナが顔を上げた。
「どのくらい?」
「五分、いや三分かもしれません」
その報告に、全員が息を飲んだ。
「逃げるぞ」
ニナが命じた。その時、アルトは気づいた。
ニナが――指示を出している。彼女は、もはやアルトの従属物ではなく、独立した指導者として、彼女たち獣人の群れを統率していた。
その光景は、美しかった。
苦しかったが、同時に――心のどこかで、アルトは嬉しかった。
一行は洞窟の奥へと急いだ。後ろから、帝国軍の足音が聞こえる。だが、今のアルトたちは、それに怯えてはいなかった。
自分たち自身の足で、走ることができるのだから。
洞窟を抜けた時、夜明けが近づいていた。東の空が薄紫色に染まっている。
ニナはアルトを見た。
「次は、どこへ行く?」
アルトはしばらく考えた。
「冒険者ギルド長に相談する必要がある。グレッグなら、この状況をどう動くべきか、教えてくれるかもしれない」
「ギルド長?」
「ああ。彼は――」
その時、遠い地平線から、光が見えた。朝日ではない。火の光だ。
左手に見える町が、燃えていた。
複数の建造物から、黒い煙が立ち上っている。
「あれは――」
リリアが呟いた。
「冒険者ギルドの町だ」
アルトの口から、その言葉が出た時、彼の心臓は激しく跳ねた。
グレッグは?
他の住民たちは?
そして何より――なぜ、ギルドの町が燃えているのか?
「アルト」
ニナの声が聞こえた。
「あれは、帝国の仕業ですか?」
アルトは頷くことも、否定することもできず、ただ炎を見つめていた。
次の瞬間、遠い炎の中から、一筋の白い光が立ち上った。
それは――目玉のような形をしていた。
そしてそれは、アルトの方を向いていた。
アルトの身体が凍りついた。
その光は、自分に向けられた――意志の光だった。
「逃げるぞ!」
ニナが叫んだ。
しかしアルトは、その光から目が離せなかった。
(次話、帝国の本気が、ついに動く――)




