その3
「――というわけで、お父様、お母様、お兄様。申し訳ありません! かくかくしかじかということで……うう、お父様が男爵クビになって、一家で隣国に追放されちゃいました……!」
実家に戻ったミルフィは、大工の仕事着を着た父と兄、そして年季の入った厚手のエプロンを着ている母の前で倒れ伏した。
どうすればいいか分からないが、哀しみと申し訳なさとやり場の無い感情を表現するにはこの体勢が一番いい気がした。
(うう……沈黙が怖い……)
床につけた額が痛い。
じんわりと涙が出てくる。
顔を見合わせた男二人は、そんなミルフィを豪快に笑い飛ばした。
「ガハハ! なーんだ、そんなことか! 元々こんな堅苦しい『男爵』なんて柄じゃねえんだ! 追放先は帝国だろう? 聖遺物がごろごろある、本場だぞ。ここよりもずっと都会だ、元気出せ」
「そうだよミルフィ。また平民として大工と聖遺物の修復で稼げばいいさ。もともと王様に男爵なんて任命されて、そっちの方がおかしな感じだったんだ。またイチから出直そう」
「あたしも久々に日持ちがする固いパンを焼こうかねえ。奥様なんて呼ばれるのも堅苦しいと思ってたんだよ。帝国ってのは行くのに何日かかるんだい。名物を調べなきゃねぇ」
と、母親も豪快に腕まくりをする。
「よし、さっさと荷物まとめて引っ越しだ!」
兄が高らかに声をかけた。
頑固一徹だが家族想いの父親と兄、そして肝っ玉母ちゃんで有名な母親は、あっさりと男爵位を捨てると言う。
「お、怒らないの……?」
「怒るもんか。あんたが最善を尽くしたんだろうってことは、あたしたちはみんな知ってるよ」
と、母は笑顔でミルフィを抱きしめてくれた。
ミルフィは静かに泣いた。
この時ほど、家族に感謝したことはない。
その夜、ミルフィは心を込めて、最後の魔術陣を描いた。
自宅の前の路上に、野良猫を追い払いながら、深夜に勝手にこっそり描いた。
いつもなら加護を付与して、恒例の署名を残すのだが、今回ばかりはおまけを残した。
《一身上の都合で隣国へ移住することとなりました。これまで密かに活動を応援してくれた皆様ありがとうございました。あらあらかしこ。 ディミロス》
と、最後まで魔術陣を解読した者のみが見ることができる、私印魔術をかけた。
ディミロスという字体が、涙色の薔薇の花が散るように消えるデザインは我ながら渾身の出来だった。
陣術というのはマニアックで複雑だが、一度はまると面白いもので、能力の高い魔陣術師には一定数のファンがいる。多くの場合は魔術の心得や知識のある者ばかりであるが、そういう人間たちは、街中で魔方陣を見ると、誰が創ったどんな陣かという情報を読み取りたがる。
一見さんはともかく、いつも見守ってくれている名も無きファンたちに、ミルフィは感謝し、もっというと愛していた。
彼らは時に、ディミロスについて口々に噂し、魔術陣の出来について喋り、出現した場所とその美しさや有能さについて記録して統計までとり、共有しているらしかった。
さらには『ディミロスの魔術陣』の隣に小さな魔術陣を残しては、作者を称える言葉が空中に煙として浮かび上がる仕掛けや、キラキラと輝いたり良い香りがしたりという追加魔術をかけることもある。
そんな可愛い自分のファンたちを残していくのは不本意だが、権力には逆らえないので、仕方が無い。
「さようなら、『モフーマン』『オショウユ』『マチルダ』『古の老兵』その他たくさんの応援してくれた皆さま……私、追放先でも頑張ります」
しかしながら、不幸中の幸いとはいったものである。
爵位を返上して路頭に迷うかと思いきや、ヴェルニ一家の切り替えは王都の鉄道信号よりも早かった。
即座に荷物をまとめ、すんなりと国境を越えた一家は、公爵の紹介状を携えて、隣国に堂々と入場したのだった。
*
ヴァルツィ帝国。
そこは古今東西の魔法陣が集まる、世界最高の魔法陣の発祥地といえる場所であった。
最初に地面に魔術をかけ、それを陣として残したのは、このヴァルツィの文明が初めてらしい。
(……あ、あれ? 泣く泣く追放されてきたはず、なのに)
トキメキがとまらない。
まずい、今はにやつく時ではないのだ!
ミルフィは眉に力を入れた。
自分のせいでこのような事態になっている。
こんなの葬式で笑うようなものだ。
今はにこにこしてはいけない、決して。
しかし国境を越えた瞬間、街の至る所に刻まれた古代の精巧な魔法陣がミルフィーを出迎えた。
「あっ……ああっ!? なにこれすごすぎる!! 基礎陣の線取りが美しすぎる!! え、待って、あの建物に描いてあるの第4世代の防衛陣じゃない!? 古代の魔術陣!? うわあああ! ギャァァァ! いつから残ってるのあれ、最高、やばい、パパッおにいッあれ見て!! 信じられないッ、本物だわ」
ミルフィは追放されたショックも忘れて叫んでいた。
天国だ。
簡素な荷台の馬車には、最低限の荷物や家具と共に、一家四人が乗っていた。ミルフィが外を見て転がり落ちそうになったので、苦笑いした父親がスカートの裾を掴んで引っ張った。
「おいおい、落ち着けミルフィ。俺たちはこれからしばらく宿屋暮らしなんだ。街中の観光はまだ先だ! でも気持ちは分かる、ありゃあすごい。古代の遺物が普通に駅にあるなんてな……本当にここで暮らすんだな」
兄も興奮しながら頷く。
「ああ。まさか帝都に入れるなんて……ここは移国の人間が永住できることはそうないんだぞ。爵位を取られたとはいっても、そう思えば公爵令嬢様々だな。聖遺物がごろごろあるぞ! うっわ、修復しがいのありそうなもんがいっぱいだ」
母は鼻をひくつかせた。
「はぁ~、このいい匂いは何だい? 今まで嗅いだことのないパンの香りだ。小麦が違うのかもしれないねぇ。後で行ってみよう……メロンの形のパンがあるよ! なんだいありゃあ、中にメロンが入ってるのかね?」
中心街に行くと、それはそれは活気がある。
市街はにぎやかだが、長い橋がかかっており、向こう側は皇室の皆様の住むロイヤルな場所だという。
最奥には皇居があるらしいが、遠すぎて見えない。
おそらく小さな国ひとつ分くらいはあるのではないだろうか。橋の手前側は帝国騎士団の駐留所になっているらしく、剣を持った若い武人たちが喋り合っているのが見えた。
「ほわあ……」
全くとんでもない場所に来てしまった。
帝国は鉄道もあり、郵便局もあり、すごく発展している最先端の場所のイメージだった。
が、ひとたび見てみると、街には歴史的な陣形が溢れていた。
例えば、皇族エリアへ向かう塀に手を当てると、魔陣が発動して、これまでの各皇帝の顔が立体的に出現する。また、街の立て札や看板にも仕掛けがあって、ひとたび手をかざすと魔陣が発動し、店主の声でいらっしゃい、今日のおすすめは……としゃべり出すのだ。
「す、すごい……! 本当に魔陣の国だわ」
帝国は観光客も制限されており、景観と治安の保全に努めているというのは有名な話だった。隣国だというのに、なかなか足を踏み入れる機会もなかったのだ。
公爵家が通達した追放の書状には、帝国の許可が出ているからさっさと国外へ移動せよと書いてあったが、おそらく許可を取るだけでも並みの人間では不可能だったろう。
(ありがとうございます、カネラ様……!)
ミルフィは眉を寄せながら、静かに心中でカネラに感謝した。
思えば、王子をたぶらかしていたという誤解も解けたし、追放先ではこんなに良い思いをさせてもらって、カネラには頭が上がらない。
早く宿屋暮らしを脱して、新しい拠点を決め、街探索に出たい。帝国の都の物珍しさに、鼻血が出そうだった。
馬車は駅前の宿屋に到着した。
父親が安宿に長めの滞在の交渉に行こうと降りた瞬間、憲兵が近寄ってきた。
「もし……そちら、失礼ですが、ヴェルニ男爵様方ではございませんか」
父親はきょとんとして、憲兵に応えた。
「そうですが、もう男爵なんぞではないんですよ。爵位は剥奪されちまったんでね。なぜ私たちのことをご存じなのですか」
「それは勿論……存じ上げております。帝国で起こる重要な出来事は全て、皇族が把握するようになっておりますゆえ」
皇族。
それは帝国を司る、一族の総称だった。
ミルフィは都に張り巡らされた緻密な陣形を見て、深く頷いた。この都は、灯りも石畳も建築物も、全てが細かく巨大な陣でひとつなぎになっている。
この圧倒的なシステムを利用すれば、皇族たちが都で起こった全てのことを把握するのは訳ないだろう。
さすが、帝国だ。
「なるほど」
ミルフィの父親も理解したようだった。
「ここは素晴らしい街ですなあ」
憲兵は深く頷いて、少し笑顔を見せた。
「そう言って頂けるなら恐縮です」
「ところで私たちに何の用事ですか。入国書ならば検問所で先ほど提出したのですが」
「実は用事があるのは私ではなく、そちらで待っている紳士なのですよ。私はあなた方が来たら引き留めて彼に知らせるようにと、頼まれただけなのです」
見れば、通りを挟んだ反対側に豪華な馬車が止まっていた。
雪のように真っ白だが、複雑な魔術陣が描かれており、いろんな方向から見ると、光の当たり具合で様々な白色に変化する。
その馬車の中から、グレーの燕尾服に身を包んだ白髪交じりの紳士がスッと降りて、こちらに近付いてきた。
「え……」
高級そうなグレーの生地だ。
紛れもなく身分の高い、良い家の執事だ。
「長旅お疲れ様でした。初めまして、わたくしレナールと申します。事情があり主人の本名を名乗らないことをお許しください。わたくしの主人は、『✝ディミロス✝』のファンをしております」
ミルフィはゲッと思って顔をしかめた。
父がぽかん、としている。
「ディミ……?」
ミルフィは全身を震わせて叫んだ。
「わあああああ! あー! ちょっと待ってパパ、その人わたしの知り合いだった気がするようなしないような! ちょっと変わるね! うん、パパはちょっと休んでて!」
馬車から転がり落ちる勢いで、ミルフィは執事レナールに縋り付いた。
「シッ! シーッでお願いしますよ……! あの、✝ディミロス✝ っていうの、そんなに大きな声で言わないでください! 親にあんまり詳しく話してないので!」
「そうですか……では、『幾千万の美しき葉脈を抱く伝説の魔法獣』様とでも」
「わああああああ!!!」
恥ずかしい。
良家の執事には人の心がないのだろうか?
ミルフィが涙目になっていると、執事はコホンと咳払いをした。
「主人はこの国の――コホン、帝国暮らしも長いものですから、ディミ……「幾千万の美しき葉脈を抱く伝説の魔法獣」様のお力になりたいと」
「スミマセン! もうディミロスでいいです……!」
ミルフィは穴があれば埋まりたかった。
心なしか遠くで見ている家族の視線が生暖かいような気がする。バレたかもしれない。いや、きっとそうに違いない。魔陣創りをちょこちょこやっている、くらいは言っていたが、こんなコードネームがばれた暁にはしばらく目を合わせられない。
執事は淡々としていた。
「そうですか? では、改めて。我が主人の命により、ディミロス様とそのご家族のお住まいと衣服、ならびに研究資材のご用意が完了しております。ちなみに新居の場所は、そこでございますので、よろしければ、自由にご使用下さい」
「そこって……?」
「少し街からは離れてしまうのですが、あの小高い山が見えるのは分かりますか? あそこにお城がございますね」
「はい。わあ、綺麗。歴史的な建造物みたいですね、いつの時代のなんだろう。素敵~」
「あれでございます」
「ん? あれって?」
「あちらの城でございます。ちなみに中は清掃も済み、修復魔法もかけておりますので、快適さは保証できます」
「し、城……? あのう、住むっていうのは」
「宮殿の方がよございましたか」
「いやいやいやいやいや!? ちょっと待って下さい、あの」
「足りませんでしょうか」
「足りすぎます!」
「では、どうぞこちらへ。荷物は我々が運びますので、ディミロス様とご家族はあちらに控えている白馬車へどうぞ」
遠目にもキラキラしたイケ馬たちが控えている。
ミルフィはくらくらした。
新手の詐欺か何かだろうか。
しかし、人の良い父と他者を疑うことを知らない兄、楽観的な母は、ミルフィの話を聞いて執事に会うなり、行こう!と心を決めたようだった。
ミルフィたちはコトコトと白馬の馬車に揺られ、
「ほへー……」
と言っているうちに、城へ着いた。
それが、ミルフィたちヴェルニ一家の転機だった。
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