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第16話 守りたい宿

 赤いネクタイの男が、やれやれと肩をすくめる。


「だから言ったじゃないのぉ~。期限は今日までだって。」


 黒髪に赤いメッシュの男は、大げさにため息をついた。


「わたしだって鬼じゃないのよぉ。でも、お金を貸した以上、回収しないと立場がないの♡」


 すると隣の男が肩を叩く。


「もう、テリーったら。そんな言い方じゃ怖がられちゃうわよぉ♡」


 青いメッシュの男は、にこりと笑ってシアを見る。


「あたしたちだって、お仕事なのよぉ。」


 テリーは苦笑いしながら頷く。


「そうだったわねぇ、ポリン。」


 二人は揃って胸元から帳簿を取り出した。


「えーっと……」


「残りはぁ……」


 2人は同時に帳簿へ目を落とし、顔を見合わせる。


「「300万ルクス♡」」


 その金額に、カイは思わず目を見開いた。


(300万ルクス……)


 この世界へ来てから見てきた宿代や食事代、露店の値段を考える限り、1ルクスは日本円の1円とほとんど同じくらいの価値らしい。


(つまり、300万円……か。)


 シアは深く頭を下げた。


「お願いします……。もう少しだけ、お時間をいただけませんか。」


 テリーは困ったように頭をかく。


「うーん……。」


 ポリンは腕を組みながら首を傾げた。


「どうするぅ、テリー?」


「そうねぇ……。」


 2人はしばらく顔を見合わせる。


 やがてテリーが、ぽん、と手を打った。


「仕方ないわねぇ。」


 ポリンも肩をすくめる。


「今回だけよぉ?」


 シアが顔を上げる。


「……え?」


「あと1週間。」


 テリーは人差し指を立てた。


「わたしたちにできる譲歩は、それが限界。」


 ポリンも続ける。


「1週間経っても返せなかったら、その時は宿を差し押さえさせてもらうわぁ。」


 シアの瞳に涙が滲む。


「……ありがとうございます。」


 2人は照れくさそうに顔を背けた。


「べ、別にあんたのためじゃないのよぉ。」


「そうよぉ。倒れられたら、あたしたちが困るだけなんだからぁ♡」



「また1週間後に来るから、その時まで元気にしてなさいよぉ♡」


「「オ~ッホッホッホッホ♡」」


 二人は肩を並べ、夕暮れの坂道をゆっくりと下っていった。



双子の姿が見えなくなると、シアは静かに頭を下げた。


「……中へどうぞ。」


 どこか力の抜けた声だった。


 4人は宿の中へ戻る。


 外観ほどではないものの、館内も老朽化が目立っていた。


 磨き込まれた名残のある木の床。


 客を迎えるには十分広い玄関。


 しかし、廊下には人の気配がなく、静けさだけが漂っている。


 シアは居間へ案内すると、お茶を用意しようと立ち上がる。


「そんな、お構いなく。」


 カイが慌てて止める。


 シアは小さく微笑み、腰を下ろした。


 重い沈黙が流れる。


 その空気を破ったのは、コットだった。


「ねぇ、シアさん。」


「はい?」


「これから、どうするの?」


 まっすぐな問いだった。


 シアは少しだけ目を伏せる。


「……正直、分かりません。」


 静かな声が部屋に響く。


「借金を返せない以上、差し押さえられてしまうのはしかたのないこと……」


 そう言いながらも、視線は部屋の柱へ向いていた。


 長年、多くの人を迎えてきた木の柱。


 父と共に過ごした思い出が詰まった宿。


「ですが……。」


 シアはぎゅっと膝の上で手を握る。


「父が命を懸けて残してくれた、この宿だけは失いたくないんです。」


 その言葉には、迷いのない強い想いが宿っていた。


「旅人が疲れた体を休められる場所として。」


「温泉だけでも利用していただける場所として。」


「訪れてくれた人が『また来るよ』って言ってくれるような宿を目指したいです」


 その願いは、とても小さく、それでいて切実だった。


 カイたちは黙って耳を傾ける。


「実は……。」


 シアは少し躊躇いながら続ける。


「父が亡くなってから三年間、宿を続けながら少しずつ貯め続けたお金があります。」


「今、100万ルクスまでは用意できています。」


「ですが、残りは200万ルクス……。」


 シアは力なく笑う。


「あと少し、と言える額ではありません。」


 200万ルクス。


 決して簡単に用意できる金額ではない。


 部屋の空気が、再び重く沈んだ。


「ピュ……。」


 シロも心配そうにシアを見つめている。


 誰も言葉を見つけられなかった。


 その時だった。


 コットが勢いよく立ち上がる。


「よーし!」


 全員が振り向く。


「こんな時は、まず美味しいご飯を食べよう!」


「え?」


「お腹が空いてたら、いい考えなんて浮かばないもん!」


 コットはにかっと笑う。


「シアさん! 厨房って使ってもいい?」


 シアは目を丸くした。


「え、ええ……。構いませんが。」



 厨房へ入ると、コットは手際よく棚を開けていく。


「えーっと……。」


 木箱には拳ほどの大きさのジャガイモによく似た《ホクイモ》。



 爽やかな香りを放つ《風香草》。


 そして氷室には、この世界で一般的に食べられているモンスター《ロックボア》の肩肉が残っていた。


「これだけあれば十分!」


 コットは嬉しそうに笑った。


「ロックボアって少し硬いお肉なんだけど、焼き方次第ですっごく美味しくなるんだ!」


 肉を取り出し、包丁で筋を丁寧に切る。


 表面へ細かな切れ目を入れ、刻んだ風香草をたっぷりすり込む。


 コットは次にフライパンを熱した。


 ジュワァァァッ――。


 肉を乗せた瞬間、香ばしい音と湯気が厨房いっぱいに広がる。


 表面をこんがり焼き固め、旨味を閉じ込める。


 その間にホクイモを蒸し、肉を弱火でゆっくり火入れし、溶け出した肉汁を使ったスープにとりかかる。


「もう少し……。」


 コットは腰のポーチへ手を伸ばす。


 大切そうに取り出したのは、銀色に輝く一振りの匙。



 それを見た瞬間、シアの目が見開かれた。


「そ、それは……!」


 コットは微笑む。


「うん。」


 匙を軽く掲げる。


「神器――《香泉の匙》。」



「神器……。」


 シアは思わず息を呑んだ。


「昔、お泊まりになられた旅人の方が何度か神器を持っていたことはありました。でも……こんな近くで見るのは初めてです……。」


 コットは照れくさそうに笑う。


「じゃあ、仕上げだよ。」


 香泉の匙を料理にかざす。


 すると匙の紋様が淡い金色に輝き始めた。



 「《香泉調理(セイクリッド・キュイ)甘露の雫(ネクター・ドロップ)》!」


 ぽたり。


 匙に描かれた魔法陣が小さな黄金色の雫を生成し、その一粒がそれぞれの料理へ流れる。


 その瞬間――。


 ふわぁっ……。


 温泉の湯気を思わせる柔らかな香りが厨房全体を包み込んだ。


 肉の香ばしさ。


 香草の爽やかさ。



 食欲を刺激する極上の香りへ変わっていく。


「すごい……。」


 シアは思わず呟いた。


「料理そのものが、輝いて見える……。」


 コットは満足そうに頷く。


「よし、完成!」



 やがて料理がテーブルへ運ばれる。

 

 ロックボアの香草焼き。


 ほくほくに蒸したホクイモ。


 そして、香草を浮かべた温かなスープ。

 

 コットの声を合図に、四人は手を合わせた。


「いただきます!」


 ナイフを入れた瞬間、ロックボアの肉から透明な肉汁があふれ出す。


 カイが肉を口へ運ぶ。


「……うまっ!」


 噛んだ瞬間、表面は香ばしく、中からは熱々の肉汁が溢れ出す。

 風香草の爽やかな香りが鼻へ抜けた。

 

 一口食べたシアは、思わず目を閉じた。


「……おいしい。」


 思わず頬が緩む。


「こんなに柔らかいロックボア、初めてです……。」


「ピュイッ!」


シロも夢中で頬張っている。


「喜んでもらえてよかったよ!」


「やっぱりコットの飯は最高だな。」


「えへへ。」


久しぶりに宿に笑い声が響いた。


「父が亡くなってから……こんなに笑って食事をしたのは初めてです。」

シアも、少しだけ肩の力が抜けたように笑っていた。


♦︎


 食事を終えると、一日の疲れが一気に押し寄せてきた。



 首都までの移動。


 クエストの受注。


 そして、宿の事情。


 気を張り続けていた反動は大きかった。


 コットは大きく欠伸をする。


 その姿を見たシアが「そろそろ一休みしましょうか」

 と暖かな声色でみんなに伝えた。


「そうだな」

「こらからのことはまた明日考えよう」

「ピュ……。」

シロも疲れたようだった。



片付けを終え、案内された部屋へ行くと、3人は眠気には逆らえず、布団へ倒れ込んだ。



♦︎


 ……どれくらい眠っただろう。


 ふと、カイは目を覚ました。


 窓の外は真っ暗。コットとシロは寝息をたてていた。


「喉、渇いたな……。」


 静かに部屋を出る。


 古い廊下は月明かりだけに照らされ、しんと静まり返っ ていた。


 食堂から、かすかに灯りが漏れている。


(まだ誰か起きてるのか。)


 そっと覗くと、そこには一人、椅子へ腰掛けるシアの姿があった。


 机の上には帳簿。


 積み重ねられた書類。


 そして、小さな布袋が一つ。


 きっと、100万ルクスを貯めた袋なのだろう。


 カイは声を掛けようとして――。



「……。」


 言葉を飲み込んだ。



 月明かりに照らされたシアの横顔。


 その頬を、一筋の涙が静かに伝っていた。


 音もなく零れ落ちる涙。


 必死に前を向こうとしている彼女だからこそ、その姿が 胸に刺さる。


 カイは何も言えなかった。


 ただ静かに踵を返し、部屋へ戻る。


(……何か方法はないのか。)


 布団へ入っても、眠気は戻らなかった。


♦︎


 翌朝。


 朝日が差し込む食堂へ、全員が集まっていた。


 昨日とは違い、誰も口数が少ない。


 シアは朝食を並べながら、無理に笑顔を作っている。


 その様子を見て、カイは椅子から立ち上がった。


「シアさん。」


「はい?」


「残りの200万ルクス。」


 カイは全員を見渡し、ゆっくりと言う。


「……なんとかなるかもしれない。」


 その一言に、コットもシロも、シアも目を見開いた。


「えっ……?」


カイは静かに話した。


「冒険者連盟でクエストの依頼を受けた時のことを思い出したんだ。」

「受付の人が言っていた、あのクエスト。」

「――もし挑戦できれば。」


第18話へ続く。


 《神器“布丸” ランク:Stage 2 ー蒼錬布ー》

 《スキル:変幻自在/布界収納(小)/水纏状態

 /魔力吸収》

 《限定スキル:雫裂・二式》

 《特殊スキル:黒喰/転換布癒Ⅰ/微癒の湯化》





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