第10話 グレッグとの出会い
森の奥深くで三日間身を隠した後、俺たちは小さな町にたどり着いた。
「ここなら帝国の追手も来ないはずだ」
リリアがそう言ったのは、町の入り口で見かけた看板が理由だった。看板には『冒険者ギルド直轄領』と大きく書かれていた。
「冒険者ギルド?」
俺は首をかしげた。これまでの逃亡生活で、そんな組織の話は聞いたことがない。
「帝国や王族とは別の、独立した勢力らしい」リリアが説明する。「この町では、冒険者ギルドの権限が帝国の法より優先されるんだって」
その話を聞いた時点で、俺たちは既に町に入っていた。石畳の通りは思ったより活気があって、奴隷商人の館とは全く違う雰囲気だった。人々が自由に行き来している。奴隷の姿もない。
「まずは情報を集めよう」
俺は周囲を見回した。ジェシカとメイは俺の後ろに隠れるように歩いている。セーラは肩を張って、まるで旅人のように振る舞っていた。ローザはもういない。その現実が、時々、突然に胸を締め付けた。
冒険者ギルドの建物は、町の中央にそびえ立つ大きな石造りの館だった。内部は想像以上に混雑していた。
酒臭い空気が鼻を衝く。カウンター周辺には、一癖も二癖もありそうな連中がひしめき合っていた。盗賊然とした者、傷だらけの戦士、不気味な魔術師――様々な種類の人間が、ここでは等しく『冒険者』として扱われているようだった。
「うわ、子どもばっかり」
すぐ隣に立った男が、俺たちを見て呟いた。剣呑な視線が向けられる。リリアが俺の腕をつかむ。
だが、その視線はすぐに逸らされた。
「オッズ。ここで揉め事を起こすな」
低く、しかし確かに響く声がした。
カウンターの奥から、一人の大柄な男が現れた。年は四十代か五十代か。顔には刀傷らしき痕が走っており、左目は眼帯で覆われている。しかし、その表情は柔和で、どこか親しみやすさを感じさせた。
「グレッグだ。この町のギルド長をしている」
男は自分から名乗った。周囲の冒険者たちが、一瞬ざわめいた。
「お前ら、ここに何の用だ?」
グレッグの視線は、俺ではなくリリアに向けられた。そして、その後ろの三人の少女たちへ。最後に、俺に戻ってきた。
その時だ。
「あ、あの」
俺は思わず言葉を失った。グレッグの視線の中に、何かが見えた気がした。それは、恐怖でも敵意でもない。むしろ、何かを知っているような、確認するような眼差し。
「君が『約束の者』か」
グレッグが静かに言った。
その一言で、ホールの空気が変わった。周囲の冒険者たちの視線が、一斉に俺たちに集中した。
「何、言ってるんですか」
リリアが前に出た。その勇敢さに、俺は胸を打たれた。
グレッグは笑った。笑顔は見た目以上に温かかった。
「隠さなくていい。君たちが奴隷商人ギルドの本拠地を襲撃したことは、もう帝国全域で知れ渡っている。そして」――彼は再び俺を見た――「奴隷号番号08が、消えたことも」
「奴隷号番号08?」
この言葉が何を意味するのか、俺は理解していなかった。だが、リリアの顔色が変わったことに気づいた。
「ああ、気づいてないんだな。まあ、そんなもんか」グレッグは手を上げた。「ホール、全員退場。『冒険者の手帳』に載ってない奴は出ろ」
威厳のある声だった。冒険者たちは、ぶつぶつ文句を言いながらも、静々と館を出ていった。瞬く間に、ホールは静寂に包まれた。
「よし。これで話しやすい」グレッグは椅子を引き、座った。「座れ。君たちも」
俺たちは恐る恐る座った。メイとジェシカは、俺の両脇にぴったりと寄り添った。セーラは眉をひそめて、グレッグを観察していた。
「君の名前は?」
「アルト。アルト・ソルヴェンです」
「いい名前だ。自分で付けたのか?」
「はい」
グレッグはうなずいた。その動作の中に、何か重い確認のようなものが含まれていた。
「『約束の力』を持つ者は、この百年に一度現れるか現れないかだ。前に現れたのは、今から二百年以上前だ」グレッグは指を組み、肘をテーブルに付いた。「その時の契約者は、帝国の建国を助けた。そして消えた。今、新しい契約者が現れた。それが君だ」
「契約者?」
俺は反復した。
「そうだ。『システム』を使える者たちだ」グレッグが言う。「帝国の皇帝も、東大陸の王族たちも、北の獣人たちも。誰もが君の存在に注目し始めている」
俺の背筋が冷たくなった。
「でも、大丈夫だ」グレッグは続けた。「冒険者ギルドは、帝国にも王族にも属していない。ここは中立地帯だ。君たちはここに留まることができる。少なくとも、俺が長である限りはな」
「なぜ、そんなことを?」
リリアが聞いた。
グレッグは左目の眼帯に手を当てた。
「俺も、かつては『約束の者』に助けられたんだ。二百年前の契約者にな。この目も、その時に失った。だから、新しい契約者を見守るのは、約束のようなものさ」
彼の言葉には、重みがあった。本物の経験者の声だった。
「あの」俺は思い切って聞いた。「『約束の力』って、何ですか?俺は、ただ『約束』という言葉で、相手の行動を強制してるだけなんです。それが、こんなに大事なものだなんて」
グレッグの眼帯の下から、光が漏れているような気がした。
「それがね、アルト。『約束の力』ってのは、単なる魔法じゃない。それは『世界の仕組みそのもの』を動かす力だ。相手を拘束するんじゃなく、相手の運命をなぞらえるんだ。君が『約束』を結ぶたび、世界の流れが少しずつ変わる」
俺は、その意味を理解しきれなかった。
「だからこそ、危険なんだ」グレッグは立ち上がった。「君の力は、人を救う。だが同時に、人の自由を奪う可能性もある。それを意識しながら、生きていかなきゃならない。それが、『約束の者』の宿命だ」
窓の外では、夕陽が赤く染まっていた。
「ここに三ヶ月いろ。その間に、俺が教える。『約束の力』をどう使うか。そして、なぜ君にその力があるのか」グレッグは微笑んだ。「そうしたら、君は自分で答えを見つけるさ」
「三ヶ月?」
「そうだ。その頃には、帝国も落ち着く。それまでは、ここで安全に暮らせ。君たちの少女たちも」
ジェシカとメイが、安堵の息を漏らした。
だが、俺の頭の中は、グレッグの言葉で満杯だった。
『世界の仕組みそのもの』
『相手の運命をなぞらえる』
それが本当なら、俺が結んだ237個の契約は、237人の人生を、俺の意思で決めたことになる。
それは、本当に救いなのか。それとも、新しい奴隷化なのか。
リリアが、そっと俺の手を握った。
「大丈夫。アルトなら、絶対大丈夫」
彼女の言葉も、また別の『約束』に聞こえた。
ホールの奥で、グレッグは静かに笑っていた。その笑顔の中には、何か複雑な感情が隠されているように見えた。
「やはり」
彼は呟いた。誰にも聞こえない声で。
「『約束の鎖』は、今またここに生まれ始めたか」
────────────────────
翌朝、俺たちは冒険者ギルドの附属宿舎に案内された。簡素だが清潔な部屋。窓からは町の風景が見える。
初めて、安心して眠ることができた。
だが、夢の中では、237個の光の鎖が、俺の身体を縛り付けていた。




