その6
アリスター王国では、聖女カネルが溜息をついていた。
「はぁ……あそこまで頭の悪い生き物が、よくこの年まで生存できましたわね」
公爵家の絢爛豪華な執務室。
公式に国の『聖女』として称えられているカネルは、ファーストフラッシュの茶葉を浮かべたカップを傾けながら、心底呆れ果てた溜め息をついていた。
手元にあるのは、第二王子ベルガートが送り付けてきた書面だ。
そこにはこのように書かれていた。
『本書状はこれまでの令嬢カネルの愚行を糾弾するものである。カネルは自分勝手に男爵令状ミルフィを加害し、追放した。並びに王族に、刃向かい反逆した。王家はここに真の聖女マロンの擁立、およびカネルとの婚約破棄を要求する。もちろん慰謝料は、カネルから王家に払うものとする。聖女の業績は全て、真の聖女マロンの聖なる奇跡によるものと認定する。拒否した場合は、王家と公爵家は断絶するものとする』
「呆れて物も言えませんわ……」
カネル自身、聖女としての膨大な魔力を持っていたからこそ、それなりに陣術の心得があった。
だからこそ分かるのだ。
謎の魔陣術師ディミロスが描く魔法陣の、一ミリの狂いもない魔力ラインの美しさ。
100年先を見据えた構造の美しさ。
「はあ……あのおばかさんのせいで、国宝が流出してしまいましたわね……仕方がありませんけれど。あの才能が潰れるくらいなら、悔しいけど帝国に行く方が良いでしょう」
カネルは手元の用紙に、サラサラと小さな防衛補助陣を描いて見せた。
これだけでも並の宮廷魔導師なら絶賛するレベルだが、ミルフィーの変態的な魔術の精度に比べればままごとのようなものだとカネル自身が一番理解している。
「ミルフィ嬢の追放と同時に、ディミロスの魔法陣は効力が弱まった。他にも気付ける要素はたくさんあったのに、あのおばかさんにはまだ分からないのですね。神がかった陣師を失った国で、偽物の聖女を担ぎ上げてドヤ顔ですか……ふふ。こんな国にどんな惨劇が待っているんでしょうね」
そして迎えた、議会裁判の日。
議会の壇上では、ベルガート王子が、ドレスを着た女の肩を抱き寄せ、高らかに叫んでいた。
「皆のもの! これまでの聖女の奇跡は全てこのマロンが与えた奇跡であったのだ! カネルのような可愛げのない女などより、我が国を陰から救っていたマロンこそが真の聖女! 私はカネルとの婚約を破棄し、このマロンと婚約する!」
「ええ、ベルガート様あ♡ 私の聖なる力で、この国を永遠にお守りしますわっ」
マロンは見た目は華奢で、派手ではあるが、明らかに自らの利益で動いているような女だった。
豪奢なドレスや宝石を身に着け、カネラを見下している。
「マロンだ。彼女は聖女候補だったが、カネラが選ばれたので、実家の伯爵家で花嫁修業をしていたのだ! なんともいじらしいではないか」
「そんなぁ♡ ベルガート様ぁ♡」
勝ち誇った顔で手を組む二人を、周囲の人間たちは冷ややかに見ていた。
「なんだあの頭の悪そうな女は」
「エンピーア伯爵のとこの一人娘だ……結婚もせず遊び呆けていると聞いていたが、花嫁修行とは」
議会に集まった重臣や貴族たちが嫌悪に顔を歪める。
被告席に立っているカネルは幼少期から国中にその名を知られた『公式の聖女』だと皆が知っていた。
「いやはや、正気か?」
「カネル様は国から正式に『聖女』と認定された公爵令嬢だぞ。それも圧倒的に魔力も知識量も多く、満場一致で決まったというのに」
「あのマロンとかいう女の『聖なる力』なんて、一度も証明されていないが……」
ひそひそと交わされる不穏な声。
だが、全能感に酔いしれるベルガートには何も届いていなかった。
「ふはは! どうだカネル! 聖女の立場も、王子妃の座も奪われて悔しいか!」
「悔しい……? いいえ、殿下」
カネルは優雅に歩み出ると、くすりと美しく嘲笑した。
「あまりの愚かさに、開いた口が塞がらないだけでございますわ」
「な、なんだと……!? 負け惜しみか!」
「殿下。私は公式の『聖女』であると同時に、恥ずかしながらほんの少しだけ、陣術の心得もございますの」
カネルはすっと指先を立て、空中に一瞬で『魔力測定の簡易魔法』を描いて見せた。
淡い金色の光が、精緻な幾何学模様を描いて空間に浮かび上がった。
議員の貴族連中がざわ、と騒ぎ出す。
「なっ……空中描陣……!? カネル様、陣術もお使いになれたのか!?」
「なんと美しい……! 基礎が完璧に叩き込まれている……!」
ざわめきの中、カネルは光る陣をマロンに向けた。
「マロン嬢。貴女が『真の聖女』と仰るなら、この程度の基礎陣術はお出来になりますわね? さあ、私のこの陣に魔力を同期させてご覧なさいな」
「え……? あ、あの……『同期』って何……?」
マロンの顔からスーッと血の気が引いていく。
「同期も分からないのですか。では質問を変えましょう。王都の防衛陣の基幹となっている『三十二重魔力収束環』。第二術式における魔力のバイパス経路、どう処理なさったか覚えていらっしゃいます?」
「さ、さんじゅう……ばいぱす……??」
カネルは冷たい瞳でマロンを見下ろし、パチンと扇子を鳴らした。
「論外ですわね」
「うるさい! 今日は調子が悪いだけだ。覚えてろよ!」
第二王子とマロンの背を見送りながら、カネルはため息をついた。
その日は沙汰が出るまでもなく、閉廷だった。
議決でもしたら、マロンはすぐにでも追放されただろう。
しかし、白でも黒と言い換えられるのが王族だ。
全く、権力というのはろくでもない。
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