第17話 黒天七座
「あのクエストって……もしかして、シルバーランクのクエストのこと!?」
コットが、驚いたように声を上げた。
カイはこくりと頷く。
「俺たちはビギナーから始まって、何度もクエストをこなしてきた。」
「ランクもブロンズまで上がっている。」
もちろん、受けられる保証なんてない。
それでも、今なら挑戦する資格くらいはあるのではないか――そんな期待が胸に芽生えていた。
(それに……。)
カイの脳裏には冒険者連盟で受付嬢に言われた言葉が頭をよぎっていた。
――『原則として、ランク要件を満たしていない場合は受けられないんです』
(原則ってことは、例外があるってことだよな……。)
「一度、冒険者連盟に行って聞いてみよう。」
カイがそう言うと、コットはぱっと表情を明るくした。
「うん! 聞くだけなら大丈夫だよね! もしかしたら受けられるかもしれないし!」
その前向きな言葉に、部屋の空気が少しだけ軽くなる。
しかし、シアだけは不安そうに俯いていた。
「ですが……シルバーランクの依頼なんですよね?」
胸の前で手を重ね、ぎゅっと握りしめる。
「もし、本当に受けられたとしても……危険すぎます。皆さんに何かあったら、わたくし……。」
震える声。
その姿を見た瞬間、カイの脳裏には昨夜の出来事が浮かんだ。
食堂で一人、涙を流していたシア。
『この宿だけは、なくしたくないんです。』
あの言葉が、今も胸に残っている。
この宿に泊めてもらった。
行く当てのなかった自分たちを、何の見返りも求めずに笑顔で迎えてくれた。
だからこそ、今度は自分たちが力になりたかった。
「俺は助けたい。」
カイは静かに言った。
「受けられないなら、それで終わりだ。でも、もし少しでも可能性があるなら、挑戦したい。」
「私も!」
コットが勢いよく一歩前に出る。
「シアさんには助けてもらったもん! 困った時はお互い様!みんなで頑張れば、きっと大丈夫だよ!」
その笑顔は、どんな不安も吹き飛ばしてしまいそうなほど明るかった。
「でも……。」
シアはなおも迷いを見せる。
すると、椅子に座っていたシロがぴょこんと立ち上がった。
「ピュイ!」
小さな手で胸をどんと叩き、任せてと言わんばかりに胸を張る。
続けてシアの前まで歩いていき、にこっと笑う。
「ピュイー!」
その仕草に、シアは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ……シロちゃんまで、そんな顔をして。」
「シロも『心配しないで』って言ってるよ。」
コットが笑いながら通訳すると、シロは何度も大きく頷く。
「ピュイ! ピュイ!」
「……ありがとうございます。」
シアは三人の顔を見つめ、ゆっくりと息を吸った。
そして、小さく覚悟を決めたように頷く。
「……本当にありがとうございます! みなさんのお力、ぜひ貸してください!」
その表情には、もう迷いだけではなく、ほんの少しの希望が宿っていた。
「よし!」
カイは立ち上がる。
「まずは受けられるかどうか、冒険者連盟で聞いてみよう。」
「うん!」
「はい!」
「ピュイー!」
四人は顔を見合わせて頷くと、急いで宿を飛び出し冒険者連盟ソルテミア支部へ向かった。
♦︎
薄暗い空間に、黒い靄がゆらゆらと漂っていた。
光はほとんどない。
あるのは、天井も床も判別できないほど深い闇と、その中央に置かれた巨大な円卓だけだった。
円卓を囲むように、六つの人影が静かに腰を下ろしている。
だが、その姿は闇に溶け込み、全貌までは見えない。
唯一、闇の中でも存在を主張していたのは、それぞれの右手に嵌められた黒い指輪だった。
そこには、歪な数字が刻まれていた。
その数字が何を意味するのかは、この場にいる者たちだけが知っている。
「チッ……うるせぇな。」
苛立った声を上げたのは、指輪に歪な『五』を刻んだ男。
野獣のように鋭い眼光。
灰色の羽衣の隙間から覗く両腕には、幾重もの古傷が走っている。
その男――ガラクは肘をつき、面倒そうに相手を睨みつけた。
「テメェが気に食わねぇだけだろ。」
「ハッ! その態度が気に入らねぇんだよ!」
怒鳴り返したのは、指輪に『六』を刻む大男だった。
筋骨隆々の肉体。
背には赤黒い羽。
口元からは獣のような牙が覗いている。
「五番だからって調子に乗ってんじゃねぇ。」
「あぁ? 何度言わせる。」
ガラクが口元を歪める。
「序列ってのは、力の順だ。俺より下のお前は黙ってろ。」
「んだとコラ!」
大男が立ち上がろうとした、その時。
「……騒がしいな。」
静かな声が響く。
二人の視線が自然と向く。
そこには、長い銀髪を背中まで流した男が座っていた。
胸元では、黒曜石を削り出した雫の首飾りが静かに揺れている。
右手の指輪には、『二』。
フェルドだった。
「そこまで不満なら、ここで決着をつければいい。」
感情を感じさせない声。
それだけで場の空気が張り詰める。
赤黒い羽の男は舌打ちしながら椅子へ腰を下ろした。
「……チッ。」
ガラクも肩を竦めるだけだった。
フェルドは二人から興味を失ったように視線を外す。
そして、隣に座る人物へ向けた。
深くフードを被り、顔は闇に隠れて見えない。
その者は静かに一冊の魔導書を開き、周囲の喧騒など意にも介さずページをめくっていた。
右手の指輪には、『三』。
「そういえば。」
フェルドが口を開く。
「最近、部下を迎えたらしいな。」
ページをめくる手は止まらない。
「ああ。ヴァルクのことね。」
澄みきった女の声が静寂に溶ける。
美しい響きとは裏腹に、その声音には一片の温もりもなかった。
「どうだ。」
「研究熱心よ。」
淡々と答えながら、一枚ページをめくる。
「その反面、少々せっかちなところがあるわ。何かにつけて結果を急ぎたがる。」
「今は。」
「実験だの検証だのと言って出ていったきり。どこへ行ったのかしら。」
まるで他人事のような口調だった。
「そういえば、私の研究品を勝手に持ち出して出ていったわね。」
「放っておいていいのか。」
「ええ。」
口元だけが、ゆるやかに吊り上がる。
不気味な笑みだけが、闇の中に残った。
その女は静かに本を閉じると、ふっと顔を上げた。
深い紫色の瞳。
その中心では、銀色の瞳孔だけが妖しく細く輝いていた。
円卓には再び静寂が満ちる。
その中でまた一人、異質な空気を纏う者がいた。
円卓の端で和服にも似た漆黒の衣を纏い、静かに座している。
その者の周囲だけ、小雨のような雫が絶え間なく降り続いていた。
だが、その雨は手を伸ばせば届くほどの狭い範囲にしか降らず、一滴たりとも外へ漏れることはない。
頭上には黒い和傘がひとりでに浮かび、静かに雨を受け止めている。
右手の指輪には、『七』。
誰もその異様な光景を気に留める様子はない。
誰も口を開かない。
円卓を囲む者たちは皆、それぞれの思惑を胸に闇を見つめていた。
その時だった。
空間がぐにゃりと歪む。
闇そのものが裂けるように波打ち、黒い粒子が舞い散る。
次の瞬間――。
三つの人影が、何もない空間からゆっくりと姿を現した。
そのうちの一人だけが、明らかに他とは違う存在感を放っていた。
全身を包む闇は深く、その姿は判然としない。
それでも、一歩踏み出すたびに空間そのものが従うかのような圧が漂う。
男は円卓のさらに奥へ歩みを進める。
そこには、七座の席とは別に設えられた、一段高い場所。
漆黒の玉座。
その者は何の迷いもなく腰を下ろした。
その瞬間、空気が変わる。
残る二人は言葉もなく玉座の左右へ移動し、一歩下がって静かに控えた。
まるで、その男に付き従う影のように。
「黒天七座が揃うのは、久しぶりだね。」
玉座から、若く端正な男の声が響いた。
まるで旧友との再会を喜ぶような柔らかさ。
「……まあ、一人は欠席だけど。」
誰も答えない。
ただ静かに、その声の続きを待っていた。
「今日は、君たちに知っておいてほしいことがあって集まってもらった。」
その一言で、円卓の空気がわずかに引き締まる。
ガラクは腕を組み直し、フェルドは静かに目を細めた。
「僕たちの力を脅かす存在が現れた。」
短い沈黙。
誰も軽口を挟まない。
その言葉が冗談でないことを、この場の誰もが理解していた。
「もっとも、まだ正体は分からない。」
穏やかな声は続く。
「どんな存在なのか。」
「何を目的としているのか。」
「どれほどの力を持つのか。」
一つずつ言葉を置くように語られる。
「まだ何も見えていない。」
ガラクが鼻を鳴らす。
「……チッ。俺の力を奪った奴のことか。」
「その可能性は高い。」
「まだ尻尾は掴めねぇ。だが、見つけしだい俺がぶちのめす。」
玉座の男は小さく笑う。
「ふふっ。その意気だ。」
そして、その笑みはすっと消えた。
「まぁ、そういうわけで――。」
その瞬間だった。
闇が震える。
いや、この空間そのものが悲鳴を上げた。
圧倒的な魔力。
呼吸すら許さないほどの重圧が、円卓を包み込む。
そして、その穏やかな声は、別人のように冷たく染まった。
「――もし見つけたら。」
一拍。
次の言葉とともに、闇が弾ける。
「《消せ》。」
轟ッ――。
黒い魔力が空間を駆け巡り、円卓の縁を軋ませる。
その一言だけで、世界そのものに命令したかのような威圧。
ガラクですら口元を歪めることなく黙り込み、フェルドも静かに目を閉じる。
誰一人、その命令に異を唱える者はいなかった。
やがて、重苦しい圧は潮が引くように消えていく。
「……まあ。」
先ほどまでの殺気が嘘だったかのように、声は再び穏やかさを取り戻した。
「みんな、気をつけてね。」
柔らかな笑みすら感じさせる口調。
だが、その場の誰もが理解している。
先ほどの一言こそ、本心だったのだと。
静寂が訪れる。
しばらくして、一人の男がゆっくりと立ち上がった。
闇に包まれ、その姿は最後まで判然としない。
ただ、右手の指輪だけが静かに輝く。
そこに刻まれた数字は『一』。
そして、その足元には――。
本来、一つしかないはずの影が三つ伸びていた。
男自身の影に寄り添うように、二つの影が静かに揺らめく。
まるで、生きているかのように。
「……もう話がないのなら、失礼する。」
短く告げると、男は踵を返す。
次の瞬間、その姿は闇へ溶け込むように消えた。
誰も引き止めない。
玉座の男も、ただ静かに見送るだけだった。
それを合図にしたように、七座たちも次々と席を立つ。
「じゃあな。」
ガラクは肩を鳴らしながら闇へ消える。
「フッ……。」
赤黒い翼の男も鼻を鳴らし、その姿を霞ませた。
フェルドは玉座へ一礼だけを残し、音もなく姿を消す。
広間に残ったのは、玉座に腰掛ける男と、その左右で微動だにしない二人だけだった。
男は肘掛けに頬杖をつき、小さく息をつく。
「……さて。」
穏やかな笑みが浮かぶ。
「ーー面白くなってきた。」
その視線は、まるで遥か遠くにいる誰かを見つめるようだった。
静かな笑い声だけを残し、玉座の間は再び深い闇に包まれた。
第18話へ続く。
《神器“布丸” ランク:Stage 2 ー蒼錬布ー》
《スキル:変幻自在/布界収納(小)/水纏状態
/魔力吸収》
《限定スキル:雫裂・二式》
《特殊スキル:黒喰/転換布癒Ⅰ/微癒の湯化》
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
おかげさまで、本作も無事に【5万文字】を突破いたしました!
ですが……カイと布丸の物語はまだ始まったばかり、というか、まだスタートラインにも立っていないかもです(笑)
読者の皆様にわかりやすく、面白く、そして自分自身が書きたいことを。
そんな「書きたいこと」が多すぎる今ですが、この温泉宿の物語はここからますます加速していきます!
忙しい毎日かと思いますが、みなさんもぜひお風呂や温泉に浸かって、ほっと一息つける日々が送れますように。
もし「続きが気になる!」「本作を応援したい!」と思っていただけましたら、【ブックマーク登録】や【評価】を押していただけると、今後の執筆の大きな大きな力になります!
これからも温かく見守っていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします!




