第12話 獣人奴隷の悲劇
ゴブリン退治のクエストは、思ったより単調だった。
森の中で三体のゴブリンを倒すだけの簡単な仕事。リリアと一緒に行動したが、彼女の剣戟は想像以上に鋭く、俺はほぼ何もしなくても済んでしまった。むしろ、俺が何もしないことで彼女が活躍できる場を作ってやるほうが、この子のためになるような気がした。
「アルト、見て。これで十分でしょう?」
リリアが倒した最後のゴブリンの死体を指して、誇らしげに笑う。その笑顔は、奴隷商人の館で見た暗い顔からは完全に別人だった。解放されて、ようやく自分の力を信じられるようになったのだろう。
「ああ。お前の成長は本物だ」
心からそう言った。
帰路、町外れの倉庫街を抜ける時だった。
微かな鳴き声が聞こえた。いや――悲鳴だ。
リリアの顔色が変わった。俺も直感的に理解した。この音は、人間のものではない。
「行きましょう」
リリアは既に走っていた。俺も後を追う。
倉庫の一つの扉が半ば壊れた状態で開いていた。中から出てくる臭いは――血と、動物と、人間の排泄物の混ざった悪臭。
目に映ったものを理解するのに、数秒かかった。
鎖で繋がれた獣人たちだ。
少なくとも二十体以上。人間の姿をしているが、耳が動物のそれで、背中には尻尾が生えている。着ているのは破れた衣服だけで、肌には鞭で打たれたような傷跡が無数にある。
その中でも、特に目立つのは一人の少女だった。
銀色の狼の耳と尻尾を持つ少女。年は十代半ば。顔立ちは整っているはずだが、瘦せ細った顔に、右眼の周囲は痣で腫れ上がっていた。
「水をくれ」
獣人たちが俺たちに気づき、か細い声で懇願する。しかし、それは要求ではなく――絶望的な希望だった。
「この子たち、どうして……」
リリアの声が震えている。
「獣人奴隷だ」
背後から声がした。
振り返ると、鞭を手にした男が立っていた。三十代後半、筋肉質の体格。奴隷商人の手下だろう。
「へぇ、冒険者か。それに奴隷も一緒か。面白いな。今日のお前らも商品として売ってやろうか」
男は高笑いした。
俺の中で、何かが切れた感覚がした。
いや、切れたのではない。自分がこれまで見てきたものが、ほんの一部だったことに気づいた。リリアたちを解放した。237人の奴隷を解放した。だが、世界には、まだこんな場所がある。
「アルト……」
リリアが俺の腕を掴んだ。
「何をするつもりですか?」
その問いに、俺は答えることができなかった。
正しいことは何か。力を使うべきか。それとも、ここから逃げるべきか。
その迷いの間に、男は鞭を振り上げた。
「こいつら、使えない個体ばっかりだからな。死ぬまで絞り採るつもりだったが、お前らがいい的だ」
男が走ってきた。
リリアが剣を抜く。だが、その瞬間――
銀色の狼の少女が立ち上がった。
「逃げろ」
彼女は、鎖を引き断り、男へ飛び掛かった。他の獣人たちも、動く。できる限りの抵抗をする。
その瞬間、俺は理解した。
彼女たちは、既に何度も何度も、逃げようとしたのだ。何度も何度も、抵抗したのだ。そして、その度に、打ちのめされてきたのだ。
「約束しろ」
俺は言葉を発していた。自分でも気づかないうちに。
銀色の狼の少女が、俺を見た。
「俺が、お前たちを守る。絶対に傷つけさせない。絶対に、この場から助ける」
金色の光が、俺の体から放たれ始めた。
「だから、生きろ。決して諦めるな。俺と約束してくれ」
少女の目に、涙が溜まった。
「約束だ」
彼女は、その一言で、俺と繋がった。同時に、倉庫内の全ての獣人たちが、同じ光に包まれた。
鎖が、金色に輝き、音を立てて砕け散った。
男は悲鳴を上げた。彼の動きは、俺の契約の力によって封じられた。完全に身動きが取れない。
「なん、だこれは……」
呻く男を見ながら、俺は感じた。
これは、正しいのか。間違っているのか。
俺は今、二十体以上の獣人たちの自由意志を、自分の「約束」で縛っている。奴隷商人に支配されていた彼女たちを、今度は俺が支配している。
形は変わったが、本質は同じではないのか。
銀色の狼の少女が、俺を見上げた。
「ありがとう」
その笑顔は、リリアと同じだった。同じように、光に満ちていた。
だが、その光が何を意味するのか。俺はまだ、理解できていなかった。
気づけば、倉庫の外は夜だった。
獣人たちは、グレッグの手配で、冒険者ギルドの保護下に置かれていた。もちろん、彼らは自由を選べない。ギルドの規則に従う限り、生活は保障される。だが、それは本当の自由なのか。
銀色の狼の少女は、俺の前に座っていた。治療が済み、新しい衣服を与えられた彼女は、圧倒的に見違えていた。
「名前は?」
「ニナ」
短い答え。だが、その一言には重みがあった。
「ニナ。俺はアルトだ」
彼女は頷いた。
「アルト。お前は何者だ」
「それは……」
俺は、自分の答えを、まだ見つけることができていなかった。
窓の外では、獣人差別が、当たり前のように存在している。俺の力で何百人を解放しても、社会構造は変わらない。
ニナの瞳が、じっと俺を見つめていた。
「お前の約束は、本物か」
その問いに、俺は答えることができなかった。
次の朝、グレッグは俺を呼び出した。
「アルト。お前は、何か大切なことに気づき始めているようだな」
「何ですか」
「人を救うことと、人を支配することの違い、だ」
グレッグの言葉は、俺の心に突き刺さった。
「これからお前は、その問いと向き合い続けることになる。それが、契約者の宿命だ」
その夜、ニナは俺の元に来た。
「もう一度、約束してくれ」
「?」
「今度は違う約束だ。お前が俺を支配しない約束。俺が自分で決める自由をくれる約束」
彼女の声は、揺らいでいなかった。
俺は、それが可能なのか、わからなかった。
だが、彼女の期待に応えたい気持ちが、俺を動かしていた。
「約束する。ニナ、お前の自由を奪わない。お前自身で歩む道を、俺は支える」
金色の光が、再び放たれた。
だが今度は、違う感覚があった。
支配ではなく、信頼の絆が、俺とニナの間に結ばれたのだ。
その感覚が、正しいのかどうかは、まだわからない。
だが、少なくとも――ニナの瞳に希望の光が戻ったことは、確かだった。




