第18話 奴隷たちの奮起
洞窟の奥へ逃げ込んだ俺たちは、狭い通路で立ち止まった。背後から傭兵たちの足音が聞こえる。松明の光が壁に揺らめいている。
「ここだ。逃げ場はない」
傭兵隊長の声が響いた。
俺は息を切らしながら、周囲を見渡した。前方は行き止まり。左右の壁は崖のように高い。唯一の出口は、俺たちが来た道――つまり敵がいる方向だ。
「アルト」
リリアが俺の腕を握った。その手は冷たく、震えていた。
「大丈夫だ。俺たちは何度でも――」
「違う」
ニナが俺の言葉を遮った。銀色の狼耳がぴんと立つ。その目は、傭兵たちに向けられていた。
「アルト、下がってろ」
「ニナ?」
ニナは前へ出た。その背中に、獣人たちが続く。解放奴隷たちも。俺たちが守るべき人たちが。
「君たちは戦闘訓練を受けていない」
俺は言った。だが、ニナは振り返らなかった。
「受けてなくたって、生き延びるぐらいはできる」
ニナの声は冷たかった。静かな怒りが、その瞳に宿っていた。
「俺たちは何度も何度も、支配者に従うしかない身だった。だから、今度こそ」
ニナが爪を立てた。狼族の本能が目覚めているのだ。獣人たちも、続いた。彼ら――彼女らは、人間ではない。奴隷商人たちから虐げられた亜人類は、それでも動物としての力を持っていた。
傭兵たちが洞窟の奥へ歩を進める。松明が照らす空間が狭くなる。
「我慢しろ。奴隷商人の手先らしく」
隊長が嗤った。その瞬間だった。
ニナが飛び上がった。
獣人の身体は、予想外に素早かった。五体すべてを使い、つま先と指で壁を蹴り、傭兵の頭を狙った。隊長は剣を抜く。火花が散った。
「な――」
隊長が言い終わる前に、獣人たちが動いた。彼ら彼女らは、一人ではない。複数の獣人が、一斉に傭兵たちへ飛びかかった。
解放奴隷たちも、動いた。
彼女たちは武器を持っていなかった。だが、石を拾った。懐から鍵を取り出した。自分たちが奴隷だったころ、支配者たちが使った工具を。
「うわっ!」
一人の傭兵が、リリアに石を投げられた。当たらなかったが、彼女たちの怒りが伝わった。
「逃げられたと思ったか?」
リリアが叫んだ。その声は、献身的だった。だが、同時に激怒していた。俺の契約で解放されたすべての少女たちの、怒りを代弁する声だ。
「俺たちは、もう誰かの奴隷じゃない!」
傭兵たちは、予想していなかったのだろう。奴隷たちが、戦うということを。獣人たちが、これほどまでに執拗に、執念深く、反撃することを。
ニナは傭兵の剣を避けた。その身軽さは、狼族の本能そのものだ。幼いころから虐待を受けていても、獣人としての身体能力は失われていなかった。
獣人たちと奴隷たちの協力は、洞窟という狭い空間では傭兵たちの人数的優位を失わせた。
「援軍を呼べ!」
隊長が叫んだ。
だが、その時だった。
「それはさせない」
リリアが傭兵一人の足を掴んだ。複数で同時に拘束されたその瞬間、彼女たちの目に、光が宿った。
俺の契約が、彼女たちに力を与えていたのではない。
彼女たちが、自分たちの力を思い出したのだ。
「アルト」
ニナが振り返った。その目は、もう頼りなくはなかった。
「約束をしろ。俺たちを信じるって約束を」
「ニナ?」
「俺たちが勝つって約束。そして、勝ったら――」
ニナの目が、真っ直ぐ俺を見つめた。
「勝ったら、俺たちを自由にしろ。完全にな。契約なしで」
その言葉は、挑戦だった。同時に、信頼だった。
彼女たちが自分たちの力で戦い、勝つなら――契約なしでも、俺たちは繋がっている。そういう意味だったのだろう。
俺は、ニナに手を差し出した。
「約束する。君たちが勝つ。そして、君たちは自由になる。契約なしでもな」
ニナが、笑った。
狼の牙を見せる、野性的な笑みだ。
「よし!」
ニナが叫んだ。
獣人たちが、一斉に傭兵たちへ飛びかかった。ニナの号令に応じて。リリアたちが、歓声を上げて続いた。
俺は、その光景を見つめていた。
複数契約による疲弊で、直接戦闘で傭兵隊長に劣勢だった俺。だが、ここにいる彼女たちは違う。解放奴隷たち。獣人たち。彼らは、俺一人よりも、はるかに強かった。
「来い、傭兵ども!」
ニナが吠えた。その声は、洞窟全体に響いた。
傭兵たちが怯んだ。彼らは想定していなかったのだ。奴隷たちが、このほどの力を持っていることを。獣人たちが、これほどの執念を見せることを。
戦いは、一分で決着した。
傭兵たちが、逃げ出したのだ。
「待て!」
傭兵隊長が叫ぶ。だが、彼の部下たちは、洞窟の外へ逃げていた。
「貴様ら、これで終わりだと思うな。帝国は――」
隊長の言葉も、ニナの一撃で中断された。狼爪が、彼の剣を弾き飛ばした。
「帝国?」
ニナが、嗤った。
「俺たちを支配してた奴らか? ならば、宣言しておく。獣人たちは、もう誰の奴隷でもない。帝国の奴隷でもな」
その言葉に、獣人たちが吠えた。
解放奴隷たちが、歓声を上げた。
俺は、その光景を見ていた。
自分が解放したと思っていた彼女たちが、実は自分たちで立ち上がっていたことに。俺の契約が必要なかったことに。
「アルト」
リリアが、俺の傍に来た。その目は、もう献身的ではなく、確かな意志を持っていた。
「ありがとう。でも、これからは俺たちが、自分たちで選ぶ」
「ああ」
俺は頷いた。
傭兵隊長が、洞窟から逃げ出した。彼は一人では、ニナたちに敵わなかった。
ニナが、俺のところへ戻ってきた。
「アルト。約束、守ってくれるな?」
「ああ。約束する」
「じゃあ、これからは」
ニナが、笑った。
「俺たちは、契約なしで一緒にいる。だけど、絶対に裏切んなよ」
その言葉は、脅迫ではなく、信頼だった。
洞窟の奥から、帝国軍の足音が聞こえてきた。今度は、傭兵ではなく、本格的な軍隊のようだ。
「逃げるぞ」
ニナが号令を出した。
解放奴隷たちと、獣人たちが、別の道へ逃げ出した。彼女たちは、もう俺に頼らなかった。自分たちで道を選んでいた。
俺は、その背中を見つめていた。
自分が支配していたと思っていた力が、実は何の力でもなかったことに、ようやく気づいた。
彼女たちは、初めから自分たちの力で立つことができていた。
俺の契約は、その邪魔をしていただけなのかもしれない。
次の瞬間、帝国軍が洞窟の奥から現れた。
「行くぞ!」
ニナが叫んだ。
俺たちは、帝国軍から逃げながら、別の道を駆けていった。
だが、その足音の中で、俺は気づいていた。
もう、俺一人で彼女たちを守ることはできないということを。
そして、それが――本当の自由だということを。




