その10 終
「……魔陣師ディミロス様ぁぁぁ! お助けください!」
命からがら帝国へと逃げ延びてきた貴族たちが、どこから噂を聞きつけたのかやってきたのだ。門の前でわめいている。学園でミルフィを蔑んでいたあの令嬢たちもいる。
「公爵領にも入れないんだ! 防衛陣がかかっていて!」
「街は魔物でいっぱいで自分の領地にいられない!」
と、男たちがわめけば、
「国の魔陣師は全然役に立たないの! スライムにさえやられそうになるんだから」
と、女たちも文句を言う。
「早く国へ戻って下さい! 私たちの領地が……あっ! ちょっと何するのよ!」
アッサムの従者と兵士たちがすすすっと出て行き、
「お引き取り下さい」
と、貴族たちを強制連行している。
城の上階。
カーテンの陰から隠れて見ていたミルフィーは、困惑したように眉を下げた。
「……助けてあげたいけど、私が✝ディミロス✝ってばれるのはすごく嫌だわ。どうしよう」
ミルフィは好みこそ常人とずれていたが、羞恥心は忘れてはいなかった。
それに直せと言われて、チチンプイプイと数秒でもとに戻るのならば、魔陣など必要無いのだ。
簡単なものではない。
だからこそ面白いのだけれど――。
ドォン!!
そのとき、凄まじい威圧感とともに、アトリエの扉が開かれた。
そこに立っていたのは、漆黒の軍服を纏い、氷の瞳を苛烈な殺意で燃え上がらせたアッサムだった。
「なんだあの者どもは」
者ども、ときた。
立ち上る覇気は、まさに怒れる漆黒の覇王竜である。
ミルフィはまた、キャッと嬉しい声をあげたくなったが、ぐっとこらえた。
「我が国に害をなす者、そしてミルフィを傷つける者を、私は絶対に許さん」
門外で泣き叫びながら連れられていく令嬢たちに向けられたのは、道ばたの毛虫を見るかのような冷酷な視線だった。
「身の程知らずどもが。我が国、ひいては皇室の至宝である神陣師に向かって、よくもそんな口が利けたものだ」
「えっ? 皇室?」
カチ、カチ。
部屋の時計の音が聞こえた。
「……よくもそんな口が利けたものだ」
「あ、あのアッサム様、繰り返しても誤魔化されませんよ!? なかったことにはならないですよ。今……皇室って言いましたよね?」
ミルフィーが袖を引っ張ると、アッサムはギギギと錆びついたカラクリ人形のように振り向いた。
「っ……! いや……ミルフィー、これはその……皇室というのは……まあ……」
「騎士団の隊長じゃ?」
「それもそうなんだが……」
その時、部屋の中にアッサムの従者が走り込んできた。
「殿下! 大変です、不法入国するアリスターの貴族たちが押しかけてきて」
ミルフィが、
「でんか……」
と呟く。
アッサムは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
従者は早口で報告した。
「奴ら、ここにディミロスとかいう魔陣師がいるだろうと突入しそうになっているんです。どこから情報が漏れたのやら……アッサム殿下が口止めしているとはいえ、アッ痛い!」
漆黒の竜は、部下に飛び膝蹴りをくらわせた。
「殿下、って」
「……遅かったか」
「いえ、あの、従者の方のびていますけれど、アッサム様ってもしかして」
「ああ。私は皇室の者だ。第三皇子というのが正式だな」
アッサムは覚悟したように顔をあげた。
同時にミルフィは下を向く。
不敬だ。
不敬にもほどがある。
「なんで、……言っていただけなかったのですか」
「私はあの国からディミロスを守り、我が国で最高の地位を与えたい」
「はぁ」
「たとえば仮に私の妃となれば」
「えっ?」
「もちろん、名目上だ。俺を愛さなくていいし、好きなことをしてくれていい。なんならここで過ごしていてもいい」
ミルフィは黙っていた。
ド平民の自分が帝国の王子様と結婚。
仮の白い結婚だとしてもこんな展開があるだろうか。全く信じられなかった。
「嫌なら……嫌だと言ってくれて構わない! だが、あの愚か者どもに君を触れさせることだけは絶対に許したくない」
必死な顔で、しかし誠実そのものの瞳で自分を見つめてくるアッサム。
その横顔を見て、ミルフィーの胸の奥で、甘い爆発が起きた。
「嫌というわけでは……」
ミルフィーは真っ赤な顔を手で隠した。
「――ッ!!」
アッサムの脳内で歓喜のファンファーレが鳴り響いたのは言うまでもない。
*
その後。
朽ち果てたアリスターに、アッサム率いる帝国軍は人道支援という名目で介入した。
魔物はあっさりと鎮圧・解体した。
旧王国は正式に帝国の保護領となり、自業自得の末路を迎えた元王子やマロン、取り巻きたちは二度と表舞台に出てこられない過酷な場所へと追放された。
一方、カネル公爵令嬢は賢明な立ち回りが評価され、帝国の提携領地として莫大な繁栄を約束されたという。
そして平和になった帝国の都。
豪華な帝城のアトリエで、世界最高峰のアッサムティーの香りが漂う中。
漆黒の正装を着こなした黒竜皇子と、フリルとレースに身を包んだ童顔の可憐な妃ミルフィーは、仲良く寄り添っていた。
ミルフィに関しては、「敬語はともかく、✝ディミロス✝ に距離をとられたら自刃するかもしれない」と半ば真剣に言ったアッサムに絆された。
「あ、アッサム様、実は私も、言ってなかったことがあって。怒りませんか?」
「ふっ……もちろんだ。ミルフィのことなら何だって受け入れよう」
「実は私、アッサム様を黒い竜のようだと思っていて!」
「そうか。じゃあ、俺も言おう。俺が城を買ったいにしえの老兵だ」
「えっ!? 嘘!? アッサム様、若いですよね!?」
「十六の娘にしてみたら老兵みたいなものだろ。ばれたくなかったんだ、ミルフィには」
「えっなんで」
「神と人間は交わらないものと思っていたからな」
誰よりも神々しい覇気を放つ皇子は、そう言って眉を寄せた。
押し合う彼らの想いが通じ合うには、まだ数年はかかりそうである。
END




