第11話 ギルドへの登録
冒険者ギルドの事務室は、思ったより整然としていた。
高い天井、壁一面に広がる掲示板、そして机の奥にはギルド長・グレッグが座っている。その傍らに立つのは、眼鏡をかけた中年の女性事務官だ。彼女の手には分厚いファイルが握られている。
「では、あなたが新しい契約者ですね」
事務官は眼鏡の位置を直しながら、アルトをじっと見つめた。その視線には、何か確認するような厳しさが含まれている。
「は、はい。アルトと申します」
アルトは答えた。右手を胸に当てるジェスチャーで、敬意を示す。この異世界の作法をリリアから教わっていたのだ。
「アルト。珍しい名前ですね。では、正式な登録に進みましょう」
事務官は羽ペンを手に取った。その動きは素早く、慣れたものだ。おそらく何百人、何千人の冒険者をこうして登録してきたのだろう。
「冒険者ギルドへの登録は、本来であれば推薦状が必要です。しかし、ギルド長の直接推薦であれば、その限りではありません」
グレッグが口を開いた。その声には、何か重い責任を感じさせるものがあった。
「アルト、君に説明しておく必要がある。我々冒険者ギルドは、ランク制度を導入している。F級からS級までの七階級だ」
グレッグは椅子から立ち上がり、壁の掲示板を指した。そこには、様々なクエストが張り出されていた。
「F級は初心者向け。魔物退治、農作業の手伝い、といった簡単な仕事だ。E級、D級と上がるにつれて、危険度が増す。そしてA級、S級に達すると……」
グレッグは一呼吸置いた。
「国家規模の事件に対応する領域に入る。契約者としての君は、どのランクから始めるべきか。それが問題だ」
アルトは眉をひそめた。
「どの……ランク、ですか?」
「それを確認するために、簡単なテストを行う」
事務官が紙を取り出した。その上には、幾何学的な図形が書かれている。
「これは、あなたの『魔力』を測定するテストです。この図形を見つめ、自分の内側から魔力を流し込んでください。反応の大きさで、あなたの階級が決まります」
アルトは図形を見つめた。
何か、変な感覚がある。自分の体の奥底に、あの金色の光のような、温かい感覚が存在しているのを感じた。それは、リリアたちとの約束の時に、あふれ出ていた感覚と同じだ。
アルトは、その感覚に意識を向けた。
すると、図形がぼんやりと光った。
最初は薄い光だった。F級の測定でも、このくらいの反応が出るのだろう。しかし、アルトが意識をさらに深く潜めると、光は次第に強くなっていった。
事務官の顔色が変わった。
「あ……これは」
図形は、もう淡い光ではなくなっていた。眩しいほどの、黄金色の輝きが発せられている。
グレッグの目が細まった。
「S級か。いや、それを超えている」
「そんな……」
事務官は、その紙を別の器具に通した。銀色の小さな装置だ。その中に紙を入れると、たちまち、装置から光が放たれた。
赤い光だ。
「S……S+ですか?」
事務官の声は震えていた。
「S+?」
アルトが尋ねた。
「非常に稀だ」
グレッグが説明した。その表情は、何か重大なことが起こったことを感じさせていた。
「通常、S級の冒険者は、国家防衛級の任務に当たる者たちだ。しかし、S+となれば……その上だ。魔族との戦い、あるいは国家間の秘密工作。そうした領域に踏み込む者たちの階級だ」
「つまり、アルトは……」
事務官は言葉を失った。
「S+での登録だ」
グレッグが決定した。その声には、何か覚悟が含まれていた。
「しかし、これを知られると、帝国の勢力が動く。君への追跡、あるいは勧誘だ。下手をすれば、拉致される可能性さえある」
アルトは、その言葉の重さを感じた。
「では、どうすればいいのでしょう?」
「公式には、お前をD級として登録する」
グレッグは淡々と言った。
「え?」
「偽りの登録だ。お前の真の実力を隠すため、表面上はD級冒険者として扱う。そのように帝国にも報告する」
事務官が、うなずいた。
「確認ですが、ギルド長。これは……」
「非常に危険だが、必要な措置だ。時が来れば、真実が明かされるだろう。だが今は、この冒険者ギルドという庇護のもと、お前の実力を磨く時期なのだ」
グレッグはアルトの肩に手を置いた。
「君は、単なる力を持つ者ではない。約束を絶対に履行する力を持つ者だ。それは、使い方を誤れば、他者の自由をすべて奪う力となる。理解しているか?」
アルトは、あの237人の奴隷たちを思った。彼らは、確かに奴隷の身分から解放された。だが同時に、アルトとの契約によって、別の形で拘束されているのではないのか?
その疑問が、アルトの心に深く根を下ろしていた。
「はい。その……重さを感じ始めています」
アルトは正直に答えた。
グレッグは、満足したように頷いた。
「良い答えだ。では、D級冒険者・アルトとして、正式にギルドに登録する。この冊子が、お前の証だ」
事務官が、革製の小さな冊子を差し出した。その表紙には、ギルドの紋章が刻まれていた。
「D級冒険者の君に与えられるのは、安全性の高いクエストだ。魔物退治なら、スライムやゴブリンといった下位魔物。採取クエストなら、薬草採集といったものになる」
「最初は、そうした低位のクエストをこなし、世界を学ぶといい」
グレッグが付け加えた。
「一ヶ月もあれば、D級での実績を積むことができるだろう。その後、君がどう動くかは、君自身が決めるがいい」
アルトは冊子を手に取った。
手にしたその瞬間、何か不思議な感覚があった。重い……責任感を感じさせるものではなく、純粋に……重い感覚だ。
「では、お疲れ様でした」
事務官が、一礼した。
その瞬間、アルトは気づいた。
事務官の目に、何か恐怖のようなものが映っていたのだ。
それは、アルトに向けられたものではなく、グレッグに向けられたものだった。
何を恐れているのか?
もしかして……この冒険者ギルド自体が、何か大きな力に支配されているのか?
そして、グレッグという男は、本当は何者なのか?
「さあ、アルト。これからの三ヶ月間、君に鍛えるべきものがある」
グレッグが事務室から出ていく時、彼は言った。
「それは、剣技でも、魔力の制御でもない。それは……」
グレッグは振り返った。
「人を支配する力を持つ者が、いかにして『自由意志を尊重する』かという、困難な問いに向き合うことだ」
その言葉は、アルトの胸に深く刺さった。
翌日の朝、アルトはギルドの訓練場に立っていた。
リリアも一緒だ。彼女は、アルトの傍に立つことを強く望んだのだ。他の少女たちは、ギルドが用意した宿舎で休息を取っていた。
「では、まず基本的なクエストから始めよう」
グレッグは、掲示板の前に立った。
「D級のクエストの中から、君に最適なものを選ぶ」
彼が指したのは、一枚の紙だった。
『森の魔物退治――報酬:ギルド金貨三十枚』
「この仕事は、村の近くの森に生息するゴブリンを五体退治するというものだ。危険度は低い。丁度いい修行になるだろう」
グレッグは、アルトの目を見た。
「だが、覚えておくがいい。クエストとは、単に報酬を得るためのものではない。それは、世界と関わる最初の一歩だ。その一歩が、どんな結果をもたらすのか。君は、それを常に意識していなければならない」
アルトは、頷いた。
その時、リリアが声を上げた。
「アルト。一緒に行きましょう。私も力になります」
彼女の目は、真っすぐにアルトを見つめていた。
その瞬間、アルトはリリアとの契約を改めて感じた。
『絶対に守る、絶対に幸せにさせる』
その約束が、彼女を動かしているのだ。
だが、それは本当に彼女の自由な選択なのか?
それとも、アルトの力が、彼女の判断を歪めているのか?
その問いは、アルトの心の奥底に、ずっと留まり続けるのだった。
「了解だ。では、明日の夜明けに出発しよう」
アルトはそう言った。
だが、その声には、確信がない。
ただ、前に進まなければならない。世界と関わり、その先に何が待っているのか。それを見届けるまで。
窓の向こうでは、異世界の太陽が、静かに沈もうとしていた。




