その9
追放された令嬢は魔陣を書きながら、黒竜その物を体現したかのような青年の監視を楽しんでいた。
怖い、強い、厳めしい、と三拍子揃った凶悪な姿。
なんと素晴らしいものだろう。
✝ディミロス✝ のイメージそのものである。
「えっへっへ……またアッサム様がこちらを睨んでらっしゃる……禍々しい覇気、殺気に包まれた呪われし剣を操り、魔物をバッサバッサと斬られるのね、きっと……」
と、ミルフィがにやけているアトリエの対角線上。
いつもの定位置に陣取ったアッサムは、彫刻のような顔に眉間の皺をメリィミシィと音がせんばかりに刻みつけていた。
「っ……はぁ……俺は今、あの天才魔陣師、✝ディミロス✝と同じ空気を吸っているのか……信じられん」
落ち着いて思考すれば、空気は世界一律なのであるが、狂信者もとい強火のファンには感ぜられないのであった。
互いに互いのやるべきことを果たしつつ、内心では大変充実している二人であった。
無言の部屋は、見る人が見れば、地獄のように思えただろうが、彼ら自身にとっては最高の天国だった。
そんな推し合いへし合いの日々が続き、何日かが経った頃。
*
コンコン。
「失礼する。本日も監視を開始する」
しれっと入ってくるアッサムの手には、神への捧げ物が持たれている。
国外からの得体の知れない追放者を監視する帝国騎士団員という彼の立場上、公式に差し入れとは言えない。
だが帝国の宮殿御用達の窯元『ハウガルデン』の最高級ティーカップセットである。皇族にしか使うことを許されない、双頭の竜のモチーフが黄金で描かれている。
そう、皇族しか許されない――。
アッサムはそれを涼しい顔で、ミルフィの前に自ら差し出した。
「わ、ありがとうございます! 今日も良い香りですねぇ」
と、ほっこりしながらミルフィは茶をいただく。
最高の味わいだ。
帝国はお茶が美味しい。
ミルフィが機嫌良く朝のお茶タイムを楽しんでいる裏側、アトリエの扉の裏側では、アッサム付きの従者と十数人の家来たちが小声で激しいミーティングを行っていた。
「いいか、お前たち。殿下が手づからあの食器を与えられたということは、帝国の皇族の中で最も近しいものとみなすということだ」
「ですが、これは私的な行いですよね!? その場合はどうすれば……」
「……側室くらいじゃないのか?」
「いや、あの感じだと正室にすると言い出しかねませんよ。どうです、女性なんてこれまで道ばたの石ころくらいにしか思っていなかった殿下が、あのように瞬きもせず彼女を見つめてらっしゃいます」
従者は首を振る。
「違うらしい」
「は? あの、何が」
「あの少女は神々しすぎてそういう対象ではないとか」
「え……ですが、殿下や皇室自体が我々帝国民にとっては神々しい存在なのですが……それよりも……?」
「ああ。なんだか分からないがとても神聖な少女らしい」
「隣国では聖女だったのでは?」
「否。単なる漁師の村出身の男爵令嬢だったとか」
「あの少女は神がかりや予知夢を見るような存在なのでしょうか? 魔術陣を制作しているようですが」
「殿下が神というのなら、神聖な存在なのでしょう」
「我々はどう動けばいいのですか」
「いいか、殿下が帝国第三皇子だということは絶対に秘密だ」
「え……いや、でも、帝国民なら暗黙の了解で」
従者は強調した。
「秘・密・だ」
「なぜです!? きっとあの少女も、殿下が殿下であると、事実を知った方が己のためなのでは。知らないとはいえ、皇族と直接会話をするなんて。さらにはずっと監視されるなんて俺だったらストレスではげますよ」
「……殿下のご意向だ。なんでも、『神に平伏されたらこの世の理が崩れる』だとかなんとか」
「何を言ってらっしゃるか私には分かりません……!」
「安心しろ、俺にも理解できん。だが、殿下が黒といえば黒、白といえば白だ。とにかく我々は、ただの顔が怖い騎士団員としての殿下を全力でお支えするぞ」
「「「「はっ!」」」」
その頃、アッサムはトレイを持ったまま固まっていた。
邪魔にならないように気配を消して、ミルフィのカップを背後から下げようとしたのだ。
あと一口、とせせこましく僅かに残ったお茶の数滴を飲もうと手を伸ばしたミルフィと、思わず手と手が触れた。
後ろを見上げ、アッサムとバチッと目があったミルフィは、間近で整った迫力ある『推し』の顔面を見てしまった。
(わ、あ、うわあ……黒竜様って感じ……いや、その物だわ……え、どうしよう、尊いわ……)
あまりの尊さの前には、人間は無力になる。
ミルフィはかあああああっと赤面した。
アッサムは戸惑っていた。
(な、なんだこの反応は!? いつもなら『わぁ、アッサム様』と無邪気に話しかけてくるのに、今は顔を真っ赤にしているだと!?)
アッサムの脳内で激震が走る。
(まさか、素手で触られたから気持ち悪がっているのか!? ミルフィは十六、俺は二十八。明らかにオッサン、いや、この年頃の娘からすれば完全にジジイ! 間違えた! 距離感を間違えた! 最低だ、直接接触など厳禁!)
「……ミ、ミルフィー、すまなかった。もし不快にさせたのなら謝る」
ミルフィは口元を押さえて、ぷるぷる震えていた。
「あああ、いえ! その、ただ、アッサム様の手が、冷たかったので……本当に竜のようだ、と……そして、その、お顔を直視できないだけで……!」
「――ッ!?」
アッサムの時が止まった。
耳まで真っ赤にして俯くミルフィー。
ごめんなさい、と言って目を潤ませている。
(冷え性、つまり、間接的にジジイだと言っているのか!? しかも直視できない!? まさか鼻毛でも出ているのか!? 朝に食べたオムレツのケチャップがついていたか!? どちらにせよちゃんとした大人として、いや人間として最低だ、出直そう)
ある意味で心臓が破裂しそうなアッサムと、心に目覚めたなにがしかの感情を自覚し、いたたまれない恥ずかしさで爆発しそうになったミルフィーは、劇的にすれ違っていた。
「そ、そうか。ならば無理に顔を上げなくていい。だが茶は飲め。途中ですまなかった」
「は、はい……いただきます……っ」
扉の後ろからは、家臣たちが顔を紅くしたり青くしたりしながら、やきもきと見守っていた。
その頃。
ミルフィが元いたアリスター王国は、静かに、しかしながら着実に滅びへと向かっていた。
原因はいたってシンプルである。
あの一家がいなくなったからだ。
✝ディミロス✝ が夜な夜な一人でやっていたボランティア活動は、完全にストップした。
つまりミルフィが勝手に描いていた街中の魔陣のことだ。
これまでは弱い魔物は、ミルフィの創った魔陣によって退けられていた。しかしメンテナンスができていなければ、どんな陣も壊れ、欠けていく。
そして、学院や王宮、街中や国境に鎮座する巨大な像。
これはどれも千年以上前の古代語で刻まれた、極めて複雑な代物だった。しかし、ミルフィの父親と兄が、聖遺物の修復をすさまじい精度で行っていた。だが、それも無くなった。
さらには、平民たちが次々と国外に逃亡しだした。
働けば税が安くなるという諸外国の制度を聞きつけたらしい。
貧しい王国民として一生搾取されるよりも、移民として生きる方がうまみがあると気付いたのだ。
その情報は、どうやら初めは女たちのご近所情報網から伝わったらしい。帝国のパン工房で働き出したミルフィの母親は、近所の奥様連中とも仲良くやっており、パンを送るついでにと手紙を書いて添えたのだ。
「大変です! 東門の防衛陣から魔力が漏れ出しています!」
「南の境界陣が沈黙しました! 結界の強度が昨日の三割まで低下しています!」
「魔力を供給してください! 陣を描かなければ魔物が入ってきます」
「国民がまた逃亡しました! 漁師町の海上から逃げているようで、王国の兵士たちではとても追えません」
「貴族たちから税収がまかなえないと要望が!」
公爵邸には若い男の兵士が走り込んできた。
王宮からの使者だ。
「助けてください、カネル様……!」
王子の従者をしている若者の悲鳴に、公爵令嬢カネルは執務室でやれやれと溜め息をついた。
「こうしてみれば、分かりきった未来でしたわね」
令嬢カネルは手元の書類――ベルガート元王子の「子猫ちゃんポエム控え」や国費横領の証拠書類――を暖炉に放り投げた。
「もうこれは不要ですわ」
「えっ、な、なぜです」
「私は、我が公爵領地と領民を守るので精一杯です」
「いえ、聖女様ならば国全体に魔方陣を……!」
「もうそんな状況ではありませんよ。こんなになるまで放っておいて、今更魔陣ひとつ書いてどうもなりはしない。積み重ねですよ、ひとつひとつの。王宮の兵士も、王族も貴族も、おかかえの魔術陣師たちも、新しい聖女も、ここ数ヶ月で何をしていたのです?」
「え、ええと……新たな聖女様と王子との婚礼の準備やら何やらで忙しく……何しろ聖遺物の損傷が激しく、国民も逃亡するやらで、魔術陣師も兵士も数が足りていません」
「当然の報いね」
「カ、カネル様!? この国を見捨てるのですか!?」
泣きつく王子の従者に、カネルは美しく艶やかな笑みを向けた。
「見捨てる? いいえ、違いますわ。あのロリコン浮気男と、それを野放しにした国が勝手に滅びただけです。私は、私の領地を守りますわ。この領地には、あの方には及ばずとも、この数ヶ月、私の全力を傾けて創った魔陣を張り巡らし、全ての建築物に聖なる力を込めた宝玉が埋め込まれています。あなたたちはそんなこともせず、あの者どもの愚行に踊らされていたのです」
カネルはとっくの昔に自分の領地の防衛陣を独自に強化し、王都が見捨てられた瞬間に領地ごと独立する準備を完了させていた。
「そ、そんな……」
「あなたはどうするの? 見たところ、愚直そのものだわ。かわいそうに、真面目がとりえなのね。これも何かの縁、王を捨てて、我が領地の領民となるなら住む場所を与えましょう。一族でやってくるといいわ」
「えっ……」
「その代わり、一度王都に戻って、貴族たちの集まる集会場や王宮の前、街の広場に立て札を立ててきて頂戴」
「……は、はい! 何でもいたします! 何と書けば?」
「魔術陣師 ✝ディミロス✝ を失った王都は呪われし終末を迎える――あ、ここ、紫と黒のインクを混ぜた飾り文字でね。十字架を忘れないで――漆黒の竜は帝国に飛び立った。滅びを拒絶する子羊は船を出し、新たな地を求めよ……安住の場所はここではない。死か、生か……自分で、あ、いや、違うわね、今のナシ……んんっ、朽ち果てるか、活き永らえるか。これにしましょう」
「……あの」
「いい? 看板の裏の目立たないところに、✝ディミロス✝に永遠の服従を捧ぐ使途、そのあと☆を書いて、マチルダと小さい字で書いて頂戴」
「……永遠と書いて、とわとふりがなをうちましょうか?」
「あら、あなた、分かってるじゃない」
「……あの、俺、実は、『モフーマン』っていう名前で、✝ディミロス✝のことずっと推してて」
「あなたがモフーマン!? 最古参の!?」
「そうです」
「まあ!」
二人に言葉は要らなかった。
王子の従者、もといJN(陣術ネーム)モフーマンが、王都に帰って立て札を立てた後、侯爵令嬢カネルの領地にすんなりと引越したのは言うまでも無い。
*
一方、新しい聖女のマロンは、地獄を見ていた。
「な、なぜ動かないの……!? 私は聖女なのよ!?」
王宮の防衛陣の前に引きずり出されたマロンは、必死に手をかざして呪文を唱えていた。
だが、他人の手柄を横取りして威張っていただけの女に、古代の魔陣の修復などできるはずもなかった。
「早くしろマロン! その結界が破れたら魔物が王都に入ってくるんだぞ!」
「分かってるわよ!」
「マロン、君は聖女なんだから簡単なはずだ」
「そうね、とりあえず魔力を流し込んで……」
ズドォォォン!!
「きゃあああーーーっ!?」
防衛魔法が暴走し、激しい魔力の逆流が発生した。
マロンは爆風に吹き飛ばされ、自慢だった高級ドレスと美しい髪は真っ黒焦げになり、顔面は煤まみれになった。
「ひぃぃ! 偽物だ! こいつは聖女などではない、ただの詐欺師だ!」
「マロン! 俺に見せた聖女の証、虹色に変わった指輪は何だったんだ!?」
「嘘に決まってるじゃない! あんたが目の色変えて、新しい聖女聖女言ってたから、業者に作らせたのよ! 何よ、聖女なんて何も考えずに立ってればいいだけって言ったのは、あんたじゃない!」
「なんだと!? 騙したのか!?」
「あたしだってあんたに騙されたわ! 婚約すれば、楽して贅沢できて、自慢三昧、みんなにうらやましがられてちやほやされるって思ったのに! こんな婚約、ナシよ!」
「お前、この俺にそんなことをしてどうなるか……」
「うるっさいわね! あたしに手出したら承知しないわよ! あんたがロリコン趣味だってこと全世界にばらしてやるから! この変態! 気持ち悪いのよ!」
「な……」
「あーあ、せいせいしたわ。もうあたしも国外に行くわ。滅びろこんな国! バイバイ」
全く、女とは恐ろしい。
「大変です! 魔物が入って来ました……!」
「た、戦え!」
「駄目です、もう兵士の数がいません。城を明け渡して逃げるしか……!」
我が身の破滅を予測する力さえもなかった王族は、城を捨てざるを得なくなった。聖女は消滅し、民の逃げた国は、何もせずに領地に篭もって、おろおろとする貴族を残して、瞬く間に衰退していった。
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