第131話:「転移数カ月後の一幕」──水術の弾丸
朝日も届かない深い森の奥──
湿った土の匂いと、冷たい霧の気配が肌にまとわりつく。
巨木の陰で、ミコトとミカドは息を潜めていた。
風が止まり、森のざわめきが遠のく。
その静寂の中で、アンナの冷静な心話が淡く届く。
(「先頭まで距離30メートル、後尾まで50メートル」)
わずかな間を置いて、さらに情報が流れ込む。
(「先頭まで距離25メートル、後尾まで46メートル」)
──半径百メートルを誇るアンナの『周辺把握』。
──地形も敵の位置も動きも、カーナビのように鮮明に再現されている。
(「了解〜」)
ミコトは息を整え、静かに頷く。
(「30なら──いつものやり方で良いね」)
魔物との戦闘にも慣れ、
今のミコトは“張り詰めすぎない緊張”の中に身を置いていた。
(「オウ!」)
ミカドが、低く力強い声で応える。
その“もふもふ”な体に宿る気迫が、ミコトの背中を押す。
(「はい!」)
アンナの声は、どこか弾んでいた。
管理棟空間から見守る気配が、心の奥に温かく灯る。
ミコトはふと、胸の内で思う。
(……心話って、こんなに便利だったんだ)
普段何気なく使っていたそれが──
距離に関係なく、
敵に気づかれず、
息遣いすら漏らさず、
互いの意志を確かめ合える。
深い森の薄闇の中──
三人の呼吸だけが、静かにひとつに重なっていった。
ミコトは気づいていなかった。
いま迫っている30の影が──
“魔物氾濫”に偽装した“魔族の小隊”であることを。
(魔物氾濫といえば、“異世界系の物語”の定番展開)
(手に負える範囲で──数を減らしていこう)
と、むしろ浮かれていた。
だが──
アンナは、それが魔族だと分かっていた。
そしてミカドもまた、本能で“魔物ではない”と察していた。
いつもなら全てをミコトに話す二人だが、揃って何も告げなかった。
なぜなら──二人は、戦いたかった。
ミカドは純粋に。
アンナは、ミコトがもたらした“新たな力”を試したくて、
胸の奥に灯った衝動を抑えきれなかった。
慎重なミコトなら──
これが魔族の偽装だと知った瞬間、
戦闘ではなく“意図の確認”へと動き、
衝突を避け、観察と考察を優先するだろう。
──二人とも、それを分かっていた。
故に、ミコトが“魔物氾濫”だと信じ込んでいる今、
あえて沈黙を選んでいる。
アンナが淡々と状況を報告する。
(「先頭まで距離10メートル、後尾まで28メートル」)
その直後、
アンナの気配がわずかに緊張し──『高速思考』が発動された。
それを合図に──
ミカドが木の幹を蹴り──枝を踏み──
しなやかな軌跡を描いて上空へ跳ね上がった。
(「行ッテクルー!」)
声は弾み、体は軽い。
しかし、ミコトの胸には──いつも不安が押し寄せる。
(「無理するなよ! 危なかったら逃げるんだぞ! 気をつけてなー!」)
ミカドは楽しげに笑った。
(「ゥキョキュキョキョキョ♪」)
(「ミコト、カーチャン♪」)
(「んまっ!」)
ミコトはついノッてしまう。
(「ピルピルピル♪」)
アンナは、強めの語気で送り出す。
(「ご武運を!」)
(「オー!」)
ミカドは物音をまるで気にしないで跳ぶ。
いや──敢えて音を立てて突き進む。
それは、地上に残るミコトのための“おとり行為”も兼ねていた。
上空から見下ろす視界に──
“最も大きい魔人”の姿を捉える。
ミカドは『質量共鳴』を発動し、
自らの身体を、その魔人と同等の体格に変化させた。
次の瞬間──
小隊の奥へと回り込み、急襲する。
後方に控える“厄介な術使い”を見極め、
立体機動で最優先に仕留めていく。
──茂みが激しく揺れ──ミカドに襲われた魔人の叫びが──木々の陰に弾ける。
ミカドの戦い方は、凄まじかった。
木々の間を跳ね回っては──
上からでも──横からでも──下からでも──
爆発のような蹴りが放たれる。
蹴りは『高速思考』の補正で正確に命中し、
魔人を数メートル吹き飛ばす。
そして、背後から飛び掛かれば──
首筋へ致命の一撃を叩き込む。
この深い森での30体程度なら、
ミカドだけで蹂躙できるだろう。
ミカドの突撃に合わせ、
ミコトも巨木の陰から静かに歩を進めた。
湿った土が靴底に吸い付き──
落ち葉がわずかに沈む──
しかし、音を殺すように慎重に。
敵の先頭まで、残り五メートル。
薄闇の中に浮かぶ影は、
下級魔人が四体、中級魔人が三体。
──全員、後方で暴れるミカドの気配に意識を奪われ、ミコトに背を向けている。
ミコトは左手をそっと上げ、鉄砲の形に指を組む。
人差し指と中指だけを伸ばし、その先端を敵へと向けた。
その刹那──
指先から、“大さじ二杯”ほどの水が鋭く飛ぶ。
“キィッ──”
細かな鉱石を含んだその水は、
空気を裂き、音速の二倍で一直線に走る。
──この『水術』の発動は、アンナが行っている。
──歴代勇者が使わなかった、主のスキルを代行できるという『案内人スキル』の特異な機能だ。
その水の線は──
一番近い魔人の首筋に命中し、無音で小さな穴を穿った。
もはや弾丸と呼んで差し支えない威力だった。
魔人は一拍遅れて──
膝から崩れ落ちる。
(「ナイス!」)
(「ありがとうございます!」)
続けざまに、
“ドッ”──ひとつ。
“ドザッ”──もうひとつ。
茂みが揺れ、影が倒れ込む。
本来、行動しながら術を使うことはできない。
ミコトが移動し──『案内人スキル』のアンナが術を発動する──
この世界でただ一人だけが可能な連携だ。
(俺も術の練習をしてみたけど……術の発動は本当に難しい……)
(複雑な図形に薄い紙を重ねて──丁寧になぞり取るような感覚──)
(歩いたりしながらでは絶対にできない……)
そのアンナでさえ、
この速さで連続発動するのは本来不可能だ。
──だが今は違う。
1秒を10秒として意識できる『高速思考』が、
アンナの術式を異常な精度で支えていた。
ミコトとアンナの連携が、淡々と敵の数を削っていく。
倒れた仲間の音に気づき──
残った四体の魔人が一斉に振り向いた。
薄闇の中で、彼らの表情が凍りつく。
足元に沈む仲間の骸──
次に、その先へと視線を向ける。
だが、その眼は何も捉えられない。
──ミコトは巨木の陰に身を溶かし、気配すら揺らさずに攻撃する。
魔人たちはもの凄い形相で周囲を探る。
目をむき、
眉間に深い皺を刻み、
歯をむき出しにして唸り声を漏らす。
手に握るのは、手入れの悪い無骨な剣。
刃は鈍く、しかし重さだけは十分にある。
そのすぐ横──
木の陰から、わずか二メートル先の魔人の首筋へ、
横一線の鋭い水弾が走った。
“キィッ──”
耳では捉えられない細い音とともに、首筋を貫く。
(これ……本当に10歳だったら)
(なんか技名つけてただろうな……)
──高身長のミコトは、目立たないようにと、ルナティアの成人男性身長に近い“十歳の身体”で転移している。
だが──
さすがに位置が割れた。
残る三体の魔人が、
怒りに顔を歪め、剣を振りかぶってミコトへ襲いかかる。
湿った土が跳ね──
重い足音が森の静寂を破り──
刃の鈍い光が──獣の牙のように迫る。




