第130話:「転移数カ月後の一幕」──快適な野営
野営の場所を探していると──
巨大な木々の根がむき出しで這う──
高さ五メートルほどの崖が立ち塞がる。
月明かりが細く差し込むと──
根の一本一本が、まるで大地の血管のように脈打つ影を落とす。
崖の上から這う根の中に、太く張り出す分かれ目があり、
その下には自然にできた窪みが“ぽっかり”と口を開けていた。
──大人が何人も雨宿りできるほどの広さ。
(「ここが良いね」)
ミコトがそう心話で伝えた瞬間、
ミカドが飛び出して、その窪みの地面を平らに整え始めた。
──地面を掻く音と、湿った土の匂いが漂う。
(「いつもありがと! ミカド」)
(「ピルピルピル♪」)
しばらくして、ミカドが満足げに胸を張ると、
ミコトはそれを合図に──
(「防虫スーツと、部屋着の入れ替えをお願い」)
すぐにアンナの柔らかい心話が、脳裏にそっと触れる。
(「はい、承知しました」)
ミコトは軽く膝を曲げ、“ピョン”と跳ぶ。
空気が僅かに震え──装備が一瞬で部屋着へと変わった。
布の肌触りが変わる感覚が、夜気の冷たさと混ざり合う。
その刹那──
ミカドが弾丸のように飛びついてきた。
──どふっ!
(ぐふっ!)
ミコトの胸元にしがみつき、ミカドは目をきらきらと輝かせる。
半日以上、ミコトの方を向けなかった反動。
これは、いつもの──
我慢していた気持ちをぶつける、愛情の儀式だった。
ミコトに抱きついたままのミカドは、
目をぎゅっと閉じ、額をミコトの胸元へぐりぐりと押しつける。
その仕草は、半日分の寂しさを一気に埋めようとする、必死さそのものだった。
ミコトはミカドの背をゆっくり撫でながら──窪みに進む。
(「小屋の取り出しよろしく〜」)
アンナの心話が、ぱっと明るい声色で返ってくる。
(「はいっ」)
ミコトは軽く“ピョン”とジャンプした。
その瞬間、空気が波紋のように揺れ──
その場に軽自動車ほどの“小屋っぽいもの”がふっと現れる。
──アンナは、ミコトが中に入るように“小屋っぽいもの”を取り出した。
──この取り出し方は、他の“収納スキル持ち”にはできない。
現れた小屋は、
窓もドアもなく、外界を完全に遮断する密閉構造。
ミコトは片手を伸ばし、
天井に固定されたLEDランタンをつけた。
白い光が広がり、内部の輪郭が浮かび上がる。
──床の半分は寝床で寝具が柔らかく盛り上がり、その足元側には小さなテーブルが置かれている。
狭いが、夜を過ごすには十分で、
虫嫌いのミコト特性の“安心快適な移動カプセルホテル”だった。
ミカドを抱いたまま、ミコトは自分に手をかざす。
(「浄汚、ついでに浄毒」)
ミコトとミカドの身体が──
ラメが散るような白い光に薄く包まれ──
続けて同じく、ラメが散るような銀色の光に包まれる。
肌に触れる空気がふわりと軽くなり、
汚れも毒素もすべて剥がれ落ちていく感覚。
(「生活スキルはホント便利だね!」)
(「トイレも要らないし、風呂も必要ない」)
ミカドは身体が綺麗になったのが嬉しくて、
ミコトの周りを“ぴょんぴょん”と跳ね回っている。
(「ミカドもコレ好きだよね〜」)
(「ウン!」)
次に、道中で採取したキノコなどを取り出し、手をかざして『浄汚』『浄毒』を施す。
清らかな光が素材の表面を滑り、森の匂いだけが残った。
(「アンナ、焼いておいた石を出して──」)
アンナは柔らかい声で応える。
(「はい、かしこまりました」)
テーブルの上に置かれた七輪のような鉢へ、赤く焼けた石がコロンと落ちる。
熱がじわりと広がり、空気が温かく揺れた。
ミコトはその上に網を乗せ、キノコを並べて焼き始める。
香ばしい匂いが小屋の中に満ちていく。
生活スキル『呼水』でカップに澄んだ水を出し、
さらに生活スキル『呼塩』で皿に塩を出して、キノコにぱらりと振りかける。
ミコトが食事を始めると、
ミカドも膝の上で魔石を“ボリボリ”と食べ始めた。
小屋の密閉性は驚くほど高く、
虫どころか空気すら入り込まない。
外の夜風は一切届かず、内部は静寂に包まれる。
そのため、アンナが定期的に空気を入れ替えている。
小屋の内部に新しい空気が流れ込むたび、わずかに温度が揺らめく。
──収納スキルに大量の空気を入れてあり、それを少しずつ使っている。
食事をしながら、ミコトの胸にふと疑問が浮かぶ。
(「この収納スキルを使った空気の入れ替えって──MP消費は収納の時と同じ?」)
アンナは落ち着いて答える。
(「いえ、MPは使わないです」)
ミコトは思わず箸を止める。
(「え!?」)
アンナは淡々と、しかし丁寧に説明を続ける。
(「収納時にMPが必要なのは、異空間に収納スペースを確保するためです」)
(「通常は“収納”と“取り出し”しかできず──取り出した際にスペースは消えますので、」)
(「収納する都度、MPが必要になるのです」)
ミコトはすぐに理解する。
光の反射で揺れるキノコの影を見つめながら、思考が滑らかに繋がる。
(「なるほど──入れ替えなら、元のスペースを無駄にしないで使いまわせると」)
アンナの声が弾む。
(「はい! その通りです」)
ミコトの変わらない“察しの良さ”が嬉しいのだ。
(「そして、入れ替えができるのは、スキルの精密操作ができるアンナだけなんだ」)
(「アンナは凄いね!」)
すると、ミカドも胸を張るように声を上げる。
(「アンナ強イ!」)
アンナの声が弾む。
(「ありがとうございます!」)
ミコトはそのやり取りを聞きながら、ふと胸の奥が温かくなる。
(有能さに対するミカドの捉え方って、すべて“イコール強さ”なんだよな)
(それは本能的な感覚なんだろうけど──とても本質的で──合理的だ)
(補助職や支援職の人達からしたら、もの凄く嬉しい価値観だね)
ミカドの頭を撫でる手が自然と優しくなり、
掌がより温かく感じられた。
寝床に仰向けになり──
胸の上にうつ伏せになったミカドを、両手でゆっくりマッサージする。
その穏やかな時間の中で、ミコトの意識は不意に過去へと沈んだ。
(……あの頃は、毎日なにかしら絡まれてたな)
──大きな街で活動していた頃、ライト属性から引きずり降ろそうとする者たちから、数々の嫌がらせを受けた。
(言いがかりとか、侮辱とか……)
(相手にすれば思うつぼだから、無視するしかなくて……)
他の冒険者がいきなり──
「ライトってことは世間知らずのボンボンなんだろ」
「ライトってだけで調子に乗ってんじゃねーよ」
「おいおい、一言も言い返せねーのか──臆病者が!」
──それは怒りを煽って、罵り合いへと仕向けるための罠だった。
(出会いがしらのアクシデントに見せかけて、物を壊させようとしたり……)
(アンナが『周辺把握』で察知してくれたから、すべて難を逃れられたけどね)
ある日、石畳の通りを歩いていると──
「早く早く……!」
小さな影がミコトの前へ飛び出してきた。
その手には、今にも壊れそうな薄い陶器の置物。
──子供に壊れ物を持たせて死角から走らせる──ブルー、グリーンの卑怯者たちの常套手段だった。
(ライト属性ってだけで、面倒がられたり……)
露天街を散策し、
楽しく露店を眺めていたとき──
店主の死角から誰かが棚を揺らし、脆い皿が地面に落ちて砕けた。
──犯人は影のように人混みに紛れ、姿を消す。
店主が驚き、ミコトを凝視する。
だが、隣の露店の主がすぐに声を上げてくれた。
「それ、他の人──」
「多分……よくある、ライト降ろし」
お陰で誤解はすぐに解けた。
それでも店主は渋い顔で、ため息をつく。
「あぁ……とばっちりか……」
「あんたが悪いんじゃないのは分かるけど──」
「ライトが一人でフラフラするなよ……迷惑だ……」
ミコトはミカドの背を撫でる手に、そっと力を込める。
過去の痛みが、その温もりで少しだけ溶ける気がした。
ミコトは、ミカドの頬を両手で“むにむに”と揉みながら、アンナへ意識を向ける。
ミカドは気持ちよさそうに目を細め、喉を小さく鳴らす。
(「ブルーは、直接手を出してこなかったけど……グリーンを唆してた気がするね」)
(「そして、グリーンは、少々のマイナス評価は気にしないから……」)
(「自爆的にライトを揉め事に巻き込んで──」)
(「口論にでもなれば、双方にマイナス評価がつく、と……」)
しょんぼりした声で──実際に『案内人スキル室』でうな垂れている──アンナが続ける。
(「はい……ライトは一つのマイナス評価でもブルーに落ちてしまいます」)
(「そんな“くだらないこと”が日常的に行われていたとは……想定外でした……」)
(「フィアナ様が苦心して整えた『善悪評定』への冒涜です……」)
ミコトは目を閉じているミカドの背を、ゆっくり撫でる。
(「もし──ミカドを悪く言われたら、我慢できなかったかも」)
(「ただ、従魔に対する害意って──めちゃめちゃペナルティ厳しいんだよね」)
元気のないまま答えるアンナ。
(「はい、従魔は一つの生を終えた後にまで、主を守ろうとする崇高な存在です」)
(「そして、本来は言葉を話せませんので、保護のために厳しくなっています」)
ミコトは一つ息を吐き、気持ちを切り替える。
(「うん、お陰で助かったよ」)
(「そして、今後はライト属性も保護されるように──」)
(「揉め事にライト属性が関わっている場合は、嫌がらせが原因か確認してくれるんだよね」)
アンナの声がぱっと明るくなる。
(「はい!」)
(「ミコトさんの行動によって、大きな問題が炙り出されました!」)
(「ありがとうございます!」)
ミコトはふっと微笑む。
(「いえいえ」)
その瞬間、脳裏に露店の店主の声が蘇る。
「ライトが一人でフラフラするなよ……迷惑だ……」
「面倒が起きないよう、護衛ぐらい連れておいてくれ……」
確かに──
勇者なら“勇者一行”を引き連れ、街中なら“衛兵”と共に歩く。
自分が正体を明かして行動していれば、避けられた事態だった。
それは悪いと思う。
けれど──
勇者の肩書を外して、ルナティアの“生の社会”を感じ取りたかった。
(とばっちりを受けた人にはホントごめんだけど……)
(その考えは間違いではなかったよ)
(これでライト属性が生きやすくなって──今後は増えて行くはず)
ミコトの胸に静かな確信が灯った。
夜が明け──
窓も扉もない“小屋っぽいもの”を収納すると──
ミカドが平らにした地面と、静寂だけが残った。
──差し込む朝日はか細く、森の空気はひんやりと澄んでいる。
ミコトは、“宇宙服のような重厚な防虫スーツ”へと着替え、
ミカドは、いつものように振り返らず、黙々と前を進む。
すると──
ミカドがぴたりと立ち止まった。
耳がぴんと立ち、小刻みに動く。
(「……音ガスル」)
(「コッチニ、向カッテクル」)
ミコトは息を潜めた。
神経が張り詰め、空気すら止まったように感じられる。
1分ほどが経ち、
アンナの『周辺把握』に、その影が侵入する。
──ゴブリン、ホブゴブリンと思われる反応が30体。
だが、その気配はどこか異質だった。
動きに無駄がなく、統率された歩調を感じる。
──それは、“魔物氾濫”に偽装した魔族軍の小隊だった。
朝を迎えても薄暗い森が、否応なく戦いの気配を滲ませていく。




